第二十七話
「……ん」
小さく呻きながら、啓輔は薄らと目を開ける。少しだけぼんやりとしている視界には、木製の天井が映っていた。見慣れない景色に一瞬だけ眉根を寄せるが、すぐに今は旅行中なのだという事に思い当たる。
啓輔は欠伸を噛み殺しながら、枕元に置いておいた時計を確認する。現時刻は午前五時半。予定起床時刻より、二時間程早い。――どうやら、随分と早く目覚めてしまったようだ。耳を澄ませてみると、三つの規則正しい寝息が聞こえてくる。
――というか、三人揃って何なんだ。この寝相の悪さは。
啓輔は溜息をつきながら、横に眠る三人を見やる。恐らく、無意識に蹴飛ばしたのだろうが、三枚の掛け布団はあちこちに散らばっていた。纏う浴衣ははだけきっており、かなりみっともない。
「……ったく。しょうがないな」
啓輔は苦笑を浮かべながら、掛け布団をあるべき場所へと戻し始める。冷え切った身体から察するに、かなり長い間この状態であったらしい。
隣に眠る和人の浴衣を直していると――彼は小さな呻き声と共に、薄らと目を開けた。
「ん――何だ、啓輔。もう朝か?」
「朝の五時半。眠かったら、まだ寝てても良いぞ」
「いや、起きる」
くわあ――と欠伸を噛み殺しながら、和人は目を擦る。未だ眠たそうだが、そこまで寝起きが悪くは無いらしい。
少し苦笑しながら、啓輔は問いかける。
「大丈夫か? まだ早いけど」
「職業柄かね。一回起きちまうと、二度寝出来ねぇ体質なんだ」
「ふーん。あのねぼすけだった和人がなあ」
そう言いながら啓輔は、ふっと遠い目をする。幼き日の彼は寝起きが悪く、何度か泊まりに行った日や、修学旅行の朝には苦労した物だ。
そんな啓輔の口調にむっとしたのか、和人が小さく睨みつける。
「それを言うなら、お前もだろ? ガキの頃、お前を待ってたせいで、何度遅刻した事やら……」
「煩いな。……昔から、朝は得意じゃないんだよ」
くだらない雑談を交わしていると、布団に包まる子供達が小さく唸り声を上げる。静かに話していたつもりだったのだが、煩かったのだろう。
慌てて声のトーンを落とすが、時既に遅し。やがて二人は眠たげに身を起こす。
うーん、と小さく伸びた後、優が小首を傾げた。
「ぱぱぁ……今何時?」
「朝五時半過ぎ。悪い、起こしちまったみたいだな」
「ん――へーき」
父親譲りなのか、優も朝に強くない。焦点の合わない瞳で、明後日の方向をぼーっと見つめていた。
海も未だ眠たいのか、布団の中でぼーっとしている。まだ半分夢の中なのだろうか――と思ったが、どうやら、そういう訳でも無いらしい。
やがて海は、寝起きにしてははっきりとした口調で、唐突に呟いた。
「お外――何の音?」
「外?」
唐突な海の言葉に、啓輔と和人は眉根を寄せる。優は何かに気付いたようで、黙って耳を澄ませ始める。彼女にならって、啓輔も耳を澄ませると、微かにドタドタと廊下を駆けるような音が聞こえた。
完全に目を覚ましたのか、優が冷静な声音を上げる。
「――何かあったのかも。パパ、行ってみよう」
「……ああ、そうだな」
「俺も行くぞ。海、まだ寝てるか?」
「ううん、大丈夫」
「くれぐれも、単独行動を取るんじゃないぞ」
三人にそう指示しながら、啓輔は思考を巡らせる。常とは違い、慌ただしい早朝。旅館を駆ける足音。
違和感の正体を考えながら、啓輔は妙な既視感を覚える。
……何か、嫌な予感がした。
部屋の外に出た啓輔の視界に飛び込んできたのは、慌ただしく廊下を駆けまわる眞耶の姿だった。早朝、若女将が廊下を走るなんて、常ならば有り得ない事だ。
度重なる違和感に思いを馳せながら、啓輔は無意識に彼女を見つめていた。
そんな鋭い視線に気が付いたのか、眞耶はちらりと啓輔を見やる。
ぱちっと目が合った瞬間、彼女はこちらへと向かってくる。大分長い間走っていたのか、頬は紅潮し、息が大分乱れていた。
やがて眞耶は四人の前に辿りつき、肩で息をしながらも、深々とお辞儀をした。
「あ、朝から騒がしくしてしまい、申し訳ありません。沢内様、桜庭様」
「いえ。そんなに急ぎまわって――何か、ありましたか?」
啓輔がそう問いかけると、眞耶は困ったように眉尻を下げる。果たして、話していい物なのかと思案しているらしい。
このままでは埒が明かない――そう思った啓輔は、恐る恐る問いかける。
「いつもとは違って、妙に騒がしい早朝――あの日と、全く同じ状況ですね」
その言葉に、眞耶ははっと顔を強張らせる。
……どうやら、当たりらしい。啓輔がそう思った矢先、眞耶は口を開く。
「……消えられたんです。今度は、東城様――東城、慎司様が」
――やはり、な。
泣きそうな顔の眞耶を見ながらも、啓輔は不思議と冷静だった。




