5話 3年後。事業は楽しい
「聞いてイアン!今度の新商品!尋常じゃないくらい売れてるの!やっぱり民間層をターゲットにしてみて良かったわ」
「良かったじゃないか」
イアンはいつものカフェでコーヒーを飲みながら穏やかにライラに扮したシャノンを迎えた。
あれから3年。20歳になったシャノンは相変わらずスヴェインとライラの隠れ蓑役の婚約者として過ごしていた。
今日の2人は視察デートだ。視察デートは良い。遠くまで馬車で向かわなければならない2人は今回3日も帰ってこない。その間のシャノンは王城不在ということになり城下に借りている小さな家で暮らすことになる。王妃教育が免除されるうえにめいっぱい事業の計画を練ることができるのだ。楽しいことこの上ない。
「エヴァンス嬢の新作か……私も興味あるな。サンプル貰える?」
「勿論!そう言うだろうとおもって持ってきたわ」
コトリと机に置かれた薄紫色の小瓶には月と雫がモチーフの模様が彫り込まれている。シャノンが経営する「月の雫」というブランドのロゴマークだ。
シャノンは化粧品ブランド「月の雫」を3年前にイアンの助けを得て一人で立ち上げた。はじめは右も左も分からなかったが、アデライン・エヴァンスという魔術師と出会い一気に軌道に乗り始める。
アデラインは日陰者の魔術師だった。日夜薬草と向き合い歪な実験をしているという噂の彼女をシャノンは一緒に事業をしないかと勧誘した。アデラインは引きこもりで最初は王太子の婚約者からの命令と渋々商品を提供してくれていたが、自分の作った商品が売れに売れまくると調子に乗ったのか楽しかったのか最近では積極的に事業に参加してくれている。
彼女を中心に添えた製造工場を作ったり、小瓶の制作の為に鍛冶屋に赴いたりとシャノンも事業の為に奔走し、今では知らぬ人の居ない化粧品ブランド「月の雫」としての立ち位置を確保している。
今度王都から離れた場所にブランド店舗の2号店をオープンさせるということでシャノンは忙しかった。王妃教育との両立は少し大変だったが、イアンが紹介してくれた優秀な人材達のおかげでしっかりと事業は回っていた。
「香水か。いい香りだね」
「プリシラがね、やっぱり柑橘系の香りの香水は絶対に売れるからってアデラインに熱弁してね。大当たりだったわ」
プリシラとはイアンが紹介してくれた人材の1人だ。優秀な彼女はシャノンの侍女を務める傍ら事業の方に指示を出す、橋渡し役となってくれている。
「男性でも使いやすいんじゃないかい?これ。私も1ダース買おうかな」
「まぁ!ありがとう!そうなのよ意外だったのがそこでね!顧客の販売リストを見ても男性客からの購入もいっぱいあるの」
シャノンは上機嫌でバラリと情報の記載された紙を机に広げた。
「この間の星屑リップの売れ行きも上々でね!あ、月光エッセンスはリピーターが絶えなくって主戦力なのはかわらないわ」
「そろそろ国外販売も視野に入れても良さそうじゃないかい?」
頬杖をつきながら笑うイアンにシャノンも同意した。
ふと紙を取るシャノンの手がイアンの手と重なる。一瞬の出来事にシャノンはサッと手を引っ込めたがドキドキとする胸は抑えられなかった。
チラリとイアンを見やると彼は気にしても無さそうに紙を眺めている。
ホッとするような、残念なようなむず痒い気持ちにしっかりと蓋をする。
自分はスヴェインの王妃になるのだ。
3年の月日で新たに生まれてしまった恋心など悟られぬようにするのが一番良い。