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第三十七話

 旅館の外。ファンファンファン――と、けたたましく鳴り響くサイレンの音を耳に、事件の詳細を聞き終えた和人は、啓輔に問いかける。

「しっかし、珍しい事もあるもんだな。“名探偵”ともあろうお前が、証拠も無しに犯人と対峙するなんざ」

「全く無かった、という訳ではないんだがな。……純子さんの事を語る智也さんは、明らかに異常だった。それに、悲しみに暮れる玲さんが嘘をついているなんて、どうしても俺には信じられなかったんだ」

「悲しみに暮れる、ねぇ。……お前、将来俺々詐欺辺りに騙されるなよ? いかにも悲しそうな声で、「親父! 俺、事故に遭ったんだ!」とか言われても、簡単に信じるんじゃねぇぞ?」

 生憎啓輔には息子がいないので、“俺々詐欺”に騙される事は無いだろうが、昔から“すぐ詐欺に騙されそう”と言われているのは事実である。


 ――心配してくれるのは、ありがたいんだけどな。

 本気で自分に訴えかける親友を見ながら、啓輔は何とも複雑な気分に陥った。そんな啓輔の横で、彼の愛娘もまた、複雑な心境――というか、不満に膨れていた。もっと分かりやすく言うならば、拗ねていた。

「もう! 何でパパ、肝心な時に呼んでくれないのよ!! 推理ショーには、関係者全員を呼び出すのがお約束でしょ!?」

「ま、まあまあ……今回の件に関しては、謎解きの途中で誰かがいるのは邪魔になったんじゃないかな?」

「邪魔!? パパったら、可愛い可愛い愛娘を、邪魔扱いしたの!?」

 海が宥めているが、逆に火に油を注いでいる。優は地団太を踏みながら、真っ白な頬を膨らませていた。傍目から見れば物凄く可愛らしい光景なのだが、この娘の場合、“可愛らしい”では済まされない事を、経験上啓輔はよく知っている。


 ――取りあえず、憂さ晴らしに公共物を破壊しなければ良いんだが。

 まだそこまで重度の事をされた事は無いものの、怒りの収まりそうにない娘を見ていると、心配せずにはいられなかった。

 妙に御機嫌とりはせず、今は放置すべきだ――と思った啓輔は、ふと一台のパトカーを見やる。そこでは、従業員達が最後の会話をしていた。

 瞳に薄らと雫を滲ませた眞耶を、女将がそっと抱きしめる。

「ごめんなさい、眞耶。貴女には、まだまだ教えなくちゃいけない事が沢山あったのに」

「……私、待ってますから。罪を償ったら、また此処で一緒に働きましょう。女将達と過ごした日々、終わったなんて思っていませんから」

「……伸子。行くぞ」

 刑事がそっと女将の肩に手をかけると、傍らに佇んでいる熊谷が、そっと呟きかける。いつもと同じ筈の無表情は、少しだけ歪んでいるように見えた。

 やがて見られている事に気が付いたのか、啓輔と熊谷の視線が合う。彼は無言のまま、小さく黙礼した。

「それでは――」

 落ち着いた刑事の声を合図に、女将達はパトカーに乗り込む。やがてそれが発車すると、眞耶は無言のまま頬に雫を伝わせた。


 それが見ていられなくなり、啓輔は視線を反らす。そこでもまた、会話が繰り広げられていた。もっとも、女将達のそれとは違い、決して感動的な物では無かったが。

 そこでは、顔を真っ赤にした智也が玲に食ってかかっていた。

「純子が消えたのは、慎司のせいに決まっている! ただそれに制裁を加えただけだというのに、何故僕が捕まらなくてはいけない!!」

「智也、落ち着いて! 慎司は何も悪くないの! お願い、話を聞いて!!」

「こら! やめないか!!」

 近くで待機していた刑事がやって来て、慌てて智也を取り押さえる。鍛えられている筋肉質の刑事とは対照的に、智也の身体は細い。当然彼は身動きを封じられる。それでも尚、高圧的な態度は崩れない。

「許さない! 僕は絶対にお前達を許さない!」

「高橋! こいつを取り押さえるのを手伝ってくれ!!」

「はっ!」

 更に刑事が集まり、数人がかりで智也をパトカーへと連行する。

 それでも智也は、いつまでも何事かを喚いていた。

「……随分人が変わってんな。もっと、大人しい奴だと思ってたぜ」

 いつのまにか、隣に立っている和人も同じ方向を見やっていた。同情しているのか、その表情は切なげだ。


 ――やはり和人も、「親友」が「想い人」を奪ったら、「殺す」事を考えるのだろうか。

 昨夜過った疑問が、再び頭をもたげる。

 ――もし、「俺」があいつの「想い人」である、奥さんを奪ったら。その時は、この友情も簡単に壊れてしまうのだろうか。無二の親友と、大好きな人。二つを天秤にかけた時、あいつは一体、「何」をするんだろう?

 それは、あり得る筈の無い未来。それでも、壊れてしまった友情を見た後では、少し不安に思ってしまうのも、仕方が無いのかもしれない。

「……なにぼーっとしてんだ、啓輔?」

 ふと、和人が啓輔を見据える。どこまでも真っすぐなその瞳に、自分の思考が全て読みとられてしまいそうで――。

 啓輔は、黙って目を反らす事しか出来なかった。

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