第2話 自分
目の前に立ち並ぶ“自分”。
十体の泰弘が、まったく同じ構えで、同じ呼吸で動いていた。
わずかな風の乱れまで、寸分違わない。
まるで、鏡の中に閉じ込められたようだった。
「……自分の癖って、こんなにバレバレだったんだな。」
泰弘は笑った。
笑いながら、心臓の鼓動を数える。
一拍、二拍──
自分の影たちの呼吸と、ずれていない。完全に同調している。
“無”の能力は、ただ姿を消すだけじゃない。
「存在」を写し取る。
だから、相手の感情や意志さえも、ある程度は再現できる。
「ビーストモードの、俺をコピーするってか……洒落てるな。」
「お前の力が強いほど、俺の勝ちが確実になる。」
“無”の声が四方八方から響く。
「自分自身を、どうやって倒す?」
泰弘は口を開きかけ──やめた。
代わりに、笑った。
「倒す必要は、ねぇよ。」
ビーストモードの赤い瞳が光る。
次の瞬間、影たちが一斉に動いた。
全員が泰弘と同じタイミングで飛び込み、拳を突き出す。
衝撃が走り、地面が陥没する。
破壊の嵐の中、泰弘は自分の足を止めずに跳び上がった。
拳と拳がぶつかる。
骨が軋み、皮膚が裂ける。
影の泰弘の拳が、正確に本体を狙う。
痛みも本物。
だが、泰弘は笑っていた。
「やっぱり……自分が一番、やりづらいな。」
空中で身をひねり、蹴りを放つ。
一体の影が吹き飛ぶ。
だが、すぐに新しい影が地面から生まれた。
「数が減らねぇ……っ!」
“無”の笑い声が響く。
「影は、闇がある限り増える。お前が戦えば戦うほど、夜が深まる。」
泰弘の肩に血が流れる。
体は限界を越えかけていた。
けれど、その眼だけは濁らない。
満月が、雲に隠れた。
闇が濃くなる。
影たちの動きが速くなった。
──まずい。ビーストモードの力が下がっていく。
「月が……!」
泰弘は周囲を見渡す。
丸いもの、何か、何でもいい。
“魔力を感じる丸いもの”が視界に入れば、再び発動できる。
そのとき。
瓦礫の中に転がる、砕けた街灯のガラス。
その破片の中に映る、ぼんやりとした自分の瞳。
ガラス片の輪郭が、光の加減で丸く見えた。
「……よし。」
その瞬間、胸の奥が再び熱くなった。
魔力が沸き上がり、全身に獣の紋様が浮かぶ。
ビーストモード、再発動。
爪が輝き、足元が砕ける。
「第二段階、全開。」
泰弘は跳んだ。
風が爆ぜ、音が遅れて追いかける。
影たちが同時に迎撃に動いたが──
泰弘はその軌道を読み切っていた。
拳と拳がぶつかる。
光と闇の波動が炸裂する。
衝撃が広場を吹き飛ばす。
「無駄だ。」
“無”の声が再び響く。
「影は影、本体を超えられない。」
「そうだな。だから──」
泰弘は、地面を蹴りながら吠えた。
「影に“月”はない!」
その言葉と同時に、瓦礫の隙間から差し込んだ光が、広場を照らした。
一瞬だけ雲が切れ、満月が顔を出す。
光を受けた影たちが、一斉に揺らめいた。
「影ってのは、光があって初めてできる。
でも、月の光を浴びた影は……“反転”する。」
泰弘の目が光った。
拳を握る。
魔力が、月光を吸い込むように増幅する。
ビーストモード・第三段階──“月光解放”。
空気が震える。
影たちの輪郭が崩れ、形を保てなくなった。
“無”が叫ぶ。
「そんな……!」
「悪いな。お前の能力、“光”に弱いって、今ので確信した。」
泰弘は走り出す。
影の海を突き抜け、音速を超える一撃を叩き込む。
光と闇が衝突する。
衝撃波が夜空を裂き、雲を吹き飛ばした。
満月が、すべてを照らす。
影が、消える。
だが、まだ“無”の気配は残っていた。
空気の奥。
瓦礫の下。
声が低く響く。
「……お前、面白い奴だな。
俺をここまで追い詰めたのは、王以来だ。」
「だったら──」
泰弘は拳を構える。
「“無”の名に恥じない最期を、見せてみろ。」
“無”が立ち上がる。
その体から、黒い霧のような魔力が噴き上がった。
空気がねじれ、重力が歪む。
世界が、暗転する。
泰弘の足元が再び沈み、影が蠢く。
今度は、影ではない。
現実そのものが“無”に侵食されていく。
「この世界ごと、消してやる。」
空間が崩壊する。
建物が溶けるように消える。
光が吸い込まれ、声も届かなくなる。
泰弘は歯を食いしばり、拳を固めた。
──ここからが本番だ。
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