第3話 決着
世界が沈んでいく。
地面も空も、全てが黒に溶けた。
輪郭が消え、音が死んだ。
ここは“無”の中──存在が消滅する空間。
泰弘は、拳を握ったまま立っていた。
視界がなくても、感覚は残っている。
心臓の鼓動だけが確かに響いていた。
「……これが、お前の本気か。」
“無”の声が響く。
その声は近くであり、遠くでもある。
空気の流れもなく、重力さえ揺らぐ。
「全てを“無”に還す。
お前の力も、記憶も、名も。
何もかも、ここで消える。」
「……消える、か。」
泰弘は笑った。
その笑いは、静かだった。
けれど、芯があった。
「いいじゃねぇか。
消える直前まで、全力で生きてりゃ、それで十分だ。」
その瞬間、拳から赤い光が漏れた。
ビーストモードが、再び反応する。
けれど、満月はもう見えない。
“丸いもの”も、どこにもない。
──それでも、泰弘は目を閉じなかった。
「なぁ、“無”。
俺の中の“丸いもの”を、見つけたんだ。」
静かに胸を叩く。
「心臓だよ。これも、丸いだろ。」
一拍、鼓動。
赤い光が、全身に広がる。
魔力が共鳴し、獣の紋様がさらに濃くなった。
「……馬鹿な。
自己魔力でビーストを維持するなんて──!」
「バカって言われ慣れてんだよ。」
泰弘が吠えた。
空間が裂け、赤い獣が咆哮する。
黒の世界を貫くように、紅の光が奔った。
“無”の影が揺らぎ、形を保てなくなる。
「俺の力は“月”だけじゃねぇ。
“俺自身”が獣を呼ぶ。」
“無”が絶叫する。
その身体が膨張し、闇の中で巨大化していく。
無数の腕、顔、影。
地獄のような姿を取って、泰弘を飲み込もうと迫る。
「終わりだ、泰弘!!」
「終わるのは──お前の方だ。」
泰弘は地面を蹴った。
影の海の中を一直線に突き進む。
赤い光の尾を引き、両腕に炎のような魔力をまとわせる。
“無”の巨大な腕が振り下ろされる。
衝撃が空間を震わせ、光が弾ける。
泰弘は拳でそれを受け止め、そのまま跳び上がった。
「ビーストモード──最終解放!」
獣の咆哮が轟く。
彼の背に、炎と光の翼が広がった。
人と獣の境界を越えた姿。
“月獣形態”。
「無を超える、存在の証明だ。」
泰弘は空を蹴り、拳を振り下ろす。
“無”の中心へ、まっすぐに。
拳が闇を貫いた瞬間、世界が白く染まった。
爆音。
空間の裂け目から、光が溢れ出す。
圧縮されていた現実が、一気に弾け返った。
瓦礫の広場。
夜空。
冷たい風。
すべてが、戻ってきた。
泰弘は膝をついた。
息が荒い。
全身が焼けるように痛い。
だが、立っていた。
その前で、“無”が崩れ落ちていた。
黒い煙となり、風に溶けていく。
最後の瞬間、かすかに声が聞こえた。
「……俺を、“見た”か。」
「見たよ。
ちゃんと、見えた。」
“無”は微笑んだようだった。
そして、完全に消えた。
泰弘は拳を握り、夜空を見上げた。
満月が、静かに光っている。
血で濡れた頬を風が撫でた。
「……ままならないな。」
呟いて、笑った。
痛みも疲労も、全部が生きてる証だった。
勝っても、完全じゃない。
それが、いい。
「さて。四天王、あと三人か。」
風が吹く。
どこか遠くで、雷鳴が響いた。
次の敵が動き出している予感が、泰弘の胸をざわつかせる。
「次は……“林”だったな。」
赤い目が、月の光を反射した。
夜はまだ、終わらない。
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