7 襲撃
翌日、午前の早い時間にアッシュとエレナは買い出しに出かけた。
ガイルが残りは仕上げだけだと言い、ただ待つだけなら暇だろうからと、街へ出させられたのだった。
「――鍛冶師の街の割には、食材が充実しているのね」
広場で開催されている市場を歩きながらエレナが言った。
「そりゃそうだ。鍛冶師だって鉄を食って生きてるわけじゃねえからな」
買った食材の中から果物を一つつまみ食いしながら、アッシュが答えた。
「次はどこ行くの?」
「次は希少金属の買付だ」
アッシュがそう答えた。
次の瞬間――。
「その必要は無い」
背後から男の声がした。アッシュとエレナが振り向こうとすると、背中に何かを突き付けられた。
「振り向くと女を殺す。声を出しても女を殺す。そこを左に曲がって路地に入れ」
エレナは身体が硬直して動かない。それを感じ取ったアッシュはエレナの手を握り、言われた通り歩き出した。
二人は古びた倉庫まで連れて行かれた。
そして倉庫の奥まで歩いて行かされたところで、ようやく振り向くことを許可された。
アッシュたちが振り向くと見覚えのある男だった。イルたちと酒場にいるときに現れた長身の黒づくめの男だった。
「男の方だけ発言を許可する。女の方は黙っていろ」
「なんの用だ」
「あの女はどこだ?」
「あの女?」
「とぼけるな。俺をふっ飛ばしやがったあの女だ」
イルのことを言っているのだろう。アッシュはそう理解した。
「この街にはいない。他の街で落ち合うことになっている」
「他の街? ドラゴニアか?」
「そうだ」
男の舌打ちが聞こえた。どうやらアッシュとイルが一緒に行動していると思って追ってきたらしいが、あてが外れたようだ。
「まぁ、いい。お前も標的の一人だ。ここで死ね」
黒づくめの男の身体から禍々しい殺気が漂いはじめる。
「そこの女、竜人監査官だな。俺は闇竜のスケリッジだ。俺がそいつを殺したら、しっかりと上に報告をしろ」
スケリッジはにやりと笑いながら言った。
次の瞬間、弾かれたようにアッシュが動いた。一瞬の隙をついて間合いを一気に詰める。
腰のナイフを抜いて相手の肩に突き立てた。
しかし、アッシュの手にはぐにゃりとした妙な感触が伝わる。するとスケリッジの身体全体がぐらりと折れ曲がり、泥が溶けるかのように崩れてしまった。
「な、なんだ!」
驚くアッシュの脇腹に蹴り足がめりこんで蹴飛ばされた。
起き上がったアッシュは瞠若する。
先程、泥のように崩れたはずのスケリッジがそこに立っていたのだ。
「ガキのくせに思い切りがいいじゃねえか」
アッシュは脇腹の痛みも構わず、再びナイフで斬りつけた。
しかし、先ほどと同じようにスケリッジの身体は泥のように崩れる。
その瞬間、背後から蹴りが飛んできた。
床を転がりながらそれを避けたアッシュは、再びナイフを構えた。
「思い切りはいいがそれだけだな。体術も剣術も人並み。あぁそうか、鉄を変形できるんだったか。いいぜ、使ってみな」
スケリッジは挑発するように言う。
しかし、アッシュは今起きた現象を頭の中で必死に分析していた。そしてひとつの推測に思い至る。
「分身、影分身が使える竜がいると聞いたことがある。お前がそうか」
スケリッジがぴくりと反応した。
「ほぅ、色々と物知りのようだな。だがどうする? 俺にはこの間みたいな油断は無い。影分身を知ったところでお前に破る手立ては無いだろう」
「ああ、今は無いね」
アッシュはそう言って、ナイフを鞘に収める。
しかし、鞘に収めたままのナイフをそのまま思い切り捻った。
次の瞬間、鞘が割れて中から強烈な閃光が走った。
倉庫の中に突如として太陽が出現したかのような明るさに、スケリッジの視界は焼かれる。
彼がようやく視力を取り戻した時には、アッシュたちの姿は無かった。
◆◇◆◇◆◇
エレナを近くの民家に隠したアッシュは、一人路地裏を駆け抜ける。
大通りを横断し、工房や民家の密集地帯を抜けて、街外れまでやってきた。
しかし、彼の目的は街から逃げることでは無かった。彼は戦うために戻って来たのだった。
街外れの一軒家に転がり込むように入る。昼寝中のガイルを叩き起こして事情を説明した。
「試し打ち無しで、いきなり実戦投入か! どうなっても知らねえぞ」
「大丈夫だ。爺さんの腕は俺が知っている」
「ヘッ、調子の良いことを」
アッシュはガイルから受け取った物を右腕に装着する。そして同じ右手にナイフを握った。
「この鉄竜甲は鉄竜牙と違って、プレートは四本まで差せる。せいぜい気張んな」
アッシュの右腕を弄りながらガイルが言った。
「鉄竜甲?」
「そいつの名前だ。名前はいるだろ?」
ガイルはニヤリと笑いながら言った。
アッシュは自身の右腕を見た。
右肘から手首までを手甲のような防具で覆われている。
そして右手に握られたナイフの柄と、その手甲とが何本かの細いワイヤーで繋がれていた。
アッシュは右腕の肘や手首を曲げ伸ばしして感触を確かめた。
「どうだい? 感触は?」
ガイルは得意気に言う。アッシュは満足そうに頷く。
「はめた感じはバッチリだ。あとは使ってみるしかない」
アッシュがそう言うと次の瞬間、家の入口扉が壊される大きな音が響いた。
「チッ、人の家をなんだと思ってやがる。おい、アッシュ。やるなら外でやれ!」
「わかってるよ!」
アッシュが裏から外に出ると、待ち構えていたかのようにスケリッジが立っていた。
「もう逃さねえぞ、ガキが」
「もう逃げねえよ」
アッシュは腰のベルトに装着しているプレートを一枚抜き取り、右腕の手甲へ差し込んだ。
「何の真似だ!」
言いながらスケリッジが襲いかかって来た。彼は数体の影分身に分裂して多方向からアッシュに迫る。
その時、アッシュの右手のナイフがオレンジ色に光り輝いた。
「紅牙!」
横薙ぎに払われたナイフの刃先から紅蓮の炎がほとばしる。大きな半円状の炎の刃はうねりながら影分身たちを焼き払った。
すると、そのうちの一体が慌てた様子で間合いを取った。それはスケリッジの本体だった。
「クソガキが! なんだ今の炎は!」
激昂するスケリッジだったが、彼の身体にはダメージは無い。炎の刃が当たる寸前、影分身を多重に出現させて身を守ったのだった。
「調査不足だね。俺は他の竜の力が使えるんだよ」
アッシュは再びプレートをベルトから抜き取り、先程差し込んだプレートの隣に追加で差し込んだ。
「調子に乗るなよガキ――百連分身」
スケリッジの殺気が膨れ上がったかと思うと、彼の身体が次々と分裂を始めた。しかし、その数は先程の比にならない。数十体、いや百体を越えるかもしれない影分身がアッシュの周りを取り囲んだ。
「なぶり殺しだ」
影分身の大群が一斉に襲いかかってきた。しかしアッシュは臆することなく、右手のナイフを上に掲げた。
「想定内だよ――白浄閃光」
ナイフが眩い白い光に包まれて、強烈な光を発した。
すると光が当たった影分身の一体が蒸発するように掻き消えた。そしてそれは一体だけに留まらず、光が当たっただけで影分身は次々と蒸発していく。辺り一帯を埋め尽くしていた黒い影は一瞬にして消え去ってしまった――ただ一体だけを残して。
残った一体――スケリッジの本体は呆然と周囲を見ている。その背後にはアッシュが忍び寄っていた。そしてもう一枚追加でプレートを差し込んだ。
「堅剛拳体」
土の力で強化された剛腕がスケリッジの脇腹にめり込む。彼の意識を刈り取るには十分な一撃だった。