02 ピンチと幸運
ーーーーはて…………?
翌朝、通勤通学ラッシュで溢れる駅構内の、最後尾からでも電車内にいる推しのキミを見つけられる驚異的なわたしの視力を持ってしても、一向に彼は視界に映らなかった。
瞬時に隣の車両に目を走らせるけれど、長身の推しは見当たらない。
――――お休み、ですかな
まぁ仕方ない。
漫画のヒーロー顔だとて推しはリアルな三次元。体調だって崩すし用事かもしれない。
そう思いいつもの場所へ移動し、ひんやりと無機質な手摺りを掴み久しぶりに流れる景色を眺めた。
推しが真後ろへいる時は、同じ手摺りを掴むわたしの握り拳約二個分上方に彼の大きな手が至近距離で視界に映っていた。
骨ばったその指は少しペンだこが出来ていて、家でよく見る父親のとも違っていた。とても二次元では体感できないリアルさがあり、綺麗で尊くて。
この指に触れるのは、菜那ちゃんのようにバスケットボールだったり少年漫画の主人公みたいなテニスラケットだったり、剣道の竹刀なんかがお似合いで。
わたしのように漫画本やゲーム機は触らないのだろうな………などと思いながらリアル三次元の破壊力に圧倒されたのだ。
彼を気になり出したのは、少し前の新緑の頃。
菜那ちゃんのバスケの朝練が始まって、一人で電車に乗るようになってからだった。
その日、またしても前日のイベントとチェックに余念のないわたしは、寝不足のあまり乗車後すぐウトウトと下を向いてしまった。
すると、背後に突如違和感が走ったのだ。
………む!?
と、眠気が一気に吹き飛び、ゾワッと肌が総毛立った。
サワ………サワサワ、と。
感じたことのない異様な不快感。
何かがわたしの背後に………いや尻に。
尻に触れている。
最初は勘違いなのか、誰かの手荷物かと思い神経を尖らせたけれど、そうじゃないこれは………
人の手、だ。
……痴漢…………?
お、おおお。
人生初である。
高校入学後、電車通学を始めて約一ヶ月。菜那ちゃんがいなくなった途端にコレである。
我が人生、最大のピンチ。
何故わたしなんかの尻に触れる必要があるのだろうか。
はてさて何のために。
でも「これこれ誰ですかな尻に触れる不届者は〜」なんて言いながら勘違いだったとしたら。
つまりは冤罪。大騒ぎをして一変不利に追い込まれるのはこちらだ。それにひっそりと生きてきたのに満員電車の中こんなことで目立ちたくはない。
どうしたらいいか尻に違和感を抱えたままごちゃごちゃと考え、わたしはそのまま俯き固まった。
「………っ!」
けれどもどうやら気のせいではない。
ーーーーああ、これだから………
三次元は嫌なんだ。
二次元なら決して裏切らない。
漫画のヒーローなら決してしない行動を何故この手の主は自らモブに成り下がるのか。
さて落ち着け自分、駅までは七分なのだ。
それまで耐えれば済む事だ。
生きていればこんなこともある。小学生の頃なんか耳に蠅が入ってブババと凄まじい羽音を聴き大混乱に陥ったではないか、それに比べたら、こんなこと。
こんなこと。
はやく………はやく、次の駅に…………
そう祈りながら目を瞑った、その時だった。
バンッッ!!
唐突に男の人の手が伸びてきて、わたしの目の前の扉を叩いた。
叩いた……というのだろうか。
わたしは背を向けているものの世に云う壁ドンのような体勢なのだと、窓ガラスに映るシルエットでわかった。
「すみません………」
耳元で囁くイケボの学生が、どうやらバランスを崩したらしかった。とはいえ特に強く押されたわけでもなく「いいえ」と声を出すつもりが、びっくりしてほとんど掠れてしまったけれど。
軽く会釈して少しだけ振り返り彼を見上げたわたしの瞳に飛び込んできたのは。
アニメヒーローが画面から抜け出たような顔面偏差値MAXのご尊顔だった。
その衝撃にわたしは別の意味でまた固まり、痴漢をされていたことなどすっかり忘れて彼に魅入った。
な……なんてこった………これは。
ーーーー絶対的漫画のヒーロー顔…………っっ!!
それに三次元の男子学生には考えられないくらい、この人からは微かにバラの香水のいい香りがするではないか。
いつの間にか消えていた尻へ触れる手の感触も不快感もどこへやら。
大好きな二次元の推しキャラにも感じたことのない高揚感に、わたしはあらゆる神に感謝し心の中でガッツポーズをした。
ーーーー三次元の男の推しが出来るなんて、今日はなんて幸運なのだろう………!!