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第三十一話

「……でも慎司さん、一体何処にいるんだろうね?」

 重たい沈黙を打ち破ったのは、青い顔をした海だった。知っている人が消えた――なんて、滅多にある体験じゃない。それも、自分にもその危機がある、というのなら尚更だ。

 それなら、彼は今何処にいるのか、知りたいのと思うのも当然の事だろう。

 そんな事は俺達だって思っている――とでも言わんばかりの和人が、疲れた様な声を上げる。


「それが分かりゃあ、俺達だって苦労しねぇよ。なあ、啓輔」

「まあな。だが、手掛かりが全く無い訳じゃない」

「そりゃあそうだが……あの程度の手掛かりで、一体何が分かるってんだよ」

 半分投げやりの和人を前に、啓輔は静かに瞳を伏せた。

 ――確かに和人の言う通りだ。手掛かりは少ない……いや、無にすら等しいだろう。しかし、これ以上の情報を集めろというのもまた無茶な話だ。

 とすれば、この情報だけで推測するしか無い――という事になる。

 多少憶測の混じる物になるかもしれないが、何も考えずに放置して、慎司を見捨てるよりはマシだろう。

 そうは思うものの、和人は不安そうな顔をしている。


「最初の旅人はともかく、他の四人に至っては、死体すら見つかって無いんだぞ?」

「和人、三人(・・)だ。まだ慎司さんが亡くなったとは決まっていない。一年前の三人組に関しては、生存はほぼ絶望的だが」

「……悪い。それもそうだな」

 何故だか和人は、少しだけ寂しそうな顔をした。

「ねえ、和人おじさん。おじさん、さっき“この土地一帯は人が消えるような特殊な環境にあるんじゃないか”って言ったよね? ……何か無いの? こういう所――例えば、温泉地に発生する謎の毒ガス的な物が。それも、昔からある天然の」

「ばーか。そんな都合の良い物があったら、こっちだって苦労しな――ん、待てよ」

 啓輔には、優の一言がどうにも引っ掛かった。

 昔、そんな感じの気体の話を聞いた事があるような……そう、あれは確か、中学時代の化学の実験時間。苦手だった化学の先生が、妙に力説していたような気がする。


 “いいか、温泉地特有のあの匂いはな、実はこの、――による物なんだ。非常に毒性の強い物だから、実験の際には充分気を付けるように!!”

 “馬鹿野郎! きちんと換気をするように言っただろうが! さっきも言ったが、――にはなあ……”

 何度も頭に反芻される、聞いているだけで苛々してくるがらがら声。そう、あれは確か――。

「……!」

 その瞬間、頭の中でピースが重なり合う。そう、ヒントは最初からあったのだ。先程までの啓輔に足りなかったのは、これを思いつく想像力。

「――なあ、和人。この温泉って、確か天然物だったよな?」

「あ、ああ。そうらしいな」

「だったら――もし源泉地に、硫化(・・)水素(・・)が発生していても、何らおかしい事は無いよな?」

「硫化水素って――まさか、あの!?」


 和人が驚愕の表情を浮かべ、啓輔を見やる。職業柄、決して聞いた事が無い、という事は無いのだろう。

 これを利用した自殺者が増え、世間を騒がせた毒性の強い気体――硫化水素。ある程度化学の知識がある者なら、割と簡単に発生させる事が出来るため、何人もの犠牲者を出したのだ。

 しかしこの気体は、人工的に作られたわけではない。自然界にも存在する物だ。

 噴火口や温泉地独特の腐卵臭は、実は硫黄による物ではない。この、硫化水素による物なのである。まさに、“温泉地に発生する、天然の毒ガス”だ。


「……まさか、慎司さんはその毒ガスの発生源――つまり、源泉地付近にいると?」

「確証は無い。……だが、決してあり得ないという事はないと思う。伝説に出てきた、変わり果てた旅人の遺体――あれは、ただ腐っていたのではなく、硫化水素の多量摂取による変死体とも考えられる。長い間この気体を摂取して死亡すると、血液中のヘモグロビンが硫化水素に結びつき、緑色を帯びた死斑が出る事があるんだ。もし慎司さんが、伝説と同じように消えたとするならば……」

「……彼は今、非常に危険な状況にある、という事か」

 そう言いながら、和人は突然立ち上がる。予測できない幼馴染の行動に、啓輔は面喰う。


「和人。お前、何する気だよ」

「何って……決まってんだろ。助けに行くんだよ」

「馬鹿! 源泉地は森の奥深くにあるんだぞ! とてもじゃないが、素人に分かる道じゃない。万が一辿りついたとしても、お前にだって危害が及ぶ危険がある」

「馬鹿はお前だ、啓輔。ここ、圏外でケータイ使えないんだろ? なら、女将に頼んで旅館の電話使わしてもらって、警察に捜索依頼するしかねぇだろ」

「……女将がそう簡単に協力してくれるとは思えないんだが」

「なら、若女将ならどうだ? 彼女――眞耶さんだっけ? なかなか友好的な子じゃねぇか。あの子になら、事情話せば何とかなるんじゃねぇか?」


 ――正論だ。彼女なら、十中八九協力してくれるだろう。だが、問題はそれだけではない。

 啓輔はばつの悪い表情を浮かべながら、苦々しげに呟く。

「それに、警察に突き出すには証拠がまだ不十分なんだが」

「ああ? そんなもん、俺の話術にかかればどうにでもなるって。“丸西一の口先のペテン師”と呼ばれる俺様にかかれば、そのくらい余裕だって」

 ――口先のペテン師って、どう考えても褒め言葉じゃないよな?

 得意げに笑みを浮かべる和人を見ながら、何故だか啓輔は背筋に悪寒を覚えた。

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