二人の食卓
いつも楽しい時間をありがとう。
それと……ごめんな。
放課後の学校。
夕暮れに沈み静かに眠りにつくように、「また明日ね。」と生徒たちを家へと見送る、誰よりも大きな存在。
そんな中部活動を終えた僕は、汗を拭きながら今日の夕飯の献立を想像して浮き足立っていた。
「また明日な。」
校門で友人と短い挨拶を交わしてから、立ち止まって一息をついてから、何となくスマホの通知を整理していた
すると幼馴染の彼女から、十分ほど前にメッセージが来ていることに気がついた。
「やっほー。そろそろ部活終わる時間かな?これに気がついたらすぐに家庭科室まで来ること!異論は認めっ。」
……
僕はなににも例えられない、そこはかとない嫌な予感がした。
しかしこのまま帰るわけにもいかず、少しだけ訝しげな足取りで校舎の端にある家庭科室まで急いだ。
「部活お疲れ様。」
「そっちこそ。お菓子作ったの?めっちゃ甘い匂いする。」
オレンジ色に輝いている、大小さまざまな食器たち。
その食器が奏でる音色と見守る壁が醸し出す雰囲気が、まるでテーマパークの中にいるかのように僕を錯覚させる。
「クッキー焼いたんだけどね。失敗しちゃったっ。」
いたずらっ子のように舌を出して悪戯な笑みを浮かべた幼馴染。
これでもこいつは、家庭科部の部長をやっているのだ。
地域ではそこそこ有名で、毎年催されるお祭りでは料理を振る舞っていて、自治体から感謝状をもらっているほど。
「疲れてんだろ。顔に出てる。」
なんだかんだ十年以上の付き合いだから、否応なしに細かな表情の変化も分かるようになるものだ。
「まあまあそれは気にしないで。お一人様ごあんなーい!」
「はあ?」
腰にエプロンを巻いた幼馴染に連れられた先にあったのは、彩り豊かな食材が彩る、二人分の食卓だった。
「作りすぎちゃったからどうかなーって。」
「いや、今日はお菓子作ってたんでしょ。どうしてこんな……」
雑穀が混ぜられたご飯と豆腐とわかめの味噌汁、それに豚肉の生姜焼きと千切りキャベツのサラダという、なんともお手本のような献立が鎮座していた。
「ささ、冷めちゃうから早く食べよ。」
「え、うん……」
困惑十二割といった気持ちの僕のことなんかお構いなしに、優しく腕を絡めて座席へと誘われた。
「おばさんから聞いたよー。今日帰り遅くなるんだってさ。」
「え、そんなの聞いてないんだけど……」
ビックリしてスマホの通知を確認しても、母親からの連絡なんぞ残っていない。
「だからヨロシクねって言われちゃった。」
「はあ!?」
何を考えてるんだまったく。
いくら幼馴染とはいえ、頼み事をするにも節度と限度というものがあるだろう。」
「そんなに申し訳がらなくてもいいって。みんなから応援されたから作るの楽しかったもん。」
……
幼馴染よ、それは応援じゃなくて冷やかしではないのでは?
「でも、なんでここなの?どうせ家も近所なんだし帰ってからでも……」
「マンネリ化した私たちにはちょうどいいかなって。先生公認だから安心してっ」
なんだろう。
思わぬところで事が進んでいる気がして、非常に心地が悪い。
家庭科の教師なんて週に一度しか会う機会がないから、こんな僕のことを覚えていてくれているのだろうか。
「食べないの?」
「ああごめん!いただきます。」
対面で座りながら食べるご飯は、家にいれば当たり前のことのはずだ。
この場所だって常日頃使用する教室でないにしろ、学校という括りで考えたら嫌になるほどの時間を過ごしてる場所のはずなのだ。
「美味しい。」
「ほんと?やった!」
家では見ることのない、特別感のある屈託のない笑顔。
その表情には、誰しもがドキッとすることだろう。
「来てくれてよかったよ。気がついてくれなかったら泣いてた。」
「ほんとだよ。間一髪。」
……なんて言ってるけど、待ち合わせをするときはだいたい校門が多いから、その時の僕のルーティーンなんてものも、きっとこいつには知られているんだと思う。
「でも食材ってどうしたの?」
駅から三十分は離れているこの学校の近所には、スーパーどころかコンビニの一軒さえもない。
母親からの連絡は、登校前だったのだろうか?
「先生が家庭科室にある食材使っていいよって言ってくれたから。」
「……へえ。」
心の中の開いた口を塞ぐことが出来なかった僕は、無意識のまま食事をする手を動かしていた。
これはひょっとして、相当いろんな人に迷惑をかけてしまっているのでは。
なんてことを思ったりもしたけど、幸い授業の回数が少ない科目の先生だから、その日になったらそれとなく謝ればいいという、なんとも身勝手で失礼な結論に落ち着かせた。
「ありがとうね。」
「それは私の方こそだよ。食べてくれてありがとう。」
傍から見たら、僕らはどう映るだろう。
「カップルにしか見えないよな。」
「ふふ。そーだね。」
味噌汁をすすりながら微笑む幼馴染の表情は、緊張など微塵もないくらい微笑んでいて、慈愛の表情になっていた。
どうやらこいつには、僕の言葉の前後にある文脈なんぞお見通しのようだ。
「なあ、本当に俺でいいの?」
「んー?そうじゃなきゃこんなことしないよ。」
沈む間際の夕日に照らされた、細くて可憐なペンダント。
これのせいで、学校でからかわれている場面を、何度か目撃している。
だから……
「これのおかげで私はこうしていられるんだから、感謝してるよ。」
「それならいいけど。」
そう言ってくれると、少しだけ肩の荷が下りたというか、下ろすことが出来た気がした。
「私は君の奥さん、君は私の旦那さん。」
「なんだよそれ。」
なんて、そんな話もつかの間の出来事。
今日も今日とて、散りゆく定めのように日は沈んで夜となる。
「ふう……」
目の前に映る光景は、明かりのついていない暗闇の教室。
手元に目をやると、確かに二人分の食事が手を付けてある状態で置かれていた。
「美味しい料理をありがとう。本当にいつもありがとう。」
実体のない存在。
いや、正しくは実体がなくなった存在。
僕がプレゼントしたネックレスが彼女を引き止めて、日中のみこうして話をすることが出来ているのが、現状。
……
このまま引き止めてしまっていいのだろうかなんて、こんな事を考えてしまうことは日常茶飯時だ。
ちなみにあいつのことを、家庭科部員のみならず顧問の先生もその事情を把握している。
「ご馳走様でした。ここは片付けておくから、もう大丈夫だよ。」
僕は実体は見えずとも気配だけ感じられる向かい側に、そう話しかけていた。
早すぎるんだよ……ばーか。
涙を流す心の内を、必死に留めながら。
完
次回更新は木曜日を予定しています




