6 鍛冶師の街バンガード
「――この馬車ってバンガード行き? あの鍛冶師の街に行くの?」
「そうだ」
馬車の荷台で揺られながら、エレナはこれから向かう街を確認した。
アッシュの方は鉄竜牙に使うプレートを一枚一枚丁寧に磨いている。
「ねえ、それって、鉄竜牙を持っているイルさんに渡さなくて良かったの?」
「これは俺が使う分だからいいんだ」
「……ふーん」
鉄竜牙がないのにどうやって使うのだろう。アッシュは鉄竜の因子持ちだから、プレートのままでも使えるのだろうか。エレナはそんなことを考えていたが、どうせアッシュは答えてくれないだろうからとエレナは外の風景に視線を移した。
やがて馬車は山間の街に到着する。
馬車から降りたエレナが最初に感じたのは、鉄と油の匂いだった。
さすがは鍛冶師の街ということで、街中には鍛冶場独特の匂いが満ちていた。
アッシュは馬車を降りると、例のごとく何も言わずに歩き出す。頬を膨らませながらもエレナはそれについていく。
入り組んだ路地を通ると、街外れの一軒家にたどり着いた。
その家も他の建物と同じく、中から鉄を叩く音が聞こえてくる。どうやらここも鍛冶師の工房らしい。
アッシュが裏に回り込むと、家の一画は壁が無く、外から丸見えの状態だった。
部屋の中には予想通り炉や金床があり、一人の白髪頭の男が何やら作業をしていた。
「ガイル爺さん」
アッシュが男の背中に話しかける。
男は手を止めて、ゆっくりと振り返った。顔にシワが刻み込まれた老齢の男であった。
「アッシュか。早かったな」
「予定より出番が早くなったよ。できてるかい?」
ガイルと呼ばれた男は黙って首を振る。
「あと、二、三日ってとこだ。お前さんが手伝うなら明日にも出来る」
「分かった。手伝うよ」
アッシュは早速とばかりに荷物を降ろすと腕まくりをする。
しかし、後ろから服の襟を掴まれて、引っ張られた。
「だーかーら! 私にも少しは説明しなさいよ! この人が誰かくらい教えてくれてもいいでしょ!」
エレナは眉間にシワを寄せた顔を、息がかかる距離まで近づけてアッシュに言った。
アッシュはその迫力に一瞬たじろぐ。しかしすぐにエレナの手を払い、うっとうしそうな顔をして息を吐く。
「この爺さんはガイルさん。俺達の協力者だ。ある物の制作を頼んでいて、今日はそれを受け取りに来たんだ」
「随分と可愛らしい顔をしたお嬢さんじゃねえか。おめえもそんな年か、アッシュ」
そう言ったのはガイルだった。
彼は立ち上がって、アッシュたちの近くまで来ていた。
「そんなんじゃねえよ!」
「そんなのじゃありません!」
アッシュとエレナは同時に否定の言葉を口にする。それを見てガイルはガハハと豪快に笑う。
「まぁ、いいさ、お嬢ちゃん。俺はガイルだ。見ての通りしがない鍛冶屋をやっている。ヨロシクな」
ガイルは前掛けで拭いた手を差し出した。それをエレナも握ってがっちりと握手をした。
「竜人監査官のエレナです。よろしくお願いします」
「竜人監査官?」
ガイルの眉がぴくりと上がる。
「おい、アッシュ、ってことは竜人認定されたのか?」
ガイルがアッシュの方を向いて言う。
しかしアッシュは首を振る。
「いいや、まだ途中だ」
「途中? ……なにか面白そうじゃねえか。中で詳しく聞かせろ」
ガイルは顎をしゃくり、二人を家の中へと招き入れた。
「――予備戦ねえ。面白え展開だ。そりゃ血が滾るじゃねえか」
「ガイル爺さんが戦うわけじゃねえだろ」
アッシュに言われてガイルは豪快に笑う。
「そりゃそうだが、同じようなもんだ。あのクソ竜人どもに一泡吹かせてやりな」
ガイルはそう言って酒瓶をあおった。
「言われなくてもそのつもりだ。というか、酒なんか飲んでねえで、さっさとやろうぜ。時間がない」
「おっと、そうだったな」
その後、アッシュとガイルは工房にこもって作業を開始した。
エレナは二人が何をやっているのか、皆目見当もつかなかったが、二人が奏でるハンマーとヤスリの音を聞き入っていた。
◆◇◆◇◆◇
その日の夜――。
夕飯を済ますとアッシュは疲れたと言って、さっさと寝てしまった。
エレナは夕食の片付けを終わらせると、ガイルへ食後のお茶を出して、自身も隣に座りカップに口をつけた。
「――しかし、嬢ちゃん、助かったぜ。女手ってのが無えからよ。久々にまともな飯を食えたぜ」
ガイルはふぅと満足気に息を吐いて言った。
「いえ、泊めて頂けるのですから、これくらいは当然です。あと、私は嬢ちゃんじゃなくて、エレナです」
「おっと、すまねえ、エレナ。そうだな、立派なレディを嬢ちゃん呼ばわりは失礼だったな」
そう言ってガイルは緩く笑う。
「あの、ガイルさん」
「なんだ?」
「アッシュのこと、色々聞いてもいいですか?」
「……アイツは自分のことを話さねえか?」
「はい、まったく話してくれません」
「じゃあ、俺も話せねえ、っていいたいところだが、美味い飯を食わせてもらったからな。いいぜ、話せる範囲で話してやるよ」
それからガイルはぽつりぽつりと話を始めた。
ガイルが初めてアッシュと会ったのは約五年前。
ふらりとイルが現れてアッシュを置いていった。それからガイルはしばらくの間、彼の面倒を見ていた。アッシュが鉄竜の因子を持っているのは、すぐに判った。
鉄竜の因子だというのは、後からイルに聞いたのだが、最初に金属を自在に加工する能力を見た時は、ガイルも腰を抜かした。しかし、鉄竜の力も万能というわけでもなく、力を使うと消耗が激しい。
なのでガイルは鉄竜の力を使わない鍛冶の技術をアッシュに叩き込んだ。それと同時に金属に対する知識も植え付けたのだった。
そして話はアッシュの出自に及ぶ――。
「戦災孤児ですか……」
エレナは物憂げに手元のカップに視線を落とした。
「ああ、竜神聖戦のな」
ガイルは酒の入ったグラスを口元で傾ける。
「私はまだ監査局に入ったばかりですから、まだ詳しくは知らないのですが、竜人の戦いに巻き込まれて命を落とす話はよく聞きます。そして、それを防ぐのが竜人監査官の仕事のうちだと聞いています」
「巻き添えを防ぐのも竜人監査官の仕事の内。それを隠すのも仕事の内だからな」
ガイルのその言葉にエレナは顔を上げる。
「え? 隠す、ですか?」
「竜人監査官も綺麗な仕事ばかりじゃねえってことだ」
「そ、そんな! ひ、被害を隠すのですか!?」
「全員が全員、そんなことをしているわけじゃねえし、やりたくてやる奴なんざいねえ。ただ、竜人監査官も大陸の覇権を握る竜人様には逆らえねえんだよ」
「…………」
エレナはショックのあまり声が出ない。
竜人を監査監督して民間人と竜人との橋渡し役をする誇り高き仕事。そうだと思っていた竜人監査官がそんな仕事をしているなど、思いもよらなかったのだ。
「まぁ、当然、そんな仕事が嫌になる奴もいるわな」
グラスの中身を飲み干してガイルは言った。その言葉にエレナはある人物を思い出す。
「イルさんは元竜人監査官だと聞きました。ひょっとしてその嫌になった人って……」
エレナは確認するようにガイルの顔を覗き込む。
しかし、ガイルは目を閉じて首を横に振る。
「酒のせいで、ちょっと喋りすぎたみたいだ。俺もそろそろ寝るかな」
ガイルはそう言って奥の部屋へと消えていった。
残されたエレナは肩を落として深いため息をついた。