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貴きものの定義・2

控室に戻った五家の当主たちは、椅子に深く身を預けたり、軽口を交わしたりと、議場の緊張から解放された様子だった。


「そろそろ、ニュースが流れ始める頃でしょうね」


ハイゼンベルク侯は椅子に深く身を沈め、薄荷パイプを取り出した。


「“お金に困っていらっしゃるんですか?”――しばらくは見出しの常連になりそうじゃな」


ウィトゲンシュタイン侯が、白髪交じりの頭を揺らして愉快そうに笑う。


「私は“さあ、お手本をどうぞ”の方が刺さると思いますけど」

「たしかに。あの迫力は尋常じゃなかった。税収が絡むと財務卿は人が変わる」


さも不服そうに口を尖らせたジークリンデにパウリ侯が同意する。


「免税特権の対象者が減るから、税収が増えますね。

とりあえず五親等までが貴族、この落とし所は妥当でしょう。爵位の継承可能範囲と同じですし」


ハイゼンベルク侯は上機嫌でチョコレートを摘んだ。

アルシドはゆったりと流れる雲を眺めた後、目を閉じた。


免税特権など、国家の財政が健全に回っている限りは取るに足らない問題だ。

今回の目的は、「貴族」と名乗る資格に法的な定義を与えることだった。

貴族制度の線引きを法制化できた時点で、計画は達成されている。

免税特権廃止法案は、議場を動かすための単なる起爆剤にすぎない。

あれだけ貴族議員たちを煽っておきながら、本命が別にあるとは、誰も気づくまい。

単純な譲歩的要請――いわゆるドア・イン・ザ・フェイス。

まず極端な案を突きつけ、相手を萎縮させてから、本命の控えめな提案を通す。

使ったのはそれだけだ。

ハイゼンベルク侯が巻き込まれたのは誤算だった。

だが、本人が楽しげに応戦していた以上、大勢に影響はなかった。


「またアルシドの信者が増えてしまいますね。ご愁傷さま」


ジークリンデの声にアルシドが目を開いた。

建国五家は、民衆からほとんど信仰に近い敬意を向けられている。

王国貴族の頂点に君臨する彼らは、時に傲慢で、横暴で、冷酷ですらある。

だがそれは、王国の守護神としての神性が垣間見える瞬間でもあった。

無論、五家が神でないことなど、誰もが知っている。

しかし、彼らの裁きが常に下されるわけではないように、天罰もまた、罰当たりな行いに対してしか下らない。

真っ当に生きる限り、鉄槌が自らに振るわれることはない──そうした単純で都合のよい幻想が、信仰心にぴったりと収まった結果だろう。

強権を振るうことなく、五家が不条理を正した――その事実だけで、民がまた信仰を深めてしまったと気づき、アルシドは顔をしかめ、天井を見上げた。



想定より早く議会が終わり、不意に訪れた余白に、アルシドの足は迷うことなく王立大学へと向いていた。

副官イレーネ・ミカエリスを伴い、久方ぶりにマイヒ・メル王立大学の図書館を訪れる。

目立ちすぎる白の法服を脱ぎ、穏やかな色味の背広姿へと着替えたアルシドは、壁一面の書架を前に独り言を洩らした。


「……ただの貴族も、我々と同じように“見極め”を受けるべきかもしれませんね」

「閣下、何か仰せになりましたか」

「いいえ、ミカエリス。何も」


気まぐれに書架を彷徨い、背表紙の偶然に任せて頁をめくる――

それができる数少ない場所だった。

必要な本であれば即座に取り寄せるが、本とは計画的な交わりばかりでは味気ない。


「一万もの貴族家が果たして必要なのか、と考えていただけです」

彼らの存在に、果たしてどれほどの意味があるのかと。

問いに応じ、イレーネは少しのあいだ沈黙し、思案した。


「人口比で言えば、むしろ少ない部類かと存じます。歴史的にも」

「最低限の知見を義務付ければ、貴族制の意味もまだあるのですが」


書架の間を抜け、司書のもとへ足を向けたアルシドは、いくつかの資料を注文し、数冊の本を受け取った。

春休み中だというのに、館内は学生たちでにぎわっていた。皆、黙々と資料を読み込んだり、小声で意見を交わしたりと、それぞれの研究や学びに没頭している。


「……ここにいると、なんだか懐かしい気分になりますね」


ステンドグラスの光が、床に深紅と琥珀の模様を添えた。

大理石の白が春の陽を返し、二人の影が静かに揺れていた。

外に開けた回廊を通って、広々とした玄関ホールへと足を運ぶと、壁に並ぶ歴代国王の肖像画が静かに視線を落としている。


「さて、ジークリンデはそろそろ出立する頃合いでしょうか」


図書館の空気は思いのほか快く、もう少し滞在したい気分だったが、執務は人を待ってくれない。


「航保卿が直々に令状を持って出られたと伺いました」

「有効な証拠を持ち帰ってくれると助かりますね」


浮かぶのは、淡い懸念の色だ。

アルシド自ら発行した捜索差押令状の宛先は、カレンバッハ伯爵家。

要塞じみた邸宅を構える家門で、なまじ格式ばかりは高い。

だからこそ、五家の当主たるジークリンデが自ら執行に赴く。

身分を盾にする相手には、それを上回る権威でぶん殴るつもりなのだろう。


「それほど手強い相手なのですか?」


隣を歩くイレーネが尋ねる。

容疑は、誘拐に拉致監禁、さらには人身売買にまで及ぶ。

いずれも中世に置いてくるべき犯罪だ。

警察庁が航宙保安省に応援を要請したのも当然といえば当然だが、第一艦隊を差し向けて不安になる要素など、表面上は見当たらない。

航保の第一艦隊は王国一の精鋭だ。宇宙でも、地上でも。


「証人の身体が多少壊れていても、口が利ければ十分なのですが……」


ジークリンデは人質の安全を最優先とする主義だ。

ただし、彼女の“人命重視”には、加害者が含まれた試しは一度としてない。


「つい『急ぎでお願いします』なんて余計なことを言ってしまってね」

「……それはもう、カレンバッハ家にとって忘れ難い厄日となるでしょう」


イレーネはこれから痛い目を見るであろうカレンバッハ一味に同情した。

図書館を出ると、柔らかな風が頬を撫でる。

入口の掲示板には、合格発表の名残があった。


「もうそんな時期でしたか」


石畳の上で何かをついばんでいた小鳥たちが、アルシドの足音に驚き、春空へと一斉に舞い上がる。

その向こうで戦艦ローレライもまた飛び立っていた。



ジークリンデが統括する航宙保安省は、警察庁とは異なる系統に属する独立した警察組織である。

所轄があまりにも広いため、本来なら司法の手続きが必要な場面でも、限定的ながら裁判権と刑の執行権が認められていた。

令状を待つ余裕などない——というより、宙域では手続きを待つという発想そのものが非現実的だからだ。

彼らは“警官”ではなく、“保安官”、それも西部劇の“シェリフ”のような権限を持っていると想像するといい。

宇宙海賊や武装商船相手に抵抗されたら沈めてもよいというだけの話で、そういった権限を支えるため、独自の艦隊戦力が整備されている。


王宮内・聖ブランダン宇宙港五番エリアのボーディングブリッジを渡り、ジークリンデは副官のムラサメ大佐と共に、係留中の戦艦〈ローレライ〉の舷門へ足を踏み入れる。


「お帰りなさいませ、閣下。お早いご帰還ですね」


恰幅の良い男が、脂肪の乗った腹を揺らしつつ敬礼で迎えた。

第一艦隊指揮官、レナード・T・サクライ少将である。


「サクライ、出迎えご苦労さま。……出立の準備はできていて?」

「航宙保安省所属第一戦隊の旗艦としての責務、万事整っております。艦隊はすでにフェヴァル軌道上にて待機中です」


ジークリンデは軽く頷いただけで、二人を従え艦橋へと続く通路を進む。

金属床が音を逃さず、靴音を鋭く反響させた。


「いつも思うのだけど、艦橋って呼称はどうなのかしら」

「語源からはかけ離れていますな。ダッシュボードよりマシですがね」

「……商品名か何かじゃないの?」


艦橋の名にも関わらず、艦体の腹中に設けられた中枢部——目的地にはすぐ着いた。


「カウロから知らせはあった?」


指揮座に腰を下ろし、手にした扇を小さく開閉させながら、ジークリンデが尋ねた。


「ご注文の品はすべて確保済みとのことです。

あと、大変面白いノートを回収できたのでぜひお手に取って検分いただきたいと」

「面白いノート? ……カウロがそう言うのなら、相当な逸品ね」


通信管制オペレーターの報告に、ジークリンデは軽く眉を上げた。

第二艦隊指揮官、カウロ・セイラン少将が持ち帰る物によっては、詰め手順の変更を検討しなければならない。

カウロは指揮官にしておくのが惜しいほどに、探し物が得意だ。

ジークリンデが目を伏せ、口元に微かな笑みを浮かべる。

サクライは彼女が指揮卓を指先で規則正しく叩き始めたことに気づいた。

思考に入った合図だ。

この場合、彼が口を挟むのは控えるべきだろう。余計な情報は邪魔になる。

さしたる間も置かず、ジークリンデは顔を上げた。


「これよりカレンバッハ伯爵家制圧作戦を開始します。

ちゃあんと気付いてもらえるように——ほどよく迅速に、ハルカモニア星系へ向かいなさい。

星系外縁で第二艦隊と合流。折角のお土産ですもの。

受け取らなければもったいないわ」


既にジークリンデの中で詰め筋は整っていたが、より効果的な手が打てるのならば、それに越したことはない。


「了解。ボーディングブリッジ離脱確認。舷門、密閉。……戦艦ローレライ、離水を開始します」


艦長のレオーネ大佐が復唱し、副長が管制官に指示を出すと、

戦艦〈ローレライ〉は五番エリア専用滑水路で加速し、軽やかに軌道へと登っていった。



第一艦隊は、ハルカモニア星系外縁部にて、第二艦隊指揮官カウロ少将の座乗する戦艦〈セイレーン〉と合流した。

〈セイレーン〉はローレライ級戦艦の二番艦で、第一艦隊旗艦〈ローレライ〉とは色違いの姉妹艦だ。

性能こそ専任指揮官の希望で微妙に調整されているが、構造上は同型艦である。

それでも、塗装の違いがどこか艦の性格までも異なるように見せていた。


第一艦隊旗艦・戦艦〈ローレライ〉の艦橋では、最終の打ち合わせが行われていた。


「人質は押さえた?」


ジークリンデは、カウロから受け取ったノートをぱらぱらと捲り、あるページを開いて傍らのムラサメ大佐に見せる。


「あ。ほら、ここ。すごく面白いですよ」

「見せるな、そんなもん……」


咳払いで笑いを押し殺し、ムラサメは言い直す。

ムラサメはジークリンデの従叔父にあたり、加えて彼女の身に何かあった際の後継でもある。無遠慮な気安さを咎められたりはしない。


「『重要参考人』と言ってください。カレンバッハ伯爵の愛人二名と、伯爵夫人の愛人一名、いずれも確保済み。もちろん、別々の部屋に案内してありますとも。

……ところで閣下、参考人を“使う”のは先にしますか?それとも後?」

「いつもどおり、後で」


辺境艦隊による強制執行に、「抵抗するな、撃つぞ」といった警告は存在しない。いや、存在する必要がない。

あえて原文を現状に訳すなら、「(立てこもるという)抵抗をしているから、撃つ」となるだろうか。だからこそ、わざわざ宣言などしない。

黙って攻撃し、視認できる武装はすべて潰す。

強力な通信妨害で、敵に脅迫の時間も手段も与えない。

抵抗手段を封じてから対話に移る。これが、いつものやり方だ。

「殴る前か、殴った後か」――ムラサメの問いは、その順序の確認に過ぎない。

そして『いつものやり方』が世間に知られていないのは、体験した犯罪者たちが、

辺境艦隊によって塵となるか、処刑台の露と消えるか。

いずれにせよ、総じて物言わぬ口となるからだ。


「まもなく、惑星ハルカモニアの衛星軌道に入ります」


レオーネ大佐が視線をモニターに貼り付けたまま報告する。


「第二艦隊装甲兵部隊による包囲は完了。第一艦隊は予定通り、カレンバッハ伯の私有城塞上空へ移動し攻撃を開始します」


サクライ少将が作戦の最終段階を告げ、機関管制オペレーターに指示を飛ばした。


「第一艦隊全艦、惑星ハルカモニアへ降下開始!現時刻より通信妨害を実施。以後の作戦遂行は、時計表示を基準に各自で判断せよ」

「了解。重力圏航行に入ります。目標地点到達まで、約一時間半」


レオーネの命令に従って、〈ローレライ〉と二千隻の軍艦は緩やかに降下を始めた。




カレンバッハ伯爵は、自らの城に強固な防衛システムを築き上げていた。

高い城壁に囲まれたその要塞では、複数の監視塔から常時、警戒の目が光っている。

戦闘機、戦闘ヘリ、対地砲や戦車に対しては完全無欠の防衛陣だ。

しかし宇宙用の軍艦に対しては、まったくの無力である――主に、射程の面で。

大陸間ミサイルなら届くだろうが、鈍重すぎて話にならない。

では、なぜ軍艦を備えないのか。それは単価の問題だ。

戦闘機一機が五十億カウリとして、戦艦は量産型でも五千億カウリを下らない。

金を払えば入手できるものでもない。軍需産業は五家と王家が独占している。

伯爵家ごときが手を出せるお値段ではないので、あまり関係ない話だが。


「カレンバッハ城」と自称する黒い要塞の上空には、二千隻の軍艦が反重力装置によって整然と浮かんでいた。

獅子は兎を狩るにも全力を尽くすというが、今回ジークリンデは兎を狩るために獅子の群れを用意した。

シンプルなアウトレンジ戦法で固定砲台や監視塔をあらかた粉砕し終えたので、通信妨害を解除する。

第一艦隊指揮官のサクライ少将は、全回線に向けて、降伏勧告を読み上げた。


「無駄な抵抗はやめて、武装解除し、開城せよ」


城塞の外壁は、もはやどこが元の入口だったのか判別できず、崩れた石材が無造作に積もっていた。

破壊された砲塔からは断続的に火の手が上がり、城門は文字通り粉砕されていた。

先立ってちょろちょろと姿を見せた戦車は、今や歪んだ金属の塊である。


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