6話 隠し事
「最近眠れていないの?目の下にクマができているよ」
「えっ!!」
そっと頬に触れられる。スヴェインの手は温かかった。
「嫌だわ。少し考え事をしていたからかしら」
ほほほとシャノンは笑って誤魔化した。
スヴェインに事業をしている事は話していない。イアンと立ち上げた事業はスヴェインのデート時間を活用して考えたものだ。スヴェインが知る由もないだろう。
シャノンは王妃教育には影響が出ないように細心の注意を払っていたが、月の雫ブランド2号店オープン準備で深夜まで店舗の資料確認をしていたのだ。資料は全て許可を出し今朝方にはプリシラに担当者に回して貰えるように取り計らってもらった。
「そう。それならいいのだけれど」
すっかり婚約者役が板についてしまっているシャノンはもうあの頃のようにスヴェインの笑顔1つでドギマギするような初々しい時期は過ぎ去ってしまっていた。
それでも初恋の人の笑顔は嬉しいものだ。にっこりと笑いかけるスヴェインにシャノンも笑みを返す。
「今日はどちらに?」
「うん。新しくできた植物園を見に行こうと思ってね」
「まぁ。それは楽しそうですね」
「そうなんだ。君にはとても助けられているよ。シャノン。いつもありがとう」
スヴェインはシャノンの額に口付ける。彼はたまにこうやって、まるでご褒美だと言わんばかりに口付けをくれる。
はじめはきゃあと顔を真っ赤にしていたシャノンも3年も経てば慣れたものだ。スヴェインはシャノンを2番目に愛するという約束を守ってくれていた。
シャノンはほんの少し罪悪感を覚えながらスヴェインを受け入れるのだった。
「イアン?居ないの?」
植物園に行くライラとスヴェインを見送り、シャノンはライラに扮していつものカフェを訪れていた。
イアンはいつもシャノンより早くカフェに来て待っていてくれる。
居ないのは珍しいと個室に入っていく。
「あら?」
ふと見ると、彼のジャケットが椅子に掛けられていた。
どこか出ているのだろうか。持ち込みOKなこのカフェにイアンはたまに外から買ってきたお菓子やケーキを持ち込んでくれていた。
(きっとまたなにか買いに行ってくれてるんだわ)
シャノンはそう納得した。
そっと、置かれた彼のジャケットに触れる。ちょっとだけならと魔が差してしまったのだ。シャノンはそっとジャケットを取ると、それを羽織る。
ブカブカのジャケットはすっぽりとシャノンをおおってしまう。
ふわりと香るのは柑橘とムスクが混じりあったようなそんなイアンの香りだ。
「ふふ、イアンに抱きしめられてるみたい」
そんな事を言いながらきゅっと現状に酔いしれる。うっとりと浸っていたシャノンは背後から近づいてくる本物に気づいていなかった。
「本当に抱きしめてあげようか?」
「えっわっ!」
ぎゅうっと背後から暖かい身体に抱きすくめられる。片腕にケーキの箱を持ったイアンだ。
急な出来事にシャノンはひぇっと情けない声を出してしまった。
「い、イアン!?ち、違うのこれは実際に香水を使ってる人がどんな……」
「なにもかも放り出して俺のところに来ればいい」
「っ!」
「スヴェインの元にいても君はきっと幸せにはなれないよ?」
ひゅと息が止まるかと思った。
耳元で囁かれる甘美な言葉に思わず頷きそうになってしまっていた。きゅうと締め付けられる力が強まる。
「ダメよイアン。私はスヴェイン様の王妃だもの。それにライラを放ってはおけないでしょう?」
シャノン自身が望んだことだ。それにシャノンがいなくなればライラは放り出されてしまいスヴェインは困ることになるだろう。
スヴェインの事を思うシャノンはどこまでも忠臣だった。
例え彼への恋心が薄れ目の前の男に恋焦がれようとも、スヴェインの役にたたねばと王妃教育で刷り込まれた感情はイアンの元になびくのを良しとしなかった。
離してとイアンの手を軽く叩けば、彼はそっと手を解いてくれた。シャノンはごめんなさいとジャケットを返す。イアンの顔を見ることは出来なかった。
「辛くなるよ?」
「そんな事ないわ。上手くやってるでしょ?私」
にっこりと笑いながら見やると、イアンの方が泣きそうな顔をしていた。
イアンははぁとため息をついてガシガシと頭を搔くと思いついたように自分の片耳に手をやった。
イアンは両耳に着けていたシトリンのピアスの片方を外すとシャノンの手を取り押し付けるように渡してきた。
「もしも全てが辛くなればこれをつけてほしい。何を捨てても必ず迎えに行くから」
包み込まれた手は温かく、小さなピアスをシャノンは受け取ることになった。