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ハルミアから刺繍を依頼され、翌日の昼間、シリウスは中庭でケープを握りしめていた。
シリウスは、計画の立たないことが嫌いな男である。自分で目標を決め、こつこつと計画を立て実行することはできても、他人に突然課題を投げられいつでもいいと言われると困ってしまう。
彼は大抵他の予定を鑑みて、突然入ってきた仕事に最優先の順位をつけて無理にでも消化して、事なきを得ることを繰り返してきた。
よって、今回もシリウスはケープを縫い、オルディオンの屋敷のあちこちに竜を象った家具があることを思い出し、ケープに竜を刺繍していた。あまり原型を留めた図面だと老婆にはいささか厳めしい気がして、身体は色とりどりの花にした。遠目で見れば竜に、近くで見れば花々の刺繍に見える一品で、彼自身会心の出来だと自負がある。このまま使用人に包ませハルミアに送り届けてやるのもいいが、まずは見せてやろうと彼がハルミアの部屋に向かうと、ノックをしても返事がない。では中庭かと姿を探しても、そこには誰もいなかった。
「旦那様。どうされましたか?」
待っていればここに来るか、それとも部屋の前で待つか考えていると、庭の真ん中で仁王立ちしているシリウスの背中に声がかかった。振り返ると洗濯物を取り込んだ侍女のアンリが首を傾げている。
「……ハルミア様の姿が見えないのですが……今どちらにいるかご存知で?」
「いいえ……もう午後ですから、墓参りへ向かわれているではないと思うのですが……」
「誰のですか?」
「えっ、決まっているじゃないですか。ハルミア様のお父様とお母さま、そしてお姉さまのリゼッタ様のですよ」
アンリの言葉にシリウスは霧が晴れたような、奇妙な感覚がした。そもそも自分がこの屋敷に来てから、自分のことで精いっぱいで気に留めなかったものの、ハルミアの伯爵や夫人、そしてその姉、リゼッタは亡くなっている。
婚姻はあまりに急で相手の家を知ることより自分の身の潔白をどう主張するかだけを考え、そのあとは家に戻れないと絶望し、オルディオンの家について考えたことは、今の今まで一度たりと無かった。
まだ王都にいた頃、オルディオンの夫妻とその娘が事故で亡くなったことは新聞、そして貴族たちの間を瞬く間に駆け巡り、しばらく夜会はその話題で噂になった記憶がシリウスには確かにある。
夏のある日、突然降った大雨により、夫妻とその娘が乗った馬車は崖から落ちてしまったのだ。夫妻には血の繋がらない養女がいて、実の娘は死に養女だけが生還したことから皮肉だと言われ、しばらくの間貴族たちの話題の種となっていた。
思い返してみればハルミアは深い紫の髪に赤い目をしている。一度シリウスは王都の防衛会議の際、オルディオン伯爵と夫妻を見たことがあった。ハルミアとは異なる色合いであり、そもそもハルミアは、この国であまり見ない容姿をしていた。
オルディオンの養女は、死神だ。あの娘が死を招いたのだ。
誰かがそう言ったような記憶が、シリウスにはある。シリウスが以前ハルミアを死神令嬢と罵ったのは、毎日毎日黒を身に纏っていたからだ。どう見ても辛気臭く、また自分を迎え入れる時も同じで馬鹿にしているのかとすら思っていた。
しかし、彼女が死神令嬢と呼ばれる由縁が、家族の事故にあったのなら。
なんてことを言ってしまったのだろうと、シリウスは愕然とした。ケープを持ち顔を青くするシリウスを見て、アンリは怪訝そうにする。
「どうしました、旦那様……あ。ハルミア様」
会い辛い。直感的にシリウスはそう思ったが、彼が振り向くとすぐ近くにハルミアは来ていて、逃げるに逃げられなくなった。さらにアンリが「旦那様、今ちょうどハルミア様を探していたのですよ」と付け足したことで、退路は完全に絶たれてしまう。
「シリウス様、どうされたのですか……あ、それってもしかして……」
「そうです。ケープが完成しました」
シリウスは出来上がったそれをハルミアに渡す。上手く視線を合わせられずにいると、無邪気に感心するハルミアの声が聞こえて、シリウスは胸が痛くてどうしようもなくなった。
「では、私はこれで……」
「待ってください。これ、せっかくですし明日持っていきませんか?」
「えっ」
「早くヴィータさんに見てもらいたいですし……。シリウス様、明日のご予定は空いていますか?」
「空いているも何も、私に予定なんてありませんが」
不貞腐れた声色になってしまい、シリウスは俯いた。しかしハルミアは気にすることなく「では、明日持っていきましょう」と笑いかける。
「あっ、そうだ。せっかくですし、ケーキを焼いて持っていきましょう。良ければこれから作りませんか?」
「これから?」
シリウスが驚いている間にも、ハルミアは「はい!」と明るい返事をして、どんどんアンリと話を進めていく。
「アンリ、厨房は空いていますか?」
「はい。料理人たちは買い出しの時間ですし、大丈夫ですよ」
ハルミアは早速と言わんばかりに厨房を目指して歩き出す。シリウスはそんなハルミアに引っ張られるように、しかし手を捕まれることもなく彼女の後を追ったのだった。
◇◇◇
「では料理をしましょう!」
ハルミアは、厨房に向かうと黒いドレスから、暗い色のエプロンと軽装に姿を変えた。いつだってハルミアは黒を身に纏って、露出も殆どない。しかし今日は二の腕あたりまで露わになっていて、その細さや白さにシリウスは驚いた。
「どうされました?」
自分を凝視するシリウスに、ハルミアが首を傾げた。彼は咳ばらいをしてふいと顔を背けると、すぐ目の前に真っ白なエプロンが出された。
「シリウス様のものです」
シリウスは、ハルミアにこそこそ食事を運んで以来、なんとなくローブを被っていたり、被っていなかったりする。自分でこそ理由はわからないが、なんとなくローブがないと不安な時とそうではない時がある。そして今日彼はローブを着ている日で、ハルミアの気遣いはありがたいものだ。
「……どうも」
シリウスはハルミアから目を反らしながらローブを受け取り、それを身に着ける。彼女に倣って袖をまくり、言われるがまま手を洗うとハルミアは「では!」と麦の粉や大きな瓶をいくつも取り出した。
「今日はケーキを焼きます。まずは、生地作りです。そのあと上にのせる苺を煮て、二つを合わせて完成になります」
シリウスは目先の計画が立たないことが苦手だ。ハルミアに自分の気質が知られているのか、自分をよく見ているのかと考えている間に、彼女は深皿に麦の粉、バター、砂糖を入れ始め、「こうやって切るように混ぜてくださいね」と器具を渡してきた。
「私は初めてですよ? 人に渡すものを任せていいのですか?」
「大丈夫です」
安心させ言い含める声色に、シリウスは幼子として扱われているのかと不服に感じながら手を動かし始める。雪のようにさらさらした粉や砂糖たちは、バターと混ざり合いぽろぽろとした塊になっていった。まだ混ぜるのかと思いながらハルミアのほうに目を向ければ、彼女は山苺を刻んでいる途中だった。その華奢な指先を艶めいた赤で染まり、シリウスはどきりとする。
「あ。そろそろ卵を割り入れたほうが良さそうですね」
ハルミアは生地を見て手早く手を洗い、卵をぽんぽんと片手で軽快に割り入れた。指示されるがままシリウスが混ぜていくと、ばらばらだったものが卵液と混ざり合い徐々にクリーム状に姿を変えていく。ハルミアはさらに追加でミルクを加え、深皿の中身はとろとろの液状のものへと変化した。
「こんな風に、変わっていくんですね……今は液状なのに」
「はい。最終的には綺麗なケーキになりますよ」
ハルミアは苺を煮始めたため、もう手は赤く染まっていない。なのにどこか落ち着かずシリウスは視線を彷徨わせる。甘酸っぱい苺の香りが部屋いっぱいに広がって、ケーキを食べている時よりずっと甘く感じ喉の渇きを強く感じた。
「味見しますか?」
「え」
「山苺のジャムです。まだ完成ではないですけど、この辺りの山苺はとても甘みが強いので、煮詰めなくても美味しいですよ」
ハルミアに小皿を渡され、シリウスは戸惑いながら口をつける。舌先に酸味を感じた後に、すぐに強い甘みが迫ってきた。
「少しレモンを足して酸味を加えますか?」
「どうでしょう……」
心ここにあらずな返事に、ハルミアは迷いながら鍋の木べらを動かす。その姿を見てシリウスは何とも言えない気持ちになった。
今までハルミアがこうして料理が出来ることは、彼女の特性のようなものだとばかり思っていた。しかし、その身に降りかかった不幸を知った今、その特性は本当に彼女が望んで得たものなのかと疑問が残る。そうして得た負の遺産を、自分を死神令嬢と罵った男に惜しげもなく与えてしまうハルミアを思い、ぎりぎりと胸が締め付けられた。
「……すみませんでした」
「え……」
「死神、令嬢なんて、言ってしまって。それと、他にも、お前なんて、好きになるわけないとか、利用価値がないだとか、言って……」
ぽつぽつと、それも突然反省の言葉を発し始めたシリウスにハルミアは驚き、手の動きを止めた。
「貴方だって、望まぬ婚姻を強いられた被害者であったのに、俺は、いつだって被害者ぶって、食事だって取らず、捨てさせて。お礼の一つも、言わないで……」
シリウスは握りしめていた調理器具から手を離し、ハルミアに向かって頭を下げる。騎士としての最上位、王族相手にしかしない傅き方をした彼に、ハルミアは慌てて首を横に振った。
「やめてくださいシリウス様。もう過ぎたことです」
「そんなことはありません。したことは消えない。……本当に、申し訳ないことをしました……」
一歩も引かないシリウスに、ハルミアは戸惑い、どうしていいか分からずただただ彼に向かって伸ばしかけた手を彷徨わせた。
「シリウス様……」
「すぐに、謝ることも出来ず、避けておりました。どう謝っていいか、分からなかったんです。二十五年と生きて、酷いことをして、どんな風に謝れば、いいのかということも……それに、私は、お礼すら貴方にまともに伝えられなくて――」
シリウスの言葉に、ハルミアが自分の手のひらをきゅっと握りしめた。自分には、謝罪される価値なんてない。人殺しなのだから。しかしそれを言い出せず。口を引き結んだ。静かに目を閉じ、三人の最後の表情を思い浮かべ、彼女は目を開く。
「……私は、かつて、かつて罪を犯しておりました。シリウス様が知らない、私がいるのです」
「ハルミア様……」
「私は、もうその罪を、終わりにすることが出来ません。でもシリウス様は、終わりにすることが出来ます。ですから」
ハルミアが、震える手でシリウスの肩に触れた。そして彼の夜空色の瞳を見つめる。
「今日で、終わりにしましょう。これからを、考えましょう」
シリウスの言葉を待たず、彼女は「お願いします。これから」と頭を下げる。シリウスはしばらく見つめ、やがて「分かりました」と頷いた。
「ありがとうございます、ハルミア様」
「いえ。……ケーキ、作りましょう。後は焼いて、上にジャムをのせるだけですから」
作りかけの材料を示し、ハルミアはシリウスの方へ向く。シリウスは頷いて、二人は作業を再開したのだった。
◇◇◇
麗らかな午後の昼下がり。赤々と熟れた木苺が豊富に実るオルディオンの森の小道を、ハルミアとシリウスが並んで歩いていく。
小道はきちんと舗装されていて、赤銅色の煉瓦が均等に墓地まで並んでいる。墓地に近づくたび、実りある青々とした木は、墓地に近付く度にが色味を失っていった。やがて漆の竜のアーチが見えてて、そばでは墓守の老婆、ヴィータが大きな箒をもってあたりの枯葉をさらっているところだった。
「ヴィータさん」
「ああ、また来たのか」
ハルミアが手を振ると、ヴィータは分かったと言わんばかりに頷き、素っ気なく手を上げる。
偏屈な老人と聞いていたものの、その容姿が絵本の悪い魔女そっくりな老婆を見て、シリウスはぎょっとした。
「こんにちは、ヴィータさん。えっと、こちらが――」
「なんとなく見りゃ分かるさ。あんたの旦那だろう」
ヴィータが胡散臭いものを見るような目でシリウスを見る。ぎょろりとした爬虫類を思わせる老婆の目つきに彼はやや後ずさりながらも、挨拶をした。
「えっと、シリウスと申します。よろしくお願いします」
「ヴィータだ。あたしゃ骨になってない人間とよろしくすることはないよ」
ふん、と鼻で笑われ、シリウスは眉間にしわを寄せた。ヴィータは気にすることなくハルミアに向き直る。
「で、婿引き連れてなんでお前は墓場なんて来てるんだい。そこを下ったところに湖でも何でもあるだろうよ。正気かい?」
「今日はヴィータさんにケープとお菓子を持ってきたんです」
「本当にお前は物好きだねえ。あたしなんかに構ってそのうち愛想つかされても知らないよ」
歯に衣着せぬヴィータのやり取りと気に留めないハルミアの問答を見て、シリウスは圧倒されてしまう。しかしすぐに「彼が刺繍をしたのです」と話の矛先を向けられはっとした。
「えっと、僭越ながら私が刺繍をさせて頂きました」
一応微笑んで見せたものの、ヴィータはシリウスの顔など目もくれずケープの刺繍に、竜に見入っていた。余程気に入ったのか、それとも逆か、ただただ黙って微動だにしない。
「竜か……腕がいいね。これで婿殿は生きるつもりかい?」
「いっいえ、そんなつもりは……」
「色遣いはまだまだだけど、技術は街で物売りしてる奴らと張り合えるよ。嫁の言いなりになって死にかけの婆の相手なんてしてないで家に金を入れな」
どう返事をしていいか分からず、シリウスは口ごもる。ヴィータは「でも、これは貰っておくよ」とケープをひっつかみ、顎でついてくるよう二人に示した。
「茶くらいは出せるけど、どうするんだい」
「どうしますか?」
ヴィータの言葉に、ハルミアはシリウスの顔色を窺った。彼もまた「私も予定はありませんので」と頷く。無理はしていない様子に安堵して、ハルミアがヴィータに笑いかけた。
「では、お言葉に甘えさせてください」
「ふん。じゃあついてきな」
二人そろってヴィータの後ろについていく。墓守は基本的に墓の近くに住むもので、ヴィータの住んでいる小屋は、丁度墓場の裏手の墓参りに来る人間が通ることのない崖を背にした位置に建っている。円筒状の壁は黒く平たい屋根には鴉が羽を休めていて、遠方から見れば大きな墓にも見える外観だ。
「中にお入り」
壁と同色の木造りの扉を開いて、ヴィータが中に入るよう促す。ハルミアは普段通りの様子で、シリウスは緊張した面持ちで入っていった。中は外見で見た通り、丸い円筒の部屋で壁伝いに棚と一体化した螺旋の階段が続いている。寝泊まりしているのは二階よりも上で、一階は食事や客人をもてなす場所として使っているらしく台所と中央に四角い机、四人掛けの椅子が並んでいた。
「ったく、立て付けが悪いったらありゃしない」
最後に家に入ったヴィータが大きな音を立てて扉を閉じ、ハルミアを呼んだ。
「お前はわざわざケーキなんて持ってきたんだから自分で責任もって切りな」
「はいっ!」
「で、婿殿はこれで机を拭きな。座っておやり。彷徨かれるのは好きじゃないんだ」
ヴィータの視線の先、シリウスは部屋の中央の椅子に座った。階段の用途も兼ね備えている棚には、二百年ほど昔の年代が書かれた雑誌や、書籍が所狭しと並んでいる。部屋を半分に分割するように、片側は図鑑や賭博誌。もう一方は恋愛色の強い物語や料理に関するものと区分けされていた。シリウスが見入っているとケーキを切り分けたハルミアが戻り、ヴィータが紅茶を並べた。
「茶だよ。御貴族様の口に合うかは分からんけどね」
ハルミアとシリウスが並び、ヴィータと向かい合って座る。ヴィータはハルミアたちの焼いたケーキを見て「見目は悪くないね」と皮肉めいた声色で言ったあと、シリウスに顔を向ける。
「で、なんで婿殿は老人の本棚をじろじろ見ていたんだい」
「いえ……あの、かなり昔の書物があるのだなと思って……。あと、あの、ああいった物語を読まれるんですね」
「ふん。あんなものあたしは読まないさ。あれは同居人の本だよ」
「同居人……ご主人ですか?」
「まあそんなもんだね。あたしのことほっぽって、海の向こうにひとっ飛びさ」
「それは……、すみません。聞いてしまって」
「別に構いやしないさ。どうしたって命が違えば死に別れるしかない運命なんだから。はぁ、本当に、ろくでもない男に捕まっちまったよ」
ヴィータは身に着けている牙の首飾りを握りしめた。シリウスは話を変えようと、首飾りに視線を向けた。
「この辺りの方は、皆竜神教に入っているようですね」
「らしいね。竜なんてろくなもんじゃないよ」
「そうなんですか?」
「ああ。あれらはね、人間とは異なる時間に生きてるんだ。人間がどうこうする相手じゃないんだよ。それにここら辺の馬鹿どもは神様扱いしてるけどね、全然神様なんて高尚な存在じゃあないのさ。獣と一緒だよ。畜生と同じさ」
鼻で笑うヴィータを見て、シリウスは疑問に思った。ヴィータは今、竜の牙の首飾りをつけている。しかし、口では獣と一緒などという。そして、部屋には竜の痕跡は見られない。
ハルミアに視線を向ければ、静かに紅茶を見つめているばかりだった。