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貴きものの定義・4

公爵という肩書きは見かけ倒しで、実際の扱いは軽い。

王族としての籍を抜かれた者が男爵領ほどの所領と引き換えに与えられる、最下位の爵位にすぎない。

能力主義国家において、血縁のみを根拠に与えられる地位が重んじられるはずもない。

功を成せば騎士爵や男爵への陞爵もある。要するに公爵位というのは『王宮を追い出された』無能の証明なのだ。

大半の公爵候補たちは、何らかの研究論文で騎士爵を賜り、自主的に王籍を抜けていく。

現に、当代国王の叔父や叔母は一人も公爵になっていない。

王宮での生活水準を忘れられぬ公爵が他の貴族に迷惑をかけないよう、公爵領は一つ所にまとめられていた。

公爵領惑星ストライサンド──王領を含め四十弱の領邦に分かれた、人口およそ二億の平凡な惑星である。

ナイジェルが生まれ育ったネネヤキルラ公爵領もその中の一つ。

それなりに首都星系に近く総人口も多いのに、外界との距離は異様なほど遠い。

とにかく、出国税が高いのだ。

領民を閉じ込めておきたいのは、知られたくない真実があるからだろう、とナイジェルの評価は冷たい。

都合のいい物語は、閉じた箱の中でしか保てないのだから。



出国費用が含まれる奨学金は、そんな壁を一度だけ越える手段だった。

これがなければ、スタートラインにすら立てていない。

本当に必要な者に道が開かれるように──ナイジェルにとっては救いに他ならなかった。


出航の前夜、妹のカティは兄の袖を掴んだまま、夜が明けても放さなかった。

そして泣き疲れた顔のまま、とうとう眠り込んだ。

わかっていたのだろう。

兄が、卒業するまでこの星には帰ってこないということを。


「それじゃあ、かあさん、カティ──行ってきます」

「気をつけてね。あまり危ないことはしないでちょうだい」

「お兄ちゃん、向こうに着いたら絶対に連絡してね!」


翌朝、家族に見送られて家を出たナイジェルは、宇宙港で、出国の最終手続きを終えた。

今、ナイジェルの手には首都星フェヴァル行きのチケットがある。

持ち物は最小限。それでも、この小さな荷物の中に、これから始まるすべてが詰まっている気がした。


待合室のガラス越しに、搭乗予定の宇宙船が見えていた。

王都マイヒ・メル行きの定期船は、古びた小型の貨客船にすぎなかった。

それでもナイジェルは、生まれて初めて乗り込む宇宙船に胸を弾ませていた。

二等船室は、二段ベッドが二つだけの狭い部屋だった。首都星フェヴァルまでの旅程は、二泊三日。

船内アナウンスが響き、乗客たちが自分の船室へと散っていく。

ナイジェルも自分の二等船室に向かい、小さな荷物を棚に置くと窓際の簡素な椅子に腰掛けた。


「もうすぐ離陸しますよ。よい旅を」


年配の乗務員が声をかけに来た。

この貨客船は古く、船内の設備も最低限だ。それでもナイジェルには贅沢に思えた。


「はい、ありがとうございます」


乗務員が去り、再びアナウンスが流れる。


『間もなく離陸します。シートベルトをお締めください』


ナイジェルは慌てて自分の小さなシートに座り、ベルトを締めた。

船体が震え、波を蹴って海上を滑り出す。


「これが、最後の景色かもな……」


窓の外には、出発ゲートや管制塔、遠くに街並みが広がっている。

歪んだ体制の下にあると知っても、育った地への愛着は簡単には薄れない。

父との思い出はこの地にしかなく、家族も今なおここにいる。


エンジン音が高まり、振動が強くなっていく。

宇宙船は一気に加速し、宇宙港がみるみるうちに遠ざかる。

街並みはやがて豆粒となり、その輪郭も霞んでいった。

空が青から紫、そして深い黒へと変化すると公爵領惑星ストライサンドは、平たい大地から複雑な模様を持つ巨大な青い球体に姿を変えた。

生まれ育った惑星が目の前に浮かんでいる。

この景色が見たくて、自分はこの日まで勉強を重ねてきたのだ。


『大気圏を突破しました。これより一時、慣性飛行に移行します』


アナウンスの声とともに、機体の振動が徐々に収まっていく。

──ついに、宇宙へ出たのだ。


「……宇宙だ」


幼い頃から憧れていた宇宙空間。

知識としては知っていた。

でも、いま自分の目で見ているこの光景は、何倍も胸を打つ。

ナイジェルはドーム状の窓に顔を寄せ、深い闇の中にきらめく星々を見つめ続けた。


そのまま、どれくらいの時間が過ぎただろう。


『お客様にお知らせします。これより当船は──』


スピーカーから流れる放送に、ナイジェルは意識を宇宙から引き剥がした。

どこか浮わついた声色にただごとではないと察する。

内容を聞き終わるよりも先に、ナイジェルは椅子から飛び起きた。

展望デッキのベストポジションを押さえねば。これは、非常事態だ。


『航宙保安省第一艦隊と合流いたします。出発時刻が2時間ほど遅れますが、ご了承ください』


放送がそう締めくくられるころには、ナイジェルはすでにデッキに向かって廊下を駆けていた。

なんという僥倖だろう。

第一艦隊が首都星フェヴァルまで同行し、この便をも護衛してくれるというのだ。

軍艦マニアとしては夢のような展開だ。第一艦隊の実艦を間近で見られる、またとない機会である。

後で聞いた話では、第一艦隊のフェヴァル訪問予定が公式に発表され、それに合わせて大型貨物船や旅客船などの民間便が発着スケジュールを調整したのだという。

実際、彼らが一般港に寄港するあいだは、艦船見学ツアーが催されるほどだ。

それほど第一艦隊の動静は稀少で、主要港にすら滅多にその姿を見せない。

ナイジェルが急いで展望デッキに向かうと、すでに人だかりが出来つつあった。

窓の外には、第一艦隊の到着を待ちわびる民間船がずらりと並んでいる。


(そういえば、人身売買を行っていたとかいう名門貴族家を制圧したってニュースで言ってたな)


第一艦隊の直近のニュースに思いを馳せてデッキの窓から宇宙の暗闇を見つめていると近づいてくる光点の群れが現れた。

合流軌道に乗った第一艦隊がこちらに向かって来るのだ。


(第一艦隊なんて精鋭中の精鋭じゃないか。)


第一艦隊といえば航宙保安庁所属の艦隊を指す。

軍務省所属の宇宙軍は三十以上の艦隊を抱えていて、こちらは通し番号で呼ばれることはない。

通し番号ではわけがわからんと過去の宇宙軍総司令官が言い出し、その場で指揮官の名をそのまま艦隊名として用いることを決定したからだ。




それは三代国王の御代、協商から侵略戦争を受けた際の作戦会議で起きた。

「第十一艦隊を一旦下げて第十六艦隊を出せ。第一艦隊の再編成はどうなっている。」

「第七艦隊は既に作戦領域を抜け出ています」

「第三艦隊を第十八艦隊の支援に回せ」

「第二十五艦隊はまだ再編成が完了していません」

「第十四艦隊の補給はどうなっている?」

「………全員一度、黙ってくれたまえ。」

当時の宇宙軍総司令官ザーラ大将が喧々囂々とした作戦会議を収めると、しばらく考え込む仕草をしてから発言した。

「わけがわからん。第十一艦隊の指揮官はリッツォ提督であったかな?」

「いいえ。今はイナダ提督が指揮官を務めております」

「よし。イナダ艦隊と呼ぼう」

「は?しかしそれは…」

「再編成の度に中身が変わるのを、いちいち覚えていられるか!」

無言の頷きが作戦室に満ち、以降宇宙軍艦隊は指揮官の名前を冠するようになった。





辺境艦隊が宇宙軍相手の演習で負け知らずであることを、生粋の艦船マニアのナイジェルはよく知っていた。そんな艦隊と無料で同行できるのだ。

第一艦隊が到着すると、航路の安全に便乗した者同士が事故を起こさぬよう、全ての船舶が一時的に運用指揮下に組み込まれた。

雑然と並んでいた民間船が次々と整列し始める。

これが民間船たちの一番の狙いだ。

航宙保安省の運用下に編入されれば、すべての航行は辺境艦隊の監督下に置かれる。

その間は、民間船同士の優先争いも、貴族艦による横暴も防ぐことができる。


残念ながら、ナイジェルの乗る貨客船は、旗艦〈ローレライ〉を視認できない位置に誘導されてしまった。

〈ローレライ〉が視界に入らないとわかると、あちこちから落胆のため息が漏れた。

もっともナイジェルにとっては、駆逐艦の数を数えるだけでも十分すぎるほど心躍る時間だった。

もちろん少しばかりの落胆はあったものの──運よく、近くにレーダー艦と工作艦の姿を見つけたことで、すぐに気を取り直した。


彼はおもむろに双眼鏡を取り出すと、手慣れた動作でレンズを覗き込む。

展望デッキに立つ誰よりも集中した面持ちで、そのまま一歩も動かず観察を続けた。


(やっぱり、かなり改造されてる……)


シュレディンガー家の私有艦隊ならではの、金に糸目をつけない最新鋭の装備と改装が、施されているのが判る。

こうした特別仕様の艦船を間近で見られることなど滅多にない。

ナイジェルが次の鑑賞対象として駆逐艦に狙いを定めたとき、後ろから上ずった声が響いた。


「ご当主が乗っていらっしゃるぞ!」


慌てて振り返ると、二列に整列した民間船の間を縫うように、第一艦隊旗艦〈ローレライ〉がたおやかに近づいてくるのが見えた。

もちろん、当主の姿など見えるはずがない。

艦橋は艦体中央に厳重に守られており──窓ひとつ存在しないのだ。



ローレライ級戦艦の特徴は船首の衝角だ。

金色に鈍く輝くそれは、単なる装飾品ではないと専らの評判である。

衝角の根本には女性の船首像が飾られており、これは艦名に因むものだ。

一見滑らかな曲線で構成された淡いコバルトブルーの艦体は、その実、複雑な角度と曲率を持った幾何学的なパネルで覆われていた。

それぞれのパネルは宇宙空間での効率的な熱制御と、様々な角度からの敵レーダー探知を回避するための特徴的な形状をしている。

艦首から艦尾にかけて緩やかに湾曲した船体は、人魚の尾を思わせる優美さで宇宙空間に浮かんでいた。

お行儀よく指示に従った民間船たちへの返礼替わりに、〈ローレライ〉が堂々と通過して行く。

ナイジェルは言葉を失い、双眼鏡を握ったまま立ちすくむ。

獲物を狙う猛禽のような鋭い眼差しで、ただ艦の美しさを噛み締めていた。

艦体側面には『猫に扇』の家紋──そして、その周囲を囲む銀の円。

家紋を囲む円は当主が座乗している艦だけに許される、威信の象徴だった。


淡いコバルトブルーに塗装された流線型の艦体がナイジェルたちの目前を優雅に滑り抜けていくと、デッキ内に拍手が起こった。

それは称賛であり、安堵であり──敬礼のようでもあった。



並ぶ船の陰に、〈ローレライ〉の艦体がすっかり隠れてしまうと──

ナイジェルは自然と、あるニュース中継を思い出していた。


冴えない中年リポーターがジークリンデに辛口の政治的質問を投げたときのこと。

報道の自由を履き違えた若手タレントがご機嫌取りのつもりか、突然リポーターの私生活のトラブルを持ち出し、取材を遮ったのだ。

そのとき辺境伯が放った一言を、ナイジェルは今でもはっきりと覚えている。


「昨日の天気よりもどうでもよいことで、邪魔をしないでいただきたいわ」


〈ローレライ〉が遠ざかりゆく姿と、辺境伯が毅然とタレントを追いやった姿に奇妙な一致を感じて、確かに辺境伯はあの艦に乗っているのだろうとナイジェルは思った。



王国首都マイヒ・メルは、アイン恒星系第三惑星ミディールを周回する衛星フェヴァルに築かれている。

ミディールは恒星との距離が理想的で、ハビタブルゾーン内の、理論上もっとも居住に適した軌道を巡る。だが自転周期が人の居住を阻んだ。

一回転に百時間以上を要し、地球換算で昼と夜がそれぞれ丸四日続く。

生じる寒暖差が殺人的だった。


三世紀前、王国が最初の移住先として選んだのは、より地球に近い環境を持つ衛星フェヴァルだった。

自転周期は二十五時間、重力は一.〇二G。

面積こそ地球よりも小さいが、当時の王国人口は三億に満たなかったため、領土としては過剰な広さだった。広すぎて大陸プレートや断層の調査が追いつかぬほどに。

ゆえに地震のリスクを読みきれぬまま王国民たちの移住が始まることとなる。

わからないなら最初から備えておけ──ある意味で思考を放棄した合理主義のもと、王宮や官庁は地表に張りつくような低層設計で建てられ、高層建築は必要最小限にとどめられた。

余るほどの土地があるのだから、無理に空間を縦に積む理由はなかった。

そして並行して進めていた惑星改造計画が、想定以上に順調な進展を見せ──

気がつけば、王国は二十以上の居住可能惑星を擁する、人類史上最大規模の国家へと変貌していた。


再び浮遊惑星が衝突するような不幸に見舞われても、今度は移住先に困らない。

海に浮かぶ泡が偶然ぶつかるよりも低い確率であろうと、過去にそれを引き当てた歴史がある以上、備えを笑う者はいなかった。

テラフォーミングに失敗した他国の難民も受け入れ、今やフェヴァルの人口は十億を超える。

王国全体では、二百億に届く勢いだ。


そして今、王国の全てが始まったフェヴァルが、ナイジェルの眼前に迫っていた。


二泊三日の短い船旅も終盤を迎えていた。

第一艦隊以外にも各種の船が寄り集まった即席の旅団であったから、船体のバリエーションを眺めているだけで、ナイジェルはいくらでも時間が潰せた。

狭くて硬い寝台のせいで多少寝覚めが悪くとも、不満はなかった。

窓辺に佇むナイジェルの視線の先には、衛星フェヴァルの青と白と大地の色が広がっている。

居住可能な惑星の外観は、概して地球に似ている。

青は大気による光の散乱で現れる色、白は雲の色──極端な外観の違いが生まれる余地がない。

ナイジェルが乗った貨客船はしばらくフェヴァルの周回軌道で順番を待った後、マイヒ・メル宇宙港に向けて降下を開始した。


宇宙港は、市街地から海を挟んだ沖合に築かれた、複数の人工島からなる巨大な港湾都市である。

軍用区画や発着ターミナルを備え、その構造は都市というより、むしろ一つの海上要塞に近かった。

誘導灯がまばらに灯る滑水路を経て、各船は着水し、それぞれの接岸ドックへと進む。


ナイジェルがじっと窓の外を見つめていると、やがて貨客船は雲を抜け、眼下に青い海が一面に広がった。

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