19 魔王と食パンの天使(楓視点)
俺は不幸だった。
物心ついた時には破天荒な姉に振り回され、数々の尻拭いをさせられた。
精一杯の努力も財力と血筋で一蹴された。
親からの愛情はあったが基本は放任、学力という絶対的な高位数値さえあれば特に咎められることもなく、それでいて周囲の期待は強くプレッシャーは相当なものだった。
小学生のある日、消しゴムがなくなった。
鉛筆もなくなった。
買い足しても買い足しても、翌日には消えた。
果ては体操着までもが姿を消したのだ。
これが世にいう虐めというものかと、愚かな行為に大概だと嘆いたが、その全ての所業はクラスの女ということがわかった。いや、クラスだけではなく他学年の女までもが加担していた。
その利己的な歪んだ好意に吐き気がした。
エセ臭い笑いも媚びた声も耳障りな歓声も、たまに感じる姉と同じような咽せ返る香水の臭いも全てに嫌悪感が募った。
そして当然のように無臭無音の二次元へ走ったのだ。二次元にも音はあるが俺に対する感情は無だ。その素晴らしくも安寧な空間は俺の唯一の癒しだった。
「あっ、ごめんなさい蓮水くん!」
中学生になり校内で正面から女がぶつかってきた。
謝罪とは思えないしたり顔に思わず手が出そうになる。
だが殴ればこちらが一変加害者だ。
こんな頭の悪そうな女に俺が謝罪など死んでもしたくない。
ファンクラブなどと傍迷惑なものまで立てられこちらは我慢の限界だった。そして俺は決断する。
「あの世で俺に詫び続けろ」
そう、魔王という絶対的なるポジションの確立を。
そこから先は楽だった。
今まで距離が近かった女も遠巻きにするようになり、俺はいつしか『魔王様』と二つ名で呼ばれるようになった。これで煩わしさから解放される、俺は自由になったのだ。
だがその安易な考えを俺はいつしか後悔することになる。
通学電車で俺はその日天使に出逢った。
彼女は無邪気にも頭に桜の花弁を乗せて、淡いシャンプーの香りを漂わせ現れた。長い黒髪の小柄な美少女………あれ程見た目で苦労した人間が、一瞬で目を奪われるなど所詮そんなものかと己を嘆いた。
何を考えているんだ惑わされるなと己を律したがしかし、彼女の異変はすぐに知ることとなった。
俺のドストライクの見た目に加え、ある日彼女は頬にイチゴジャムを付けてきたのだ。
ーーーーなんてことだ、漫画の王道、食パンを咥えてきたとでもいうのか!?
彼女に対する俺の興味はさらに加速する。
よく見れば鞄に付けているキーホルダーは親世代しか知らないコアなものだ。しかも手作りという愛の深さ。スマホのストラップでさえそれと似たテイストの一部のアニオタにのみ知る人ぞ知るキャラクター。
そう、奇跡的に彼女は俺と同類であったのだ。
これは今まで女難に耐えた俺に神が与えた報労だ。運命というやつだ。
もっと近くでガン見したい。
声が聞きたい。嗅ぎたい。
その髪に、手に触れたい。
頬についたジャムを舐めてあげたい。
願わくばそれ以上も。
しかしそれは叶わない。
言い寄る女は数あれど、己から行った記憶はない。
そう、つまりーーーー
俺は圧倒的に経験値スライムの恋愛初心者なのだ。
なにが魔王だ、まさかここに来てそんな初歩的な弊害が訪れようとは。
彼女は幸運にも必ず決まって三両目の同じ時間帯に乗り合わせる。
話すにはどう切り出すべきか。満員電車で難破めいた言葉を口にするほど愚かではない。しかし見ているだけで満足出来るほど俺は無欲でもない。
満員電車でひたすらに、自然な流れでの彼女とのファーストコンタクトを妄想しては熟考した。
そして、初の転機は訪れる。
「すみません………」
「いいえ」
痴漢という俺にとって好都合な愚者の引き起こした事例により、俺はさり気無く彼女を守り初めて会話をしたのだ。
だというのに、それで終わった。
そう、愚者は俺自身だった。
俺は生まれて初めて焦った。
時間は有限だ、このままでいいはずはない。
万が一にも彼女に彼氏がいればそいつを蹴り落とし奪う自身はある、勇者だろうが何だろうが魔王が天下を取ることだってある……と思うはずが未だに声もかけられないのが現状だ。
彼女の高校は把握したが、名前すら………
そんな時、クラスの女が言った言葉に俺は身を乗り出す。
『中学の時に長い髪の女がいて、そいつ自分が作ったとかゆーダッサいキーホルダーつけて!アニメだのゲームだの、ホンット気持ち悪いったら!』
これはチャンスだ。
この女は彼女を知ってる、同じ中学ならば。
「今度、卒業アルバムを見せてほしい」
せめて彼女の名前を知りたい。
そうすればさらに情報を掴めるだろう。
ただアルバムを校内へ持参してくれるだけでよかったが、女は家へ来るものだと勘違いをしていることに気付いた。
誤解を解く暇もなく俺は駅構内の階段から転げ落ち記憶を無くした。
なぜならば、その日天使がキーホルダーを落とし、やっと巡り巡ったチャンスに浮かれていたためだ。
その嬉しさを圭介に速攻連絡をした後、悲劇めいたその事故は起こったーーーーーー
月曜日夕方投稿予定です。
完結まで数話です。お付き合い下されば幸いです。