第五話
「ささ、では早速お部屋にご案内致します」
受付を済ませ、啓輔達の荷物を預かると、梅田は上機嫌にそう口にした。
どうやら、ここでは部屋の案内も女将が引き受けてくれるらしい。
人手が少ないんだな――なんて啓輔が思っていると、梅田が表情から何かを読み取ったらしく、苦笑を滲ませながら言った。
「すみませんねぇ。うちの旅館、従業員が三人しかいないんですよ」
「三人!? ……そりゃあ、随分少ないですね」
「はい。私の他には、若女将と料理人が一人ずつ……お客様もあまりいらっしゃらないので、それくらいの人数でも足りてしまうんですよ」
“お客様も”という部分で、梅田は明らかに表情に暗い影を落とす。
やはり、一年前の事件が原因で、来館者数も減っているのだろう。元々交通アクセスのあまりよくない土地。……正直、事件前もそう繁盛していたとは思えない。
黙り込んでしまった女将を見ながら、啓輔は静かに物思いに耽っていた。
やがて一枚の扉の前に辿りつくと、女将は足を止める。荷物を一旦床に下ろすと、にこやかに笑みを浮かべた。
「こちらが、今日皆様のお泊りになられる部屋――楓の間で御座います」
――ピタッ。女将の言葉を聞いた瞬間、啓輔が動きを止める。
その後も彼女は何かを言っていたようだが、彼の耳にそれが届く事は無い。
彼の頭の中では、女将の言った言葉がぐるぐると巡っていた――。
……と、そんな時。啓輔は、後ろから軽くくいっと服の裾を引っ張られる。その感触で、啓輔は一気に現実に引き戻された。
こんな事をするのは、一人しかいない。啓輔が後ろを振り向くと、案の定その一人――優が、呆れた顔をして佇んでいるのが目に映った。
「パパ、どうしたの? もうお部屋入れるよ?」
「え?」
啓輔が呆けた声を上げると、優は困ったように肩を竦め、目の前の扉を指差す。そこは既に開け放たれており、和人達三人はとっくに玄関へと足を踏み入れていた。
「――ああ、そうだな。悪い、ちょっと考え事してた」
「もう……これから沢山頭を使う事になるのに、今からショートしてて、大丈夫なの? そんなんじゃ、この先やっていけないよ?」
「悪かったって……ちょっと考え込んでただけだよ」
「……ふーん」
拗ねたような娘と、それを宥める父親――傍目から見れば、何とも微笑ましい親子の日常を切り取った一コマだ。
しかし、啓輔が呆けていた本当の事情を知る和人は、複雑な思いで二人を見つめていた――。
「わあ……広い!!」
女将が玄関の奥にある襖を開けた瞬間、優が感嘆の声を上げる。……それも無理は無い。開け放たれた襖から覗いた部屋は、ぱっと見ただけでも約三十畳はある。確かに、客室にしては明らかに広い。
はしゃぐ子供達を尻目に、荷物を置きながら梅田が説明する。
「この御部屋、普段は宴会場として使われているんですよ。今日は使われるお客さまもいらっしゃらないので……折角ですから、こちらを御用意させて頂きました」
「成程。道理で広いと思いました」
「少し、広すぎやしませんかと心配だったのですが――お気に召していただけて、光栄です」
そう言いながら梅田は、楽しげな様子の子供達を見やる。その眼差しは温かい。
そんなほのぼのとした空気に包まれ、いつしか啓輔の顔も、穏やかな物へと変わっていた。
「――では、そろそろ失礼致します。何かありましたら、いつでもお呼び下さいませ」
部屋の簡単な説明を終えると、梅田は玄関の前で一礼する。
やがて彼女が出て行った途端、今までは比較的大人しかった優達が、一気にはしゃぎだした。
「すごーい!! 本当に広いよ!!」
「あたしの部屋の何倍あるんだろ?」
物珍しげに辺りを見回していた二人だが、やがてそれにも飽きたらしい。どちらからともなく、“旅館探険に行こう”などと言い始めた。
「ねえ、パパ。行って良いよね!?」
「お願い!!」
必死な様子の娘達を前に、困ったように和人が問いかける。
「……どうする、啓輔? 俺は別に構わねぇけど」
「そうだな――」
旅館に着いたはいいが、特にする事も無い。……否、一年前の謎を解く――という重要な目的はあるのだが、部屋でぼけっとしていても、貴重な時間を浪費するだけだ。それなら、旅館をうろうろしながら辺りの事を知っておいた方が良いだろう。
「よし、じゃあ行くか。そのかわり、俺達も同伴だぞ?」
少しおどけた様な口調で啓輔がそう言うと、二人はぱあっと満面の笑みを浮かべた。