終焉
――――――「やるじゃないか、桐生院さん」
切り結び、お互いに間合いをとったところで両手に握った槍をこちらに向けて、彼はいう。
「アンタ、ただの絵描きじゃないの?」
絵を描いてるような文科系の人間とは思えないくらい、槍の扱いが様になっている。神働器を呼べることとそれをうまく扱えることは、同義ではない。
「あはは、そうだけどね。それだけでもないよ」
誤魔化す様に笑い、槍を振るう。
ひゅん、と穂先が空を切る。
そういえば私は…何故かさっきから、魔法が使える。
焔とまではいかないまでも、多少のオーラを操るくらいならできるようだ。
しかしそれは喜べることではないかもしれない。
…おそらく、華蓮の力が今までになく強まっているのだろう。呼んでもないのに胸の奥が熱く、疼く。
意識が華蓮に持っていかれないように気をつけながら、力だけを引き出し、振るう。
「…とはいえ、僕じゃ君には叶わないかな。でも、藍璃が彼を倒すまで時間を稼げればいいか」
…そうね。
確かに私と高瀬では私の方が強い。しかし、蓮とあの、藍璃という少女では…おそらく、彼女の方が強い。ずっと。
「なら私も短期決戦でさっさと決めるべきかしらね」
「退かないよ、僕は」
鎌と槍が交差し、真紅と蒼白の輝きがぶつかり合う。
鋭く突き込まれる槍を鎌で撃ち落とし、フェイントを交えて崩して斬りかかれば長い柄で防がれる。
攻防を繰り返していると、蓮の方で強力な魔力の高まりを感じる。
蒼い魔法陣に魔力が収束する真下に蓮がいる。
腕から血を流し、動きが緩慢だ。
「蓮!ボケっとしてんじゃない!」
鎌の湾曲した刃で槍を絡め、弾き飛ばして相手を大きく崩し、その勢いのままに鎌をフルスイング。
刃に纏っていた魔力を三日月状の刃にして飛ばし、魔法陣を打ち砕く。
すぐに体勢を立て直した高瀬によって追撃は阻まれたが、蓮の方も致命的なダメージは免れただろう。
私はまた目の前の敵との戦闘を再開する。
また鎌で絡め取り、今度は空中に放り投げると、彼はそのまま空を飛んで間合いを開けようとする。
私はそれを追い、背中に真紅のオーラで翼を形成し、飛び立つ。
追撃する私と、迎撃する彼。
相手の槍は届かないが、私の鎌はじわじわと、彼を削る。
端々には無視できない程度の切り傷が走り、息も絶え絶えだ。
そして、ついに私の鎌が、嫌な感触と共に彼に深手を与えた。
丁度私たちの真下にいた蓮と彼女の目の前に、血飛沫を撒き散らしながら、高瀬の右腕は落ちて行った。
「高瀬!?」
「平気だ!君は構わずそっちの…くっ!」
高瀬は腕を失った肩口を押さえつつも、やや皮肉っぽい笑いを含めた声でいう。
「全く、画家の右腕を斬るなんて随分えげつないことしてくれるよね」
それでも引かず、恐れず、彼は向かって行く。
片腕になったにもかかわらず、むしろさっきまでより苛烈に、隙のない攻撃が繰り出される。
画家の命である右腕を斬られてなお絶望することのない姿は、生きる意志と…なにより、彼女への信頼の厚さが見えた。
そんな彼を、私のような咎人の自己満足のために殺していいものか。
その迷いを押し殺す為に、表情を殺し、ひたすらに鎌を振るう。
そして、むしろ腕を斬り落とされた高瀬自身よりも、下にいた彼女の方がショックを受けていた。
「高瀬…腕が」
「気にするな!君は早くそいつを倒してくれ!僕は時間稼ぎはできても多分無理だ、もたない!」
ただの血と肉と骨の塊となったそれを抱きしめながら、彼女は泣く。
「…たかせ」
彼女は知っているのだろう。
彼の努力や、才能を。
それを、私は取り返せない形で奪った。
私への怨恨が、彼女の中に渦巻く。
「…かえして」
彼女のオーラが、変わる。
鮮烈な蒼が、全てを染め抜くような真紅に、一気に変わってゆく。
籠手はより大きく、禍々しい、剣の柄ような形に姿を変える。
それは振り上げる挙動だけで地面が砕けるほどの凄まじい波動を放ちながら、私に狙いをつける。
「高瀬の腕を、高瀬の夢を返してよ桐生院朝姫!!!」
吹き荒れる真紅が、巨大な柄に刃を与え、引き絞られる。
その想いのように激しく、強く。そして、透き通るような紅い剣。
「アイツを喰らえ!ヴァナルガンド!!」
放たれる真紅。
それは蒼の暴風を遥かに上回る威力を持つ、圧縮された光の刃となって眼前に迫る。
私は魔力を、華蓮が引きずり出されない限界まで開放し、それに刃向かう強度を鎌に与える。
…が、それは私を捉える寸前でめちゃくちゃな方向に逸れ、辺りを破壊し尽くした。
「…お前の相手は、俺だ。それに俺も、朝姫を失うわけにはいかないんでね」
漆黒の剣が彼女の胸を、深く刺し貫いた。
「藍璃!!」
高瀬は自分が斬られた時よりもよほど悲痛な叫びをあげる。
血飛沫は彼女の胸を中心に赤く咲く花のように広がって凍りついて行く。
しかし、凍るのは胸の傷と吹き出した血液だけ、それ以上は、彼女の力が干渉を妨げる。
意地が、想いが、彼女を突き動かす。
「死なば諸共、道連れにしてやる!!」
彼女は口から血の泡を飛ばしながら叫ぶ。
蓮の体を彼女の魔力が雁字搦めにする。
そして、真紅の剣が危なっかしく輝きながら崩壊を始める。
「終末の獣よ。太陽を呑み、月を喰らい、天穹を食い荒らす、神喰らいし大いなる牙よ。常闇の最果てに戦の終焉を導け…」
呪いのように低く、唱える。
それに反応して崩壊する真紅の塊が巨大な獣の顎と化す。
「CODE/Break……ッ!!」
それは、神働器に封じられた禁忌の力。
魔力の根源たる魂を縛る鍵を破壊し、魂自体をそのまま絶大な魔力へと還元する。魔力をダムから流れる水に例えるなら、ダムを完全に解放してしまうような、そんな危険な技である。
蓮にアレは止められない。余程のモノでない限り、コードブレイクした神働器は、コードブレイクでしか…。
…いや。
ひとつだけ。この状況なら、たった一つだけ手段が…。
私はフェンリルと化した彼女を呆然と見つめる高瀬に、鎌を振り下ろした。
終末の獣は、動きを止めた。
真紅の輝きは崩壊を始め、止まらずにどんどん零れて行く。まるで砂の城のように、崩れて行く。
そして彼女自身も獣の顎と同様に、断末魔をあげることすら許されず、崩れ去った。
「遅いのよ、蓮」
目を伏せたまま、鎌を横に振り払う。ねっとりと絡みつくようにその刃を血が滴る。
紅が全身に上塗りされる。
と、途端に華蓮が私の意識を奪おうとする。
いままで、こんなこと…。
「朝姫?」
様子がおかしいことに気付いた蓮が近付いてくる。
胸の奥が焼けるように痛む。
そして、華蓮の意識が私にかぶさってくるような感覚。
呼応するように手に刻まれた刻印が紅く輝き始める。
ああ。
ようやく、このゲームの意図がわかった。
「…やめて」
手に握ったままだった鎌を取り落とし、震える体を抱きしめる。
「…やめなさい。お願い、やめて華蓮…」
そうね。
こんなところに、こんなに大勢の神働器の使い手がいること自体が不自然だった。
「…朝姫」
「来ないで!蓮!私から離れなさい!」
叫びと同時、真っ赤な焔が私の周りを囲むように燃え上がる。
「朝・・・姫?」
そして、私の意識は完全に華蓮に呑まれた。
「な・・・」
質の悪い冗談だと思った。
しかし、とぐろを巻く焔の中心にいるのは、朝姫の顔をしているが朝姫ではない、誰かだった。
彼女は、さも愉快そうに語り始める。
「このゲーム、私たち2人が最後まで生き残ることは、始めから決まってたんだよね」
…つまり、首謀者はお前か。
「そうそう。といっても朝姫じゃなくて華蓮って名付けられたこっちの人格。朝姫ってば、妙に精神が頑丈でさ。あたしが表に出るのは必要なときだけ。嫌気がさして当然でしょ?」
いぶかしむ俺を他所に彼女は嬉々として語り続ける。
「で、嫌気がさしたあたしは、もう一つ、彼女の精神を奪えない理由に気がついた。…足りないのよ、力が全然。今回転生してきたときに周りに落としたみたいでね。だから、それを取り返せば朝姫に勝てるかなって」
周りに落とした…?
「要するに、ここにいた全員、私が転生したときに零した欠片なのよ。そして君が、最後の欠片」
なら別にペアを組ませる意味はないのではないだろうか。
全員で殺し合わせればいいんじゃないか。
「想いが必要なのよ。憎しみでも愛でも、激しい思いは欠片の糧となり、私の力となる。大切な人間を守るために欠片を強く引き出せばそれだけ取り返したときに私の力となる」
「…悪趣味だな」
「なんとでも言えばいいわ。あたしは、目的を果たすだけ」
鋭く一振り、襲いかかる鎌からの波動を辛うじて受け止める。
が、漆黒の剣はさっきの戦いで蓄積されたダメージもあって容易くひび割れ、大きく欠ける。
波動だけでさっきの東雲の蒼い剣並の威力…!
「そんな程度の力、私に叶うわけないでしょう?まあ、私の欠片のくせに私と真逆の氷の力で発現するのは予想外だったけど」
全力で氷の力を放出しているが、華蓮の焔はジリジリと俺の身を焦がして行く。
勝てるわけがない。それくらい、分かってる。
でも、俺は…朝姫を守らなきゃ…!
華蓮から、朝姫を取り返して、連れ戻す!
しかし、俺の決意など全く眼中にないかのように、華蓮は喋り続ける。
「まあ、ついでだし頑張ったご褒美に死ぬ前に教えといてあげるよ。ここから出たらあたしがしたいこと」
華蓮が空を見上げる。月が雲で隠された空は薄暗く、彼女の焔に照らされて臓腑のような不気味な色をしている。
そこに、血のような赤黒い巨大な魔法陣が展開していた。
地平線の向こうまで広がるような巨大すぎる魔法陣。
「さっき、フェンリルも出たけどさ。このゲームは《ラグナロク》。その終わりはどうなるか、知ってる?」
ゲームとか小説とか、朝姫がそういうファンタジーものを好んでいたので、なんとなく覚えていた。
「・・・最後に生き残った巨人が、炎の剣で世界を焼き払う」
「正解。そういうこと。でも、そのためには君の欠片を取り返してコードブレイクしないといけないのよ。今の不完全な状態じゃコードブレイクできないからね」
凶悪な笑み。
「だから君を殺して、最後に生き残ったあたしが《レーヴァテイン》で世界を焼き尽くす」
鎌が奔った。
今度は波動ではなく、本体だ。
受けたらマズい…そう直感した俺は跳躍し、その一閃をかわす。
空振った一撃は、さっきまで立っていた地面を捲り上げ、破壊し尽くす。
「く…まだ…!」
これだけ大振りならかわせる。
そう思っていた。
巻き上がる土煙の中からすぐに紅の刃が幾重にも飛んでくる。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
なんとかかわしたところでまた華蓮自身が襲ってくる。
動かない左腕の重さにバランスを崩し、かわしきることが出来ない。
「くそっ!」
受けるしか、無かった。
ガラスが砕けるような儚い音が響く。
最期に見たのは、砕け散る漆黒の剣の向こうの、紅い瞳。
…ん?
ここは。
ここは、どこだ?
見渡す限り真っ白い世界に、俺はいた。
一点だけ、目の前にある赤い水晶のような塊だけがこの世界に色を持っている。
…いや。
その水晶に背を預けて、誰かが座っている。
「朝姫…?」
「……」
自分の身体を抱き締め、か細く震えるのは誰でもない、朝姫だった。
屈み込んで目線を合わせようとするが、彼女は俺に気付いていないかのようにただ震え続けている。
『彼女も、限界のようですね』
響くような不思議な声と共にもう一人、少女が現れる。
鴉の様に黒い髪と、瑠璃色の瞳。
そして白い制服のような格好。
年は同じか、少し下くらいだろうか。
彼女は不機嫌そうに鼻を鳴らし、言う。
『久々に紅霊晶の欠片を見つけたと思ったら、こんなことになっているとは』
「…えりく、しる?」
呆然とする俺に、彼女は説明する。
『遥か昔、魔女に埋め込まれた一つの魔術の結晶。奇蹟、いえ、禁呪とでも言いましょうか。最も無垢な捧げ物を用いた最も穢れた秘蹟によってそれは生み出されました。しかしその魔女は封じられ、結晶は八つに分かたれた。その欠片の一つがこれです。分かれ、転生することで《私たち》の監視から逃げおおせたのですね』
目の前の赤い水晶がどくん、と脈打つ。
朝姫の震えが強くなる。
「…それはいいんだ。それよりも、ここは何処なんだ?なんで朝姫が…」
『ここは貴方の…正確には、貴方の欠片を通じて辿り着いた紅霊晶の、そして彼女の、コードの果て。魂の奥底の世界』
なんでまたそんなところに。
『貴方のコードが崩壊しかけているから。神働器…あの剣は貴方の魂。それが、砕けた』
ああ、剣が砕けたのは覚えている。
っていうかそういう設定は俺知らないんだけど…まあ、いいやそんなのはこの際。
ともかく、魂の結晶である剣が砕けた、と。
『魂が砕けた貴方は、今の意識を欠片を通じて紅霊晶に頼ることで保っている。しかしまあ、このままではそこの娘と共に、すぐに彼女に取り込まれるでしょうね』
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
少し彼女は思案し、意地の悪い笑みを浮かべる。
『逆に聞くと、どうしたいんです?貴方は』
どう…と言われてもどうすることができるかわからない。
正確にはどうすることも出来ないんじゃないかと思っているのだが、とりあえず一つだけ、言えることがある。
「朝姫を…朝姫を、助けたい」
『そうですか』
目を閉じ、少しだけ表情を緩める。
それは穏やかな…というよりも少しバカにされた気がしてならないが、コレは逆らってはいけない類のモノのような気がするし、何より機嫌を損ねたら助けてもらえないかもしれない。
『私は貴方を助けませんよ?貴方を利用し、その欠片を討つだけ』
にた、と嫌な笑みを浮かべた。
『まあ、いいでしょう。貴方にその娘を助けるだけの力を与えましょうか。結果的に貴方の望みを叶えますが、私としても欠片を封じる滅多にないチャンスですし』
彼女は何処からともなく本を呼び出し、その中から青い栞を取り出して俺に差し出す。
『その娘は、まだ紅霊晶に取り込まれていません。だから、たった一つだけ救う手段はある。それをその栞に刻みました。もし、どうしても助けるつもりなら、それを持ち、その紅霊晶に触れなさい。その娘を含む紅霊晶に連なるすべての者の負の記憶を浴びせられるでしょう。しかし、それに耐え切ることが出来たなら、貴方のコードは編み直され、新たな力を得る』
朝姫の、記憶。
あの火事の前の朝姫は、思い出したくないようなことが沢山あったようだ。本人が封じ込めるような、記憶。
それに触れていいのか、俺は迷う。
『悩む時間はないですよ』
朝姫が苦しげな顔をする。
握りしめた手から、血がぽたりと落ちた。
「ああ…」
助ける、ためだ。
躊躇いがちに、赤い水晶に触れる。見た目に反して生暖かく、脈打つような感触。
そして、ずぶりと手が沈み、引きずりこまれる。
赤が、俺を呑み込んだ…
「この期に及んで邪魔をするの?朝姫」
鎌を振り上げた瞬間、それは魔力に還元され、消えた。
焔も集めることもできず、それどころか次第に弱まり、くすぶっている。
「焔の制御まで乱すなんて、やっぱり最後とはいえ魔法触らせるのは失敗だったかな」
最後の欠片、結城蓮。
神働器を砕き、彼の魂は砕いたが、殺せてはいない。
死ななければ、欠片は取り出せない。
朝姫の妨害を鎮めるのに、目を閉じ、深く何度も深呼吸をする。
そしてあたしはトドメを刺すべく、彼の上体を起こし、首に手をかけようとする。
「…よぉ」
「…っ!?」
まさか…
そんなはずは…!?
魂を砕いたはずの結城蓮が、ゆらりと立ち上がった。
しかも、さっきまでとは比べ物にならないオーラを纏って。
「な、なんで…」
「…さあ、なんでだろうな」
彼は、涙を流していた。
「なあ、朝姫」
俺は、全てを見た。
彼女の抱えていたモノすべてを。
それを思い出した辛さを。
贖いたくて、今まで必死に戦って来たことも。
「全部一人で抱えるとかさ、ズルいんじゃねえのか?」
寂しさも、絶望も。
もっと周りにぶつけてもいいんじゃないか?
少なくとも俺や…お前の周りの人間は、誰もお前を責めやしない。お前を受け止める。だからさ。
「一緒に、帰るぞ朝姫」
「まさか、私のコードに…?」
目の前の華蓮は、俺の復活に恐怖していた。
止んでいた焔がまた燃え上がり、鎌も再構成される。
しかしその焔は揺らぎ、鎌の切っ先も震えている。
そんなにか。
コイツが怯えるほどのことか。すげぇな。
たしかに身体の中を力が満ちている。
身体中に受けた傷…左腕も癒えて、万全だ。
「…いくぞ」
俺は宙に手を翳す。
蒼い輝きが、染み付いた真紅を削ぎ落とすように辺りを染め上げる。
最初から全力!一気に終わらせる!
「流るる星よ!天を翔け、地に注ぎ、現界を満たす、神聖にして絶対なる輝きよ!常夜を照らす光を齎し、暁の鐘鳴の下に集え…CODE/Break!」
紅に穢れた空が蒼く吹き飛ばされて行く。
新たな漆黒の剣が右手に、更に両腕を覆う鎧が現れる。
そして剣と鎧は伸展、変形し、開花するように、羽化した蝶のように、広がって行く。
完全に展開すると、東雲のヴァナルガンドより二周り程度大きい。
…何だかんだ言ったところで、俺自身の力は華蓮の欠片だ。
あの、コードの果てでその本体に接触し、あの変な少女から貰った栞で魔力をバックアップされていても、精々本体の七割程度。
しかし、たった一つだけ。
その差を覆せるのはこれしかない。
「そんな…なにそれ、あり得ない…!」
呆然と呟く華蓮に、神速で仕掛ける!
一閃、たった一撃で、鎌が砕け散った。
でも、違う。
これは、こいつの神働器じゃない。
本当の神働器は…
「っ…!欠片風情に使いたくはなかったんだけどね」
暗闇が、手元に集まる。
それはちょうど、俺の持つ剣のような…いや、俺の剣のオリジナルだ。
司る力が焔か氷か、それだけの違い。
「不完全だからコードブレイクは出来ないけどね!あたしには別のやり方もあるのよ!」
彼女の左だけに巨大な魔力の翼が開く。
そして、その剣も展開し、巨大な魔剣と化す。
「解けない部分以外を解放したの。まあ、アレを使うには足りないんだけどさ!」
焔と氷が拮抗する。
周りはもう、原型をとどめていない。
荒れ果てた、学校だったモノは、剣がぶつかり合うたびに衝撃に抉られ、破壊されて行く。
俺の全力と、華蓮の不完全な解放は互いに五分の戦いだ。
いや、正確には、魔力的にはまだ押している。
しかし華蓮には永い実践経験がある。魔力の使い方が巧い。
だが、そんなコイツが焦るほどに、今の俺は…強い!
何度目かの鍔迫り合い。
華蓮と俺は、至近距離で睨み合う。
ギリギリと音を立て、刃が軋み、紅と蒼が踊り狂う。
「しっかしさぁ!君はこうやってあたしにたちむかうけどさ!わかってる?このカラダは朝姫のモノよ!あたしを殺せば朝姫も死ぬ!殺せるの?朝姫を!」
カアンッ!
紅い剣が空を舞う。
そのまま彼女の首めがけて剣を奔らせる。
しかし、彼女の右手側の髪の房を切断し、寸前で止める。
「殺さないさ、殺せるわけないだろう!」
「じゃあ一体どうやって止めるつもりよ?一応言っとくけど交渉には応じないわよ?」
だろうな。そんな奴なら世界を滅ぼそうとなんてしないだろう。
俺が手詰まりだと思ったのか、華蓮は飛ばされた剣を呼び戻すことすらせず、嗤っている。朝姫でもある自分を殺せないと、嘲笑する。
しかし、無防備な華蓮の胸元に左手を翳すと表情が一転する。
華蓮が朝姫と同化している以上、俺には彼女を斬れやしない。
だが、別に俺は華蓮を殺さなきゃいけないわけじゃない。あの紅霊晶の欠片を朝姫から引き剥がす。
それだけができればいい。
ああ、それだけ、ただそれだけだ。
「返してやるよ、お前の欠片」
ただし、お前が《こっち》にくる形でな!
俺の中の欠片の力を限界まで解放し、無理矢理に紅霊晶の本体を朝姫から引き剥がしにかかる!
抵抗し続けた朝姫の魂は、紅霊晶に取り込まれてはいない。
だからこそ出来る、蒼い栞が導くただ一つだけの答え。
彼女の欠片を取り込み、自分の欠片で主導権を奪う。
栞にはそのための魔法が込められていた。
俺のコードの奥に閉じ込めることが、唯一の、朝姫を救う方法だ。
華蓮の胸から、赤い輝きが溢れ出す。
「そんな…なによそれ!そんな術聞いたこともない!」
赤い双眸が憎悪に染まり、必死に抵抗をする。
しかし、徐々にその紅い結晶が身体から抜け出していく。
抵抗するように燃え盛る焔も徐々に弱まり、髪色も黒く、朝姫に戻っていく。
ただ魔力の波動だけが凄まじく、俺の蒼で無理矢理抑え込みながらそれに手を触れる。
「「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」」
華蓮の悲鳴か、俺の絶叫か。
手を覆う鎧が爆ぜる。
そして抜き身になった手を伝い、圧倒的で濃厚な魔力が全身を駆け巡り、身体の全てが分解されてしまうかのような痛みが走る。
だが、歯を食い縛って耐える。
朝姫から完全に吐き出された紅は徐々に、俺の中に集束していく。
さっき触れたのとは比べ物にならないほどの負の念が流れ込んでくる。
恨み、憎しみ、呪い。
ともすれば黒い思念に意識が飲まれそうになる。
だが、俺はただひたすらに朝姫を救うためにそれを押さえ込んで閉じ込める。
---静寂。
紅と蒼の嵐が収まり、荒い俺の呼吸だけが響く。
右手の鎧も解けて、剣は力を閉ざした。
「朝姫…生きてるか」
呟き、屈み込んで倒れた彼女の身体を揺さぶる。
下を向くとこぼれてくる前髪が視界に映る。
…さらさらと煌く、銀色の髪。
焔が、駆け巡る。
天上に浮かぶ紅い魔法陣が輝き、徐々に動き始める。
『お前如きが、抑え切れるとでも思っていたの?』
嘲笑。
そして右手の剣が開く。紅く、輝きを放ちながら。
『あたしの勝ちよ!結城蓮!くふ、あははははっ!』
哄笑が響き渡る。
開き切った剣を天に突き上げる。
意志とは関係なく身体が動き、魔力が流れる。
「『目覚めよ、剣。邪悪の落胤よ。我が裡を焦がす嫉妬の焔を喰らい、絶望と歓喜の狭間の刧を祓え…』」
唇が勝手に呪を紡ぐ。
真紅に塗り替えられて行く世界。
紅が、華蓮の狂喜が、溢れ出す。
『あははっ!意識が残ってるだけ凄いじゃない。褒めてあげる!ご褒美に世界の終わりを見せてあげるわ!』
華蓮の力が高まると同時、俺の中の別のものも高まってくる。
…なるほど。
あいつは、嘘は言ってないな。
俺があいつに願ったことは一つであり、それが叶うなら、恨みはない。
俺が取引をしたのはきっと…
紅い剣が、宙を舞った。
弧を描き、地面に突き立つ真紅。
そして、それを濡らす、暗い赤。
『そんな…』
俺は左手で握った蒼い剣で、紅い剣を、腕ごと落とした。
これで魔法陣の鍵たる剣に魔力が流れることはない。後は…
蒼が俺の胸を突き破る。
切っ先は閉じ込めた欠片を捉え、貫いた。
…感覚より先に想いが駆ける。
あるいは、今まで覚悟を決められなかった俺の自業自得な結末かもしれない。
朝姫にばかり押し付けたツケ。
無力な俺の罪。
ああ、でも…
…一緒に帰れなくてごめんな、朝姫。
目を覚ますと、目の前に広がるのは漆黒の空。
薄気味悪い色だった空はいつの間にか元通りの色・・・と言っても時間が経ち、完全に夜になっていた。
いつもの夜空。
星が瞬き、月が照らす。
私は瓦礫の山から身を起こした。
すると、空から魔法陣を作っていた魔力が赤い雪のように降り注いでくる。
…華蓮の術は止まったみたいね。
一つ、大きな心配はなくなった。
そして、おそらくはそれを成したであろう蓮を探して視界を巡らせる。
まあ、うまくいったからこそ術は止まったんだろうし、私だって生きてるんだろう。
私は、彼が華蓮を引き剥がしてから全く記憶が残っていない。
当然といえば当然か。華蓮との繋がりが切れたなら、彼女の中から見るという状況にはなり得ないし。
あたりを見回すと、少し離れたところに大きく破壊されたような跡があった。
ふらつく足で歩いて行って覗き込むとその中心、確か、ちょうどあの魔法陣の中心の真下あたりに彼は倒れていた。
…というよりも、それは。
なんとなく、見覚えのある部分を残した肉塊が、激しく崩れ果てた地面に転がっていた。
---BadEND---
『終われるかしら?』
『終わりたいの?』
『終わらせない』
『終わりなんて、来ない』
『物語を赤で終わらせるのは、不快ね』
『なにより…』
『久々に面白い玩具を見つけたんだもの。みすみす手放すつもりなんてないわ』
蒼い、微笑。