5,数学教師
「次は数学の授業か……」
リリアと一緒に食堂でお昼ご飯を食べた後、私たちはのんびり中庭を歩いていた。
「まぁ、まじめに授業を受ければ、あの先生も何も文句なんて言えないわ」
「そうなんだけど……明らかにほかにも私よりさぼっている人がいるのに、私だけ注意されるなんて納得いかないわ」
リリアが私をなだめてくれるものの、気持ちは依然として落ち込んでいた。
「もっと楽しいことを考えましょうよ。ほら、数学の後は音楽の授業でしょう? しかも今日は歌の授業だし、きっと楽しいはずよ」
「そうね……あの先生は少し頑張っただけでほめてくれるから好き! もう、全員彼女みたいだったらいいのに!!」
音楽の先生の名前はエマという。
彼女はとても明るい性格で、いつでもにこやか、ほめ上手、おっとりしていて物腰が柔らかいという、いかにもモテそうな女性だ。
授業外でも女子男子問わず先生の周りには人が集まっていて、かくいう私もその一人。
更に言えば、生徒の中でも先生のことを慕っている人もいるらしく、何度か玉砕したという話も耳にする。
「……ちょっと焼けちゃうわね」
「何言っているの? 私はリリアのことも大好きよ!」
「ふふ、ありがとう」
そんな取るに足らない話を楽しみながら散歩をしていると、庭の奥の方から女の子の声が聞こえてきた。
「……あの、突然呼び出してしまってすみません」
そんな声が聞こえてきたものだから、私とリリアは顔を見合わせた。
「これってもしかして……告白!?」
「そうみたいね……ここはお邪魔せずにそろそろ教室へ帰った方がいいかしら」
「教室に帰るの? こんなに面白そうな場面を見逃すわけにはいかないわ! ほらもう少し近づいてみましょう!」
「えぇ……」
ためらうリリアの手を引き、二人でこそこそ話しながら、ゆっくりと声のする方へ向かっていく。
前世では恋愛小説を愛読していた私、こういった話は大好物なのだ。
「言いにくいことなのか?」
近づいたことにより男の方の声も聞こえてくるようになった。
その低い声を聞いたとき、私たちは再び顔を見合わせる。
「え、えっと……ちょっと待ってくださいね……?」
「分かった」
不必要に長い言葉を発さない、そしてこの声色。
間違いない……私の兄、レナルドの声だ。
運動会以降、前にもまして女子生徒たちからキャーキャー言われていると思っていたけれど、まさかこんな場面に遭遇してしまうなんて!
そこまで考えたところで、私はハッとしてリリアの表情をうかがう。
「ごめんなさい……今からでも帰る?」
ほぼ口パクくらいの声量でリリアに謝罪をする。
こんな場面見たくないだろう。
ところが、リリアは首を横に振ると、茂みの陰からレナルドと女子生徒の様子を見ようとしていた。
「……あの! 体育祭の時、私を魔力暴走から助けてくれた時から、ずっとレナルド様のことが好きです! もし心に決めた方がいらっしゃらないのなら、私とお付き合いしていただけませんか?」
彼女は一息に言葉を吐き出す。
その様子にレナルドが息をのむ音が聞こえる。
どれだけ時間が経っただろうか?
いや、実際には対して時間は経っていないのかもしれない。
レナルドが大きく息を吸う音が聞こえた。
「すまない、君と付き合うことは出来ない」
そう言ったあとに、勢いよく頭を下げる音が続く。
「そんな謝らないでください! 受け取ってくれてありがとうございます」
彼女はそう言い残した後、足早に中庭から出ていった。
しばらくしてからレナルドも出ていく。
私とリリアはどちらにも気づかれずに、茂みの陰で息をひそめていた。
「……リリア?」
「……」
いま彼女は何を感じているのだろうか?
ほっとしたような、それでいてどこか苦しそうな表情は、彼女が自分の気持ちを痛く感じていることを物語っていた。
「……きっとこれを口にしたらもう後には戻れなくなるのだけれど」
「うん」
リリアは頬を赤らめて、うつむきがちに私に告げた。
「私、レナルドのことが好き」
◇◇◇
「あら、サマンサさん。今日は急いでいるの?」
音楽の授業が終わった後、いつもならエマ先生とおしゃべりをするのだけれど、今日はそうはできない理由があった。
「そうなんです! 私が今日もぼーっとしているからって、放課後、あの数学教師に呼び出されているんです! もう本当に嫌になっちゃうわ」
「まぁまぁ落ち着いて。数学の先生も、貴方が集中して授業を受けてくれるようになることを願ってのことなのよ、きっと」
「うう、エマ先生はどこまでも良い方ですね」
「そうかしら? ありがとう」
昼休みに、リリアから好きの気持ちを打ち明けられた私は、当然次の授業である数学なんて集中できなかった。
もとから目をつけられている私は、またしても数学教師にぐちぐちと説教をされて、罰として放課後の資料運びを言いつけられたのだ。
あいにくダリルをはじめ、みんなはそれぞれ用事があり、一人でどうにかしなくてはならない。
さっさと終わらせてしまおう。
そう思って駆け足で数学準備室へと向かったのだが、そこには運ぶ予定の資料が置かれていなかった。
準備室の中にも、あの人の姿は見当たらない。
「全く、人を使うなら準備くらいさっさとしてほしいわね!」
その場で十分ほど待ってみたものの、数学教師がやってくる様子もない。
待つのは性に合わない。
私はそのまま校内をふらふら歩き出した。
一階から五階まである本館をぐるっとまわり、別館も学生の立ち入り禁止区域以外は見て回った。
「あの教師……どこへ行ったのかしら?」
もう帰ってしまおうかと、立ち入り禁止区域の方を眺めていると、勢いよく一つのドアが開く。
私がいるところは一応立ち入り禁止区域の手前の廊下なので、いてもいい場所なのだけれど、なんだかここにいてはいけないような気がして引き返そうとした。
しかし、ドアから出てきたのが例の数学教師であったことに驚いて固まってしまう。
向こうも廊下の奥にいる私に気が付いたのか、一瞬立ち止まった後、私の方へツカツカと近づいてきた。
「何の用だ?」
「えっと、資料運びを頼まれていたのに見当たらなかったので……」
「今日は忙しいから帰っていい。あと、ここに私がいたことは、他の生徒には言わないように」
そのまま速足で行ってしまった。
私は、彼が一体何を隠しているのか……立ち入り禁止区域のことが気になったけれど、
とりあえず今は一人なので引き返すことにした。
「……あの教師、何かおかしいわ」
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