Sweet Love
バレンタインなんて菓子屋の儲けのためのイベントだ。
友情だの愛情だの、上下関係だの、複雑で面倒な人間関係に漬け込んだ、意地悪なイベントだ。
礼儀のため、世間体のため、孤独を避けるため…果たしてそこに何の意味を見出せるだろうか。
「ねぇねぇ、明日はバレンタインでしょ?女子みんなで早く学校に来てバレンタインパーティーしようよ!」
クラスの、いわゆる一軍女子がそんなことを言い出した。
「え、それ名案!めっちゃ楽しそう!」
彼女の周りの女子は、みんなキャッキャと盛り上がり、親友…とまではいかないが、彼女と話す程度の女子たちもそれに合わせるように、にっこりとうわべだけの笑顔をその顔に貼り付けている。
つくづく、人間関係とは面倒なものだ。なんでったって好きでもないやつに金と時間をかけてやらねばならないのだろう。私には関係ないと、聞き流してまた勉強に集中する。
「ねぇ、ひかりちゃんも来るよね?」
「え…?」
頭の上から降ってきた声に、びっくりして顔を上げる。クラスの一番の人気者、沙織ちゃんだった。
「わ、私は…お菓子づくりとか得意じゃなくて…」
「いいんだよ!もう3学期なんだし、クラスも変わっちゃうんだからみんなで思い出作り!どう?」
彼女の笑顔は、ありふれた表現だけど太陽のようだった。けど…
その他大勢からの視線が痛い。わかっている。みんなの心の声が聞こえてくる。
___なんでコイツも?___あの子要らなくない?___雰囲気崩れちゃうなぁ___
耳元でそう囁かれているような錯覚に陥る。でも、もしこれでみんなと仲良くなれたら……
いや、ダメだ、ちゃんと断らなきゃ。
「みんなも、全員で思い出作りたいでしょ?」
一歩遅かった。私が断る前に、沙織ちゃんがクラスを見渡した。意外にも、みんなはこくこくと頷いてくれた。
「ね?いいでしょ?」
「は、はい…」
思わず、そう答えてしまった。
ああ、やってしまった。雰囲気に飲まれるなんて…我ながらバカなことをしたなぁとノートを睨む。不安で不安で仕方がなかった。
「やったぁ!実は私、ひかりちゃんと話してみたかったんだよね〜」
「え…?」
その言葉に、彼女の顔を見た。私があまりに驚いた顔をしていたからだろう。彼女は軽く首を傾げた。
「市販のお菓子でもいいからさ、楽しみにしてるね!」
彼女の言葉にこくりと頷いた私は、高まる気持ちを一人、心の奥へと押しやった。
家に帰るなり、私は急いでお菓子の作り方を調べた。レビューまでちゃんと見て、初心者でも上手く作れるようにと一生懸命に調べ、姉の手も借りながら初めて誰かのために料理をした。
その日私は、今まで一日も欠かさなかった勉強をせずに寝てしまった。それでも、今までにないほど充実した一日だった。
どうやら私は、自分が思っていたよりも楽しみにしていたらしい。早くに目が覚めてしまったために、鼻歌を歌いながら学校への道を軽やかな足取りで急いだ。
教室へ入ろうとドアノブに手をかけた時、美樹ちゃんの笑い声が聞こえた。
「ひかりちゃんだよ、あんな陰気で地味な子、呼ぶ必要なくない?」
ドキッとした。みんな昨日は笑顔で頷いてくれたけれど…心の中ではそう思っていたんだ。
「そんなわけないじゃん、ただアイツの勉強ノート見せてもらいたかっただけじゃないの〜?アイツガリ勉だし」
美波ちゃんの声だ。胸がちくりと痛んだ。
「へ…?」
「だよねぇ、わざわざ沙織があんな子呼んで雰囲気ぶち壊すわけないし〜!」
紗希ちゃんもまたくすくすと笑った。でも…
どこかで期待している自分がいた。沙織ちゃんなら…沙織ちゃんなら言い返してくれるかもしれない。
「沙織?どうかした?」
「え…?あ、いや…何でもないよ。どうやってノート見せてもらおうかなって…考えてただけ」
沙織ちゃんは何ともないようにそう答えた。
眼前が真っ暗になる。昨日の言葉は嘘だったんだ。私は騙されたんだ。
「うっわ〜性格わるぅ〜」
「貰ったらアタシにも見せてよ〜?」
「それに、アイツが持ってくるとしたらゴミみたいなお菓子でしょ」
思わず廊下を駆け出した。普段は真面目に校則を守っているから、廊下を走ったりはしないのに。
「バカだなぁ、私…」
甘い期待を抱いた自分に嫌気がさす。ふと、校舎裏の隅にひっそりと置かれているゴミ箱に目が止まった。無意識のうちに足がそちらの方へ向かい、手はゴミ箱の蓋を開けた。
もういいんだ。友達なんて期待した私がバカだった。
「おい、それゴミじゃねぇぞ」
突然、横から伸びてきた手が私の腕を掴んだ。見たことのない男の子だった。こんな地味な私に話しかけてくる人間がいるなんて…彼は未確認生命体だろうか。
「もったいねぇことすんなよ、いらねぇならもらうぞ」
「え…?あ、ちょっと!」
名前も知らない彼は、私の手からお菓子を奪い取ると、パクッと一口食べてしまった。ああ、どうしよう。まずいと言われたら…なんて彼の反応が気になってそわそわしていると、しばらくして彼はケラケラと笑った。
「…お前、料理初心者だな?初心者の味だ、面白くねえけどレシピ通りのハズレねぇ味」
意味がわからなかった。笑っているのに、バカにしている感じがしない。妙に心地いい笑い声だった。
「悪ぃ、オレはパティシエ目指してるから味にうるさいんだわ」
「そ、そうなんだ…」
うまく返事ができない。私がオドオドしているうちに、彼は一つ、また一つと口に放り込むと、うーん、とうなった。
「そうだなぁ、もう少し牛乳を入れたほうがいいかな、あとは少し甘すぎるから…」
彼はぼそぼそと、独り言のようにアドバイスをくれた。私は慌てて彼の言葉をメモしようと手帳を取り出す。それを見て、彼は珍しいものでも見たかのような顔をして、それからくすっと笑った。
「今度、一緒に作るか?」
「えっ!?」
思いもしなかった言葉に胸が高鳴る。顔が赤くなるのが自分でもわかった。
「ほんじゃーな、もう食べ物無駄にすんなよ?」
名も知らない彼は、全部食べ切ると軽く手を振って校舎の方へ歩いていった。
何だろう、今までに体験したことのない、甘酸っぱい気持ちが渦巻いていた。
この感情はまるでUMAだ。未確認生命体___その正体を知るために、私は彼の背中を一生懸命に追いかけた。早朝の爽やかな風が、ふと髪を撫でた。
******
「沙織、本気であの子と友達になりたいの?」
いつもの三人組で誰よりも早く学校に着き、しばらく雑談をしながらクラスのみんなを待っている時、親友の美樹がふとそんなことを言った。
「ん〜?何のこと?」
「ひかりちゃんだよ、あんな陰気で地味な子、呼ぶ必要なくない?」
美樹の嫌そうな顔にはっとなる。美樹はひかりちゃんをパーティに呼びたくなかったんだ。
彼女に合わせるべきだろうか、いや、そんなことをしたらひかりちゃんが可哀想だ。ただ一人でいることが多いだけで、何か人に嫌われるようなことをした子じゃないのに毛嫌いするなんていじめと同じだ。でもそんなことを言ったら……
いや、ダメだ、ちゃんと言わなきゃ。
「そんなわけないじゃん、ただアイツの勉強ノート見せてもらいたかっただけじゃないの〜?アイツガリ勉だし」
一歩遅かった。笑いながら話を聞いていたもう一人の親友の美波がそんなことを言いながら私の背中をバシバシ叩いてゲラゲラ笑った。
「へ…?」
「だよねぇ、わざわざ沙織があんな子呼んで雰囲気ぶち壊すわけないし〜!」
紗希もまた、それを聞いてくすくす笑う。笑っている。
途端、私の世界から音が消えた。目の前で二人が笑っているのに、その笑い声が聞こえない。
ダメなの?いつもみんなと一緒にいるわけじゃない子とは仲良くしちゃいけないの?雰囲気が壊れちゃうの?友達にはなれないの?
「沙織?どうかした?」
目の前で美樹の手がひらひらと揺れている。それでやっと、私の世界に音が戻ってきた。
「え…?あ、いや…何でもないよ。どうやってノート見せてもらおうかなって…考えてただけ」
さあ、いよいよ言えなかった。保身に走った。親友を失うことを拒んだ。
「うっわ〜性格わるぅ〜」
「貰ったらアタシにも見せてよ〜?」
彼女たちは、この返答が当たり前だとばかりに笑った。愉快そうに。この世の全てがうまくいっているかのように。傲慢な笑い声が胸に刺さる。あの瞬間のあの返答で、私はすっかり彼女らと“同類の生き物”になってしまったのだ。それも、自らの言葉で。
『私はただ、ひかりちゃんと友達になりたいと思っただけなのに……』
ああ、この心の中の叫び声はきっとどこにも届かないんだ。
ああ、誰かを傷つけてまで守ったこの友情に、一体どれだけの価値があるのだろうか。
ああ、果たして私はこの友を心の底から親友と呼べるのだろうか。
「でさでさ、この間彼氏とカフェに行った時に…」
彼女らの話題は、すぐ別のものに変わった。まるで私が思い悩んでいることが何ともないことであるかのように。
ふと、窓の外を見ると、美しい早朝の太陽にどんよりとした雲がかかっていた。