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「……あ」


 強い光に瞼を焼かれ、朧げにハルミアが目を開く。周囲を見渡せば真っ青な空が広がっていて、地に触れている部分は固く冷やりとしている。どうやら自分はどこかの屋上にいて横たわっていたのだと彼女が認識してすぐ、先程まで自分の近くにいた名を呼んだ。


「アンリ?」

「はい。ハルミア様」


 いつも通りの返事にハルミアは安堵しながら身体を起こす。彼女も無事だと声のほうへ振り返った瞬間、あまりの光景に絶句した。


 白いローブを纏ったアンリが、微笑んでいる。しかしその隣には王女シンディーが、それだけではなく、王も、王妃も、王子も、剣士ガイまでもが磔にされ、必死にもがいている光景であった。アンリの近くにはシリウスも拘束されていて、あまりの状況にハルミアが愕然とすると、自分のすぐそばで呻き声が聞こえた。


「ノイル様?」

「う……」


 先ほどのハルミアと同じく横たわっていたノイルは、胡乱に瞳を開いた。起き上がりながら頭を押さえる。アンリは「少々手荒すぎましたか」と、苦笑した。


「ノイル様は紅茶を飲んでくださらなかったので、魔法を行使させていただきましたが、やはりこの身体になってから力の加減が上手くいきませんね」

「アンリ……あなた、何を……」

「断罪ですよ。ハルミア様。この国は腐っているので、民のためにも膿を全て出さなければならないのです」


 そう言って、アンリは徐に手を開いた。すぐに瘴気とともに禍々しい色をした剣が現れ、彼女はそれを構えると、シリウスの首に向ける。


「アンリ!」

「安心してくださいハルミア様。貴女が私のお話を最後まで聞いてくだされば、私の邪魔をしなければ、貴女の旦那様をお返しして差し上げます。でも……」


 アンリは軽く剣で空を切った。ぱさり、とシリウスの毛先の一束が地に落ちる。


「次は首を狙います」


 感情のこもっていない瞳でアンリが口角を上げた。今まで、姉のように慕っていた彼女の変貌に、ハルミアは息を呑む。


「アンリ、貴女、貴女は、どうしてこんなことを……」

「それはですね。先程から一言も発さないノイル様ならご存知だと思います。ねえノイル様。貴方は王族がこの国の子供から魔力を奪い軍事利用したこと、そしてそれを止めようとしたオルディオン辺境伯、夫人……そしてリゼッタ様を殺したことを、知っていましたよね」

「……お姉様が……お母様が、お父様が、殺され、た……?」


 ハルミアの頭の中が真っ白になる。そして、ノイルへと振り返った。この国は腐っているという言葉。自分は地獄に落ちるという言葉。今まで聞いてきたそれらを思いだしながら、彼女はノイルへ振り返る。


「ノイル様、どういうことですか……」

「……」

「ノイル様!」


 声をかけても、返事しようとしないノイルに焦れたハルミアが肩を掴むと、やがて彼は苦し気に口を開いた。


「アンリの言ったことが、全て正しい。国は、生まれたばかりの子供から魔力を吸い取る術を独自に得て、平民や、娼館で生まれた子供を相手に実験をしていたらしい。当初は魔力が膨大にある人間から少しずつ得る計画だったらしいが、平民の、貧しい出の子供なら、飢え死にするのが関の山。どうせ客を取ることしかないのだからと、殆ど吸い上げていたんだ……」

「その被害者の一人が、貴女ですよハルミア様」


 アンリはハルミアを指した。自分に魔力がないことは、生まれつき。ずっと彼女はそう思っていた。だからこそ家族を一度に失ったあの時、やりきれない気持ちで、今日まで苦しみ生きてきた。


 しかし、それが作り上げられたものだった。静かに、静かにハルミアは、磔にされた王家を見る。ある者は目を見開き、ある者は悔しそうに顔を歪め、またある者は命乞いを繰り返していた。


「オルディオンの双水岩の洞窟。あれは紛い物です。切り出せないからと双水岩に似せ、魔力石の備蓄を行っていたのです。しかし、唯一、誤算がありました。子らから吸った魔力石を使った人間が、人の形を成さなくなったのです。国は、それらを皆、東に捨てました」


 人の形を成さなくなったもの。そう聞いて、シリウスの脳裏に魔物討伐の記憶がよみがえった。延々と沼地から隷属を生み出す禍の化身。中には、鳴き声をあげるものもいた。


「……もしかして、それが騎士団の討伐した」

「ええ。魔物の正体ですよ」


 シリウスは、アンリの言葉に愕然とし、目を見開いた。


「東の魔物は減りませんよ。王家が変わらない限り、何故なら今もなお、王家はオルディオンへ貯めこんだ魔力石を使うために、実験を繰り返しているのですから。王家は東の民を、いいえディミドリーフの民全員を欺き続けたのです。この話を聞いた国民は、王家を許しはしないでしょう」


 アンリはくすりと笑って、自分が纏う瘴気の中から水晶玉を取り出した。それらは伝達に使われる種類のものであるが、通常の砂粒程度のものではなく、彼女の手のひらに収まりきらないほどのもので、今までの話が全てこの国一帯に伝わったことを示していた。


「非合法な実験について調べ、魔力を失い死に絶える者が殆どだった中からハルミア様を見つけ出し、保護し、王家を止めようと動いたオルディオン伯爵、夫人、そしてリゼッタ様を、王家は殺した。ハルミア様を殺して魔物になってしまったらかなわない、そう思った貴方たちはハルミア様が何も知らされていないと聞いて、さぞ喜んだことでしょう」


 アンリは剣を引きずると、磔にされている王家に近づいた。


「そして、今になってまた洞窟を有効利用できないかと、墓守の老婆を襲い、墓守を国が請け負うことで、双水岩――いえ、贄の洞窟の管理をしようと目論んだ。伯爵や夫人を裏切り、そして馬車に細工までした腹心の家にあの地の決定権が譲渡され、実質国の統治下になるとはいえ、老婆は不安要素でしかありませんからね」

「ど、どうしてオルディオンの侍女ごときが、そんなことまで」

「リゼッタ様から全部聞いていたのですよ。私だけは。まぁそこのリゼッタ様の婚約者の方は、自力で調べ上げたようですけれど」


 アンリが一瞬だけノイルを見て、勝ち誇ったように笑う。


「貴方は革命を起こそうと各地で仲間を得ていたようですが、人を殺せば、地獄に落ちてリゼッタ様に会えなくなると悩んで、結局中途半端でしたね。魔物を食らって力を得るか悩んで、結局それもやれずじまい。でも、天国でリゼッタ様とお会いする夢が叶いそうでよかったですね……裏切者」


 ノイルは拳を握りしめ、俯いた。


「私は、ハルミア様を守るよう言いつけられておりました。ですからリゼッタ様に頂いたスコープで、ずっと王家を監視しておりました。あの方はどんな職人からでも、どんな国からでも気に入れば買ってしまう。これは、貴方たちが蛮族の国と嗤う職人の道具で、どんなに遠く離れていても照準を合わせればすぐさまその会話が聞ける代物です」


 素敵でしょう。と続けながらアンリはスコープに頬擦りをした。そして、徐に王を剣で貫くと、王家らに炎を放った。磔にされた者は皆燃やされ、絶叫が響く。


「私が貴方たちを磔にすることが出来たのも、王宮で魔法が使えることも、強行して復讐が完了するのも、全て貴方たちが馬鹿にし、自分たちの利益しか見ず、馬鹿にしてきた国々の研究の、技術の集大成です。魔力石なんて貯めこまなくても、少しでもこの国が開けていれば、こうはならなかったのに」


 アンリは全てを終わらせるよう、開いていた手を握りしめる。瞬間、磔にされていた身体たちは炭へと姿を変え、風に流されていった。


 シンディーを殺したいと願ったシリウスだが、あまりのあっけない最期に頭に何も浮かばず、ただ何かの区切りを終えた感覚があった。アンリはこれらの一部始終を国へ流していた魔力石を、天に掲げる。


「王家は、潰えました。これで悪は裁かれたのです。そしてこの国は隣国の統治下に入ります。安心してください。これまでの王家より、ずっといい国になることでしょう」


 アンリはそう言って、水晶玉を割った。そしてゆっくりとした足取りでハルミアへとまっすぐ向かっていく。


「アンリ、貴女全て知っていたなら……」


 何故私に言ってくれなかったの。そう続けたい気持ちを、ハルミアは抑える。きっと全て知っていたからこそ、言わなかったのだ。もし聞けば、ハルミアは復讐に加担していた。アンリの邪魔になろうと、姉や両親になってくれた人を殺された怒りは、到底殺すことができないからだ。


「私は、貴女が妬ましかった。リゼッタ様の愛情を独り占めする貴女が、憎かった。だから貴女を仲間外れにしたかった」

「アンリ……」

「でも、貴女を妬み憎む日々も、今日で終わりだ」


 アンリは笑うと、突如瘴気を纏ったままハルミアに向かって倒れこむ。ハルミアは驚きアンリの頬に触れ肩を揺するが、アンリは血を吐きながらただ浅く息を繰り返すばかりだ。


「アンリ! アンリ! どこか、どこか怪我を――?」

「ふふ。魔物を食らい、魔力の補強をした代償ですので、怪我なんかじゃありませんよ」

「いや! 待って、待ってアンリ、私を置いていかないで! アンリ!」

「安らかな気持ちです。ねぇ、ハルミア様。ハルミア様も、何か、何か終わらせてください。例えばこの、黒い服を着ることとか……貴女はきっと、もっと明るい色のが映えますよ。あとは……そうだ、墓参り、毎日なんて行くのはやめて、もっと自由に過ごしてください……そして少しは、自分の幸せを見つける努力をしてくださいね……」


 なんてことのない、世間話。けれどもう一生できないことがありありとわかって、ハルミアはアンリの頬に触れた。アンリはその手を掴み、涙で濡れる赤い瞳を一心に見つめる。


「ねぇ、ハルミア様」

「なに、なにアンリ」

「私、ずっと……私から、リゼッタ様の愛を奪った貴女のことが、大嫌いだったんですよ……? でも、いまは……」

「アンリ……!」


 ハルミアはアンリの肩を何度も揺さぶる。しかし彼女の瞳は固く閉じられ開く気配がない。ハルミアは狂ったようにアンリの名前を呼び続ける。その絶叫は、やがて雨が降り出してもなお、王宮の屋上に木霊していた。


◇◇◇


 オルディオンの夜空に、青白い月が浮かぶ。ハルミアは自室のバルコニーで、ただただそれを見上げている。


 アンリは、何においても手を抜くことはなかった。復讐においても同じで、自分が死んだ後のことも完璧に計算し尽くし手を打っており、王宮の屋上でアンリの亡骸に縋りついていたハルミア、そして彼女を止められないシリウスやノイルの前には、アンリが手配していた隣国の遣いが現れ、皆を保護した。


 そうしてその夜、アンリが術式を組んでいた魔法陣でオルディオンの地に転送されたハルミアたちは、明日から王家の体制が変わり全てが明るみになり、隣国とのこともあって、これから忙しくなると早々に各々の部屋に戻ることとなったのだ。


 シリウスは、ハルミアの姿を後ろから見つめる。漆黒のローブを羽織る彼女は、今にも夜闇に溶けていくようにも見えた。手すりだって掴んでいるのに、今にもそのまま身を投げてしまいそうで、不安に駆られたシリウスはそっと彼女の隣に立った。


「シリウス様……、ご無事で、何よりです。本当に……」


 ハルミアは、シリウスに目を合わせた。しかしその瞳は自分に向けているようでまったく向いていないと感じたシリウスの胸に、やるせない気持ちがよどんでいく。


「……アンリは、今、どこにいるんでしょうね……」


 冷たい風が、二人の間を通り抜ける。ハルミアは、もう会うことのない侍女への思いを馳せていく。


「ずっと復讐を考えて、御姉様のことを、御父様、御母様の仇を討つことを考えて生きてきたのに、私はずっと、死ぬことばかり考えていました。助けてもらった命だから、間違っても無駄にしてはいけない。きちんと生きなければいけない。それなのに……」


 ハルミアは涙を流す。彼女はずっと、ずっと死に焦がれていた。一途に一途に終わりを想っていた。


「三人に、会いたくてたまらないと……、寂しくて」


 しかし、それを今日、こんなにも後悔するとは思っていなかった。もう少し、もう少し目の前のアンリを見ていれば、こんな結末を迎えることはなかったのかもしれない。呪いを分け合って、今彼女を失うことだけは避けることができたかもしれない。


 こんなことになるなら、もっと、もっとアンリと話しておけばよかった。彼女を見ていればよかった。後悔をしても、何もかもが遅いことは痛いほどにわかっている。でもめまぐるしくアンリとの記憶を思い起こしてしまうほど、彼女との思い出はハルミアにとって温かく、今、抉るほどの痛みを伴うほどに優しい記憶だった。


「アンリと、お茶をする時間が好きでした。一緒にお花の水やりをする時間が好きでした。他愛もない話をする時間が好きでした。でも楽しいと感じるたびに、何かを裏切っている気がして苦しかった。だから、私は彼女に、何も伝えていない。好きだとも、なにも……それなのに、それなのに、私は」


 ハルミアの瞳から、大粒の涙が溢れる。


「幸せになんて、なりたくないのです……!」


 このまま、大切な人を見送って生きることなんて、拷問だ。御姉様も、御母様も御父様も、アンリだってこの世界にいないのにと、ハルミアは涙を流しただ掌を握る。誰の手も借りる気はないと、まるでそう伝えるように。


「許しませんよ。そんなことは」


 冷たいシリウスの声が響いた後、ハルミアは腕を掴まれ引っ張られた。そのままシリウスに抱き留められ、その腕の中に囚われた。


「結局、貴女は死に魅入られているだけだ。貴女は、僕に救われたのでしょう。ならば僕だけ見ていればいいのです。でなければーー」


 シリウスは、ハルミアの頬に触れ、無理やり瞳を合わさせる。月明りの光を受けたシリウスの瑠璃色の瞳はぞっとするほどに、ハルミアが今まで見てきたどんなものよりも昏く、凍てついた美しさを持っていた。


「僕は、貴女のせいで死にます。貴女が、僕を見てくれなければ、死に見初められるのならば、貴女の前で、世界で一番惨たらしく苦しみ、醜く僕は死にます。貴女が、僕を殺すのです、また、あの侍女のように、貴女の姉のように、母のように父のように、僕は貴女の心だけの存在と成り果てることを誓います」


 シリウスは、薄く笑って、そのままハルミアに口づけをした。


「シリウス様……」

「愛していますよ。だからどうか、全て、僕のせいにしてください」


 シリウスが、ハルミアを見つめる。その優しさに、ハルミアはこんなに優しく、残酷な罰があるのかと、涙を流す。やがて彼方から日が昇り始め、月明りではなく太陽が二人を照らそうとしていた。


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