4 予備戦
竜人監査局の局長であるアイゼンベルクは、手元の報告書に視線を落としていた。
「新しい竜か。雷竜以来、百年ぶりだな」
大柄な身体に似合う太い声で呟いたアイゼンベルク。
彼は報告書を隣の眼鏡の痩身の男――副局長のカートライトに手渡した。
「まさか、我々の代で出るとは驚きですね。てっきり出尽くしたと思っていましたが」
カートライトは眼鏡の位置を直しながら言った。
「まったくだ。まさか『鉄竜』が出るとはな」
アイゼンベルクは大きな体をゆすって笑いながら言った。
「笑い事ではありませんよ、局長。それでどうするつもりですか?」
机の反対側に座っていたエドウィンが口を開いた。
「さぁ、どうするかな。カートライト、各陣営の代表はなんて言っている?」
「八つの竜の陣営に一応は通達をしましたが、ほとんどは無視ですね。皆、今度の竜神聖戦の準備に追われてそれどころじゃないのでしょう」
カートライトはやれやれといった風に首を振りながら答えた。
「ほとんど、と言ったか。返信があった陣営もあるんだな? なんと言っていた?」
「『木竜』は監査局に一任するとのことです。あと『雷竜』は新竜協議が開催されるなら参加するとのことです。他はさっきも言ったように無視ですね」
「……なるほど。どこもかしこも協力的だな。さすがは竜人様だ」
アイゼンベルクは頬杖をつきながら、皮肉めいた言葉を吐いた。
「局長、皮肉を言ってる暇はありませんって。早く決めないと竜神聖戦が始まってしまいます」
エドウィンが呆れ顔で言う。
「しかしよ、エドウィン。この竜神聖戦の直前に新しい竜と言われてもなぁ。面倒くさ……いや、その、大変だなぁと思ってな。とりあえず先送りにするか、ガハハッ」
アイゼンベルクのやる気の感じられない口ぶりにエドウィンは眉を寄せる。
「竜神聖戦、ぶっ潰されても知りませんよ」
「まぁ、問題はそこだよな。土の二十位と崩れ竜のガルーダをやるくらいだ。本気で――うん? 何だ?」
アイゼンベルクは部屋の外の物音に気づいて言葉を止めた。耳を澄ますと誰かが大きな声を出していて、その声はこの部屋に近づいて来ている。
突如、部屋の扉が勢いよく開け放たれた。
「やぁ、アイゼンベルク、久しぶりだね」
入ってきたのは、真っ青なローブを身にまとい、緩やかな笑みを浮かべる小柄な女性だった。その後ろでは監査局の局員が困り顔で付いてきていた。
「……すいません、局長。会議中だからと止めたのですが」
局員は深々と頭を下げる。
「いや、構わねえ。お前さんはもう下がっていいぜ」
アイゼンベルクは局員を退室させると、青ローブの女に向き直る。
「さて、水竜の序列一位が直々にお出ましとは、どういった用件ですかい? ユリーシアさん」
ユリーシアと呼ばれた青ローブの女は空いている椅子に軽やかに座る。
「用件って、君たちが呼んだんじゃないか。新しい竜が出たってさ」
ユリーシアの言葉にアイゼンベルクはカートライトと顔を見合わせる。
カートライトはため息交じりに眼鏡の位置を直す。
「新しい竜の可能性があると連絡はしました。しかし、話し合いに来てくれとは言っていませんが……」
「新しい竜の話なんて、来てくれと言われているのも同然だよ。それでどんな竜なの? 詳しく教えてよ」
ユリーシアは興味津々といった笑顔で身を乗り出した。カートライトは仕方が無いといった表情で報告書をユリーシアへ差し出す。
しばらくの間、ユリーシアは報告書を興味深く読んでいた。
「――へぇ、『鉄竜』ねぇ。それも結構、強いじゃないか。うんうん、いいね。興味深い。それで? 竜神聖戦には参戦させるんだよね?」
ユリーシアは顔を上げて微笑んだ。カートライトは渋い顔を見せる。
「勘弁してください。新竜協議すら行われていない竜を竜神聖戦になんて……」
「どうしてだい? 彼らの要求は竜神聖戦への参戦だろ? そうしないと他の竜が狩られるんだろ?」
「それはそうですが、他の竜の代表の意見も聞かなければなりませんし」
「要らないだろ。そんなの」
「え?」
戸惑いの声を漏らしたカートライトに、ユリーシアは妖しく微笑む。
「どうせ、他の竜なんて無視を決め込んでいるんだろ? 唯一返答がありそうなのは律儀な『木竜』ぐらいだけど、任せるって返事だったんじゃない? 無視するということは、どうでもいいってこと。どうでもいいことは、居るやつで決めればいいんだよ」
「そうは言われても……」
カートライトは困った顔でアイゼンベルクに助けを求める。
「こちらとしては、後から文句を言われても困るんですがね」
アイゼンベルクの言葉にユリーシアは呆れ顔になる。
「相変わらず堅いねえ。じゃあ、こうしようじゃないか。鉄の竜には予備戦を戦ってもらう。それを抜けることができたら、本戦に参加できる。これなら、他の竜からも文句が出ないだろう?」
「予備戦とは、どういったことをさせるんですか?」
エドウィンが興味深そうに話に入ってきた。
「うーん、そうだねえ。『たどり着く』でいいんじゃない?」
「たどり着く? どこにですか?」
「もちろん、竜神聖戦の開戦の街、ドラゴニアだよ。そこに期限内にたどり着けば彼らの勝ち。来れなかったら彼らの負け。とってもシンプルでいいじゃないか」
「……簡単にたどり着かせるってことはないのでしょうね……?」
エドウィンが聞くと、ユリーシアはにぱぁと笑う。
「ご明察だね。参戦に文句がある竜がいれば、彼らを邪魔してもらっても構わない。それに褒美もつけたらいい」
「褒美?」
「そうだよ。この鉄の竜を倒した者には、竜神聖戦の参戦権を無条件に与える。これなら食いつきもいいだろ?」
その言葉にはアイゼンベルクが反応する。
「竜神聖戦にはそれぞれの竜から五人まで参戦できますが、それに一人加えられるということですかい?」
「その通りだよ。鉄の竜を討てば、六人目として参戦できる。悪い話じゃないだろ?」
「悪い話ではありませんが、それで他の竜陣営は納得しますかね?」
「納得?」
そう言った途端、ユリーシアの顔から表情が抜け落ちた。
「――この私が言っているんだ。これ以上の材料が必要かい?」
途轍もない殺気が会議場を圧迫した。ユリーシアから漂ってくる威圧感に、監査局の面々の背中に冷たいものが伝う。
「……わ、わかりました。各竜の陣営に通達しましょう」
アイゼンベルクが微かに声を震わせながら言った。
それを聞いたユリーシアは殺気を解いて笑顔に戻った。