最終話
ディミドリーフの王家は、正義の断罪者により、長年築き上げてきた暴虐の歴史に幕を閉じた。国の未来を担う子らから悪戯に魔力を奪った挙句、その魔力によって人から外れた者を東へと捨てた末、自身の道を阻もうとした辺境の一家を殺した悪しき王族は皆死に絶えた。そして今、ディミドリーフは隣国の協力や革命軍により新たな歴史を歩もうとしている。
奇しくも国が生まれ変わった日は、正義に生きたことでこの世を去ったオルディオンの伯爵、夫人、長女リゼッタの亡き日と重なったことで、毎年の雨季の半ばは、永年オルディオンの正義に散った者たち、王族により未来を悪戯に奪われた者たちの慰霊、犠牲となった者たちのために新しい未来を踏み出そうという決起の日というのが、この国を統治することとなった隣国の宰相、ダリウス・シャイルリードの名のもとに定められた。
今日は革命から一年が経ち、初めての慰霊祭だ。オルディオンの街並みは桃、橙、深緑などそれぞれリゼッタ、伯爵、夫人の好んだ色の傘が魔法を使って空に浮かべられ、その下では教会までの道のりを、純白の花々が縁取っている。
そうして人々が並び、教会へ向かっていく姿を、ハルミアはアンリの遺したスコープからそっと見つめる。しかし後ろからはたかれ、すぐ振り返った。
「なんだいお前は、そんな風にしてるならもう一回行って来たらどうだい」
ヴィータが怪訝な目をハルミアに向ける。ハルミアは「私はもう朝に行きましたし、それに私がいると騒がしくなってしまうので……」
慰霊祭の開催を主導したのはハルミアだった。伯爵一家を殺し財を自分のものにしようと企んでいた、と長年の間疑われていた彼女の潔白は証明され、同情の声が増えた。慰霊祭が行われるなら自分が行いたいと考え実行した彼女だったが、今朝方、自身が教会に向かうと遠方から訪れた者たちが謝罪がしたいと複数現れたため、慰霊祭の円滑な進行の為、姿を見せぬよう配慮したのだった。
よって今現在は、現在国営の中枢で働くこととなったノイルに任せ、ベスに彼の手伝いをするよう命じている。
しかし、ハルミアには慰霊祭を主導した責任があり、墓場からスコープを用いて見回っていたのである。
「もう、あれから一年になるねえ」
ヴィータが傘が並べられた街並みに目を向ける。桃、橙、深緑、そしてもう一つ。淡い黄色がある。生前アンリが好きだった色で、今日の慰霊祭も教会では伯爵と夫人、リゼッタ、アンリの名前が大きく書かれていた。
「はい……」
ハルミアが手元のスコープに視線を落とす。アンリは自分が死ぬことを全て計算していたようで、侍女の自分が抜けたときの為にベスを教育し、挙句隣国に自国の情報を流して、王家が落ちた際には統括してもらえるよう働きかけていた。
なぜそんな芸当が出来たかといえば、アンリは元は不義の子で、その相手が隣国の人間であり、その血だけで見れば辺境伯で働くべきではないほどの娘だということが、彼女が死んでから分かったのだ。
ハルミアが寂しげにスコープを撫でていると、彼女の足元に影が差した。顔を上げると、柔和な笑みが視界に映り込む。
「シリウス様」
「そろそろスコープでの観察を終えた頃かと思いまして。もうお昼の時間になりますし」
シリウスは手に持ったバスケットを軽く持ち上げる。握りしめた左手の薬指には、ハルミアのはめるものと同じ、光を受け七色に輝くシリウスの魔力石で出来た指輪がはめられている。
あれから、シンディーが亡くなったことで彼女が直々に結んだ契約の悉くが無効化された。ハルミアとシリウスの結婚は、シンディーが命じ、用意されていた司祭たちによって契約が結ばれた。しかしハルミアとシリウスの離縁はシンディーが無理やり執り行ったために、離縁だけがなくなったのだ。
「そうですね……もうこんな時間ですもんね」
ハルミアはスコープを抱きしめ、墓場を後にする。ヴィータは手を振り、彼女の隣に立ちながらも一言も発さなかったオズもハルミアたちを見送った。ハルミアとシリウスは、ゆっくりと山の奥、湖へと歩いていく。
「本当にいいのですか? 領民と昼食をとらなくて。食事会、誘われていましたよね」
「はい……」
ハルミアは、視界の隅、鬱蒼と茂る木々からこちらを覗くように見える双水岩の洞窟に目を向けた。洞窟は、王家の罪を忘れぬよう残すことが決められている。洞窟に纏わる真実を知ってから、ハルミアは自分の魔力があそこに込められているということよりも、どこか子供たちが集まって騒いでいる奇妙な感覚がしていた。実際、シリウスとともに初めてこの場所を訪れたとき、学び舎に通う子供たちがいた事実はないと後になったことも思い出し、その考えは確信に変わりつつある。
「何を考えているのです。僕の話を聞いていましたか?」
「あ……、ああ。今日の様子ですと、きっと弔いとは異なった状態になってしまうでしょうから」
「皆さんが謝って、ハルミア様は気持ちよくないのですか? 貴方を侮辱した者が謝っているのに」
「ええ。今日は慰霊祭が大切ですから」
ハルミアの言葉に、シリウスは「そうですか……」と残念がる。そして彼女に見えないよう、聞こえないように音を立てず指を鳴らすそぶりをした。その瞬間、ふわりと風が舞い上がる。
ちょうど向かいから、ハルミアを探しにやってきた遠方からの来客がやってきていたが、二人ははっとした様子で踵を返し歩いて行った。
これでよし、とシリウスはハルミアを見る。
「では、食事が終わったら、午後にもう一度町に降りましょうか。やはりハルミア様がいらっしゃったほうがいいと思いますし」
「分かりました」
ハルミアの返事に、シリウスは胸をそっと撫で下ろす。先程音も立てずシリウスが放ったのは、洗脳の魔術だった。それも、ハルミアと深く関わった者だけを除く、全国民に対する、極めて高位の魔法だ。
アンリにシンディーを捉えられる直前、ハルミアへの焦がれにより神子の力を覚醒していた彼は、かつてハルミアに綺麗な景色を見せる為にかけた幻覚の魔法。それを国民にかけた。
ただ一つ違っているのは、綺麗な景色なんてものではなく、精神に作用しているということ。
ハルミアにかけた魔法は視覚や聴覚のみに絞っていたが、国民に対しては聖域なく意のままに操り、ハルミアを傷つけることがないよう、害をなすことがないよう、傀儡にしてしまった
このことは、国を統治する隣国の宰相、ダリウスも知っている。彼はそもそもこの国が自国に刃を向ければ消しにかかるものの、そうでなければ特に関心がなく、今回介入してきたのは有益だからということでシリウスの振る舞いも黙認していた。所詮、シリウスが国民全員を精神操作によってダリウスの国と戦争になったところで、勝負は決まっているからだろう。
よって今日、ハルミアに謝罪をした人物たちは皆シリウスに操られた者たちだった。しかし加減の調整ができなかったことで、ハルミアが慰霊祭からいなくなってしまう予想外の出来事が起きてしまったのである。
やがて二人は湖に辿り着き、刺繍の敷布の上に座り、湖を眺め始めた。
「綺麗ですね」
「ええ」
シリウスは、そっとハルミアの膨らんだ腹を撫でた。中には、彼の子供が命を育んでいる。
オルディオンの夏が終わった時には、きっと元気な声をハルミアに聞かせているのだろうと、シリウスはうっとりした顔で笑った。
「どうされました?」
「ああ。来年にはこの子と貴女の作ったバゲットの取り合いをしていると思うと、感慨深いなと思っただけです」
「あ、赤子はバゲットを食べることは出来ませんよ……」
ハルミアが不安げにシリウスを見た。もともと研究気質なシリウスは、子についても学ぶようにしている。しかしそれも結局ハルミアの為でしかない。ハルミアの子ならば愛せるが、どうしても、ハルミアを生に繋ぎ止める為の楔を欲したシリウスは、重要なところで子への関心を落としてしまう。
「私は、いい父親になれるか、わかりません。何せ育った環境が特殊ですから、なので不安に思って、色々と可能性を考えてしまうのです」
「シリウス様……」
「暗い話をしてるわけではありませんよ。これから先、楽しみでもあるのです。貴女と家族になって、貴女の夫として生きることが」
シリウスは、ハルミアを見つめた。彼女の腹を撫でるのをやめて、そっと手を握る。
「ハルミア様。生きていきましょうね。この先、どんなことがあっても」
「はい」
ハルミアが、しっかりと頷く。安心するようにシリウスの方にもたれ、笑みを浮かべた。シリウスは、肩越しに伝わる温もりを感じながら、彼女の微かな呼吸音に耳を澄ませる。
もう二度と、シリウスはハルミアに自分の手を離させることをしない。料理を作るのと同じように、少しずつ少しずつ愛情を注いで、刺繍をつぶさに入れるように絶望を丁寧に潰していく。
逃がさない。何をしてでも、何を壊してでもこのハルミアの為に作り上げた優しい国で彼女と共に生きるのだと、シリウスはハルミアの手の平を縛るように握ったのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
新連載開始しておりますので、もしよろしければ。
ゆるふわな雰囲気ですが、アンリ系の友情ともいえない、恋愛ではない人間の繋がりが好きな方にもおすすめです。
◇トワのキッチン
中学二年生の女の子の隣に完璧アイドル(自炊力0)の女の子が引っ越ししてくる話
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