第5話 あと3人
風が止んだ。
広場の瓦礫は静まり返り、満月の光だけが、泰弘を照らしていた。
あれほど重かった空気が、今は嘘みたいに軽い。
全身を包む痛みが、逆に“生きている”ことを確かめてくる。
「……終わった、のか。」
声に出すと、やけに現実味を帯びた。
“無”はもういない。
存在そのものが消えたから、痕跡すら残らない。
勝利の証も、何もない。
ただ、泰弘の胸に残るのは、あの一瞬の笑み。
(“見た”か、か……。)
最後の言葉を思い返す。
“無”は、自分の存在を誰にも見てもらえなかったのかもしれない。
姿を消せる力を持ったせいで、逆に誰からも“見えない”人生を送った。
だからこそ、泰弘に“見えた”瞬間、満足したのか。
「……ままならねぇな。」
苦笑いがこぼれる。
勝っても、心が晴れるわけじゃない。
四天王をひとり倒した。
それでも、先はまだ長い。
戦う理由も、目的も、ぼんやりしている。
──でも、進む。
それだけは、決めてる。
泰弘は立ち上がる。
体中に傷を負いながらも、背筋はまっすぐだった。
瓦礫の中を歩き、空を見上げる。
月は、静かに光っている。
まるで「よくやった」とでも言うように。
「……あのスキル、やっぱりハズレなんかじゃねぇな。」
誰に言うでもなく呟く。
最初は笑われた。
「満月がなきゃ使えないスキルなんて、意味ねぇだろ」
「昼間は何もできねぇ、欠陥能力だ」
そう言われ続けてきた。
でも、気づいた。
“月”は空だけにあるんじゃない。
丸いものの中に、“魔力の形”として息づいている。
見方を変えれば、世界中が“月”だらけだ。
それに気づいた時から、彼の人生は動き出した。
「──ビーストモード。」
泰弘はそっとつぶやいた。
発動の構えを取るわけでもない。
ただ、心臓の鼓動に意識を合わせる。
静かに、ゆっくりと。
赤い紋様が手の甲に浮かび、すぐに消える。
呼吸が整い、痛みも少し和らぐ。
戦いのあとに、獣の力が自分を癒す。
それもこのスキルの一部。
“獣”は、戦うためにあるだけじゃない。
生きるためにある。
「……そういうこと、か。」
空を見上げると、雲が流れ、星が滲んだ。
その光の中で、泰弘は誰かの声を思い出す。
――「泰弘、優しすぎるお前が戦うと、きっと苦しくなるぞ」
それは、魔法使いの優の声だった。
最初に戦った相手であり、かつての友。
彼を倒した夜から、泰弘の中にはずっと痛みが残っている。
敵を倒すたびに、心が少しずつ削られていく気がした。
けれど、止まれない。
止まったら、きっと“無”のように消えてしまうから。
「優……お前、見てるか。
俺、ちゃんと立ってるぞ。」
静かに呟く。
月光が頬を撫でた。
それが、答えのように感じた。
風が吹き、広場に散らばった破片が転がる。
その中に、小さな丸い石。
泰弘はそれを拾い、ポケットに入れた。
光の反射で、ほんの少しだけ“月”に見えたから。
「これで、どこにいても戦えるな。」
笑う。
その笑顔は、どこか寂しくて、それでも強かった。
足を踏み出す。
瓦礫を越え、夜の街へ。
遠くで、森がざわめいた。
風に乗って、木々がぶつかり合う音が聞こえる。
「……“林”、か。」
呟いた声に、微かな緊張が混じる。
スピード最強の四天王。
“風より速く、影より軽い”と呼ばれる存在。
姿を捉えた者はいないという。
「無より、めんどくさそうだな。」
そう言って、泰弘は肩を回した。
骨が鳴る音が、静かな夜に響く。
月が高く昇り、彼の背を照らした。
獣の影が、ゆらりと伸びる。
その影は、次の戦場を指していた。
「行くか。」
風が吹いた。
夜が裂けた。
泰弘の足元で、再びビーストモードの紋様が輝く。
その光は、まるで“次の章”への号砲のようだった。
──そして、泰弘は歩き出す。
新たな敵へ、次の“月”のもとへ。




