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5 風の声を訊いて

 キン、と鳴る金属音。アランは今、寝床でまどろみから抜け出そうというところ。急かすように金属音が立て続けに鳴る。ベッドから突き出された手が、まさぐるようにさまよい、時計に触れた。


 それは水時計で、装置を切ると音も鳴り止んだ。代わりにアランの長い溜め息が漏れる。


「もう朝か……疲れが抜けきらねぇ」


 窓の外は変わらず暗闇だ。街灯が白色なので午前だと分かった。ちなみに夕刻以降は橙色だいだいいろに染まる。


「今日の仕事はどうなるかな……うわっ!?」


 アランは身支度を整えようとして、思わず飛び退いた。


 サイドテーブルに置いた宝珠から、白い手が伸びていた。何かを求め、願うかのように、あるいは悩ましく蠢く。耳を澄ませば、うわ言までも聞こえた。


「アランにぃ、それはダメ。ソフィアのおやつだから……」


「寝相最悪か? 起きろよ」


 身支度を終えてから部屋を出た。頃合いは朝食前で、任務まで余裕があった。


「ふわぁ〜〜。朝ゴハンはどうするの?」


 ソフィアが、アランの首にぶら下がりながら尋ねた。


「その前に稽古だ。練兵場に行くぞ」


「えぇ〜〜お腹すいたよ。ゴハンちょうだいってば」


「いくらでも食わせてやるさ。お前の働きに応じてな」


 アランなりに考えての事だ。食事でやる気を釣る寸法である。昨日の食いっぷりからすると、一定の効果はあるはずだと計算したのだ。


 男子寮を出て、魔術院の敷地内にある練兵場へ向かった。


 早朝ということもあり、人の姿はまばらだ。朝稽古を終えた新兵と、杖や的を片付ける指導員が見えた。それらもぞろぞろと引き揚げてゆく。


「呼び出す魔獣は……コイツにするか」

 

 アランは操作板を動かして魔獣を召喚した。昨日の失敗を活かし、獰猛さと安全性を併せ持つ種類を選んだ。


「見ろソフィア。イタズラットというげっ歯類だ。こいつは物を盗んだり、スネをかじったりするからな。ムニルより多少は凶悪だぞ」


「はぁい行ってきます!」


 返事は良い、駆け去る勢いも悪くない、とアランは見守る。だが案の定、彼女は戦わない。


 イタズラットが石畳の隙間を掘ろうとすると、ソフィアも同調して動きを真似る。雑草を引き抜いては、それを近くの花壇に咲く赤い花と入れ替えた。


 そして両者ともに楽しげに飛び跳ねた。魔獣がキュイイと笑えば、ソフィアも似た声を出す。その間、戦闘らしい光景は全く見られなかった。


「はいはいはい、そこまで。お終いだソフィア。花も戻しておけよ」


 不満タラタラの態度を無視して、操作板をまた動かした。するとイタズラットの姿がかすみ、音もなく消え去った。その処遇もやはり不満顔を誘った。


「何するのアランにぃ。あとちょっとでオトモダチになれたのに」


「あのなぁソフィア。魔獣はオレたち人類の敵だぞ。いつまでも遊んでないで、早く育ってくれよ。強くなってくれなきゃ始まらねぇ」


「どうして強くならなきゃいけないの?」


 その言葉にアランは口をつぐんだ。そして考え込む。問題の根っこを垣間見た気分になったからだ。


(なるほど。こいつは強くなる理由を理解してないのか……)


 なぜ育てられるのか、そして戦わなくてはならないのか。その理屈でつまづいているならば、確かに、ソフィアの反応も正しいかも知れない――そう思うと合点がいく。


 まずはそこからと思い至り、アランは手招きした。場所を移す必要がある。

 

「お前に見せたいものがある。こっちに来てくれ」


 2人が向かったのは、同じ敷地内にある古びた塔だ。以前は見張りの際に使用されたものだが、新造された塔が活用されているので、旧式は現役を退いた。今や立入禁止である。


「入っていいの? 怒られない?」


「普段からサボりの奴が出入りしてるくらいだ。勤務外なら、大したお咎めもない」


 中は螺旋階段だ。足音を響かせつつ、苔むした石段を登っていく。早朝ということもあり、人の気配はなかった。


「ついたぞ。よく見えるだろ」


 見張り台に立つと、このアースヒルの街が一望できた。果てが見えないほどに家屋が並び、その外側を巨大な城壁が覆っている。


「ここに大勢の人間が住んでいる。2万とか、3万人とか聞くな」


「空はずっと暗いままなんだね。夜みたい」


「そうだな。かれこれ10年以上、毎日がこんな空模様だ」


 その時、黒い風が空に不穏な音を響かせた。


「常闇の風が吹き荒れるせいだと言われている。お陰で街の人々は、結界の外に出られない。訓練を重ねて、装備を整えた魔術士でもなければな」


「外に出ると、どうなるの?」


「常闇の風に身体が蝕まれて、最終的には死に至る」


 アースヒルは城壁と、結界という2つの防護によって護られていた。結界が常闇を防ぎ、城壁が魔獣を退けてくれる。


 しかしそれも盤石ではなかった。どちらかが壊されてしまえば、あとは滅びるだけだ。街の平穏は薄氷の上で成り立つものだと言えた。


「この光景をお前に見せたかった。何も意地が悪くて、うるさく言うんじゃない」


 街はすでに活気づいている。大通りに荷馬車が走り、多くの人が行き交う姿が見えた。彼らは今日も生きる。ただし、明日も同じく命があるか分からぬまま、仕事を全うしていた。


 明るい顔を見せるのは子供くらいだと、アランは思う。


「オレたちはこうして、強い重圧を感じながらも、どうにか生き延びてきた。だが、誰しも苦しみに苛まれている。何かすがるものが、明るい未来を約束するものが欲しい――そう願う人は多いんだ」

 

 アランは眼を閉じては、悲鳴と、野生の荒い息を思い返した。人がさらわれて、食われる。あるいは大きな触手に踏み潰される。そんな光景は繰り返し目の当たりにしてきた。


 ふたたび瞳を開いては、ソフィアを見た。その瞳に猛々しさはなく、ただ静かで、茫洋としていた。


「オレたちだって好き好んで、魔獣と戦争をやってる訳じゃない。それも生き延びるためなんだ。お前も協力してくれないか。街の人達のために」


 アランは袋を取り出して、口を広げた。中は携行食が満載で、大量の干し肉や豆で満たされていた。朝食代わりに持ち込んだものだった。


 それを差し出したのだが、ソフィアは手に取らない。彼女は遠くの城壁を見ていた。


「そのやり方じゃダメだよ」


 ソフィアの声は消え入りそうなほどに小さい。似たような調子で問い返した。


「どういう事だ?」


「平和に暮らしたいなら、魔獣をイジめちゃダメなの」


「まだそんな事を……。奴らはオレたちを殺しに掛かってくるんだ。戦わなきゃ愛する人を、自分の身だって守れない」


「きこえないの? 風の声が」


「声だって?」


「いたい、つらい、くるしい。そんな言葉でいっぱいだよ。これは全部、あの子達の声なんだよ」


「何を言って――」


 アランは、デニスの軽口を聞き流す気分になったが、それも寸前で止まる。ソフィアが見せる憂いた横顔は、普段とは別物だ。


 思慮深く、そして寂しげで、清らかでもある。静かに発せられる気配に、さすがのアランも身を引き締めた。


「この風が、常闇の風が、そう聞こえるのか?」


「高いところに来ると、よくわかるよ。おっきい子も小さい子も、みんな泣いてるの」


「まさかとは思うが……。もしかして、魔獣を倒すほど、この風も猛威を振るうと言いたいのか?」


 ソフィアは静かにうなずいた。


「悲しみが深くなるほど風は荒れるよ。そして怒った魔獣は、さらに強くなって生まれ変わるの」


「まさか、あり得るかよ。そんなこと」アランの胸の内は一色ではない。荒唐無稽だと思う一方で、これまでの死戦が汚されたようで、激しく揺さぶられている。


 その動揺は、鼻で笑うことで隠した。


「あいつらに知性なんてない。ただ叫んで暴れまわるだけだ。そんな奴らが何を哀しむ? まるで連帯感でもあるような口ぶりじゃないか、だったら世帯でも持ってたりするか? 魔獣の集落ができてたり? 魔獣学校で座学を修めて、魔獣市場は大賑わいしてるとでも?」


 すると、おもむろにソフィアがアランの方を向いた。憂慮に満ちた瞳は、何も語らず、ただ見つめるばかり。


 それがまたアランを困惑させるのだが、間もなく空気が一変する。


「あっ、こんなところにゴハンが! いただきま〜〜す!」


 ソフィアは手づかみになって、勢いよく携行食を喰らい始めた。その姿は普段通りで、仕草や表情は、年相応のものに戻っている。


 さきほど見せた姿からは、想像もできない無邪気さである。


「ふぅ〜〜お腹いっぱい。ちょっと寝るね〜〜」


 そう言い残しては、宝珠に引っ込んだ。アランが呼びかけても、出てくる気配は見せない。


「全部食われたか……」


 3日分の食料は空っぽだ。その袋を丸めて縛り、塔を後にした。その間、アランは上の空で、そこらでつまづきそうになる。


「魔獣を倒してはいけない。倒せば敵が強くなる……本当にそうなのか?」


 道すがらに考え込むも、答えなど出てこない。


「相談するか。デニス……いや、院長が先か」


 もしソフィアの言葉が事実なら、大騒ぎだ。戦略をゼロから検討する必要があるし、そもそも、人に理解されるかもわからない。


 アランは足早に本棟へ向かい、そして院長室を目指した。だが、彼の行く手は意外な人々によって遮られてしまう。彼らは本棟の通路で、祝福しながらアランを取り囲んだ。


「おめでとう! 神器官だなんて大出世じゃないか!」


 口々に褒め称えるのは、張り出された辞令だ。そこにはアランを神器官、デニスを補佐官として任ずる旨が明記されていた。


 それを知った同僚たちは、万雷の拍手を打ち鳴らした。


「お前なら安心だよアラン。なにせ筆頭魔術士の1人だ、宝珠の助けも加われば、向かう所敵無しだろ!」


「頼もしい! きっと魔獣なんて、全部滅ぼしてくれるよね!」


 アランは何も言えなかった。ただ曖昧な返答と、苦笑いで応じるばかりだ。


 通路の中をそれとなく見渡す。そこには、悩ましい胸の内を明かせる相手は、ついに見つからなかった。

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