ボクは笑い、そして気付く――
ナナホシが自分の子供が寄生したゾンビを直接攻撃し、その体液をぶちまける。
そんなことをするなんて、僕は知らない。攻略サイトにもSNSにもそんな記述はなかったし、『AoD』内で実際に襲われた時もそんな行動はしなかった。
――単に僕が知らなかった、という事はない。そんな事があったなら誰かがネットに書き込んでいただろう。そりゃマイナーなゲームだから見過ごすこともあったかもしれないけど、逆にマイナーだからこそ情報網はきっちりしていたと思う。
「僕の知らない行動だなんて……」
僕がこの『AoD』で無双できるのは、ゲーム知識があるからだ。それが通用しないとなると、隙を見せることになる。そして防御を捨てた構成である以上、その隙が致命的になることもある。
「そんなことをされたら……」
喰らったバッドステータスは『毒』と『混乱』。胸のあたりに不快感が溜まり、自分が誰なのかが分からなくなる。『AoD』的には加速的にゾンビウィルスの侵食率が溜まり、<ラッキーアイテム>が無効化されてクリティカル率が下がった状態だ。
致命的ではないけど、崖に追い込まれている。そんな状況だ。ゾンビウィルスの侵食率が100%を超えれば、ゾンビ化にリーチ。クリティカル率が低くなれば、それだけナナホシを倒すのに時間がかかってしまう。
「僕の『長所』が封じられたら……」
なによりも『ナナホシが予想外の行動をする』と言う事実が問題だ。相手の攻撃を読んで、それを元にどう動くかを計算する。それは相手の行動が決まっているからできることだ。
つまり予想外の行動をすると言う事は、相手の行動が読めなくなると言う事だ。それは――
「あ、は――」
笑う。
「あはははははははははは!」
笑っちゃう。
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」
だって、だって!
「――《《楽しい》》!」
そんなの、とても楽しいじゃないか!
忘れていた。この感覚。
ヒリヒリした感覚! 相手の思考を読む感覚! 見えない闇を手探りで進み、そして相手に勝利する感覚! まさに死ぬかもしれないゲームをしているかのような、ワクワクした感覚!
「そうだよ。こうでなくっちゃ!」
体は毒に犯されて、脳はぐちゃぐちゃに混乱している。
だけど手足は動く。思考は問題なく組み立てられる。何の問題もない!
「ミッチーさん、無事!?」
「ワタシは問題ないネ! むしろバス停の君がいきなり笑い出してびっくりしたヨ! 日本のことわざで言う所の、覚醒モード?」
「かもね! さあ、続けようか!」
<ドクフセーグ>で体液を防いだミッチーさんは、何のバッドステータスを受けていない。
つまりあの行動でどうにかできるのは洋子のみ。むしろナナホシ子供に寄生されたゾンビの数が減って、動きやすくなったぐらいだ。
「悪手だよ、キミ」
洋子/僕はナナホシを指差し、そう告げる。
そうだ。これは悪手だ。自分の味方を犠牲にして、洋子に致命的とは言えない状況を与えた。互いに痛み分けだけど、損失はナナホシの方が大きい。
「だってゾンビの数が減ったら――」
走る。呼吸の度にゾンビウィルスが体内に蓄積されていくのを感じるけど、気にせずに走る。毒が回り、気持ち悪い感覚が胸のあたりで高速回転しているけど、まだ大丈夫。
「ボクが自由に動けちゃうじゃないか!」
体当りをしてくるゾンビを交わし、一気にナナホシに迫る洋子。走り抜けながらバス停を振るい、横に跳びながらブレードマフラーで傷を入れる。振るってくる節足をバス停で切り払い、着かず離れずの状態を維持しながら打撃を加えていく。
「ミッチーさん、8から来るよ! そのままガス噴射!」
「オ、オウ!? あの、バス停の君、大丈夫ですカ? かなり毒回ってるようデスけど」
「この程度じゃ死にやしないさ!」
「イヤイヤイヤ! それダメな病人がいうセリフですカラ!?」
でも本当に大丈夫なんだから仕方ない。
それに、なんとなくだけどナナホシのことが分かってきた。
「だってコイツ、思ってた以上に臆病だもの」
ナナホシの動きは、意外と単調だ。
多くの寄生ゾンビを従え、自分に近づく者を優先的に攻撃する。事、バス停で殴りかかろうとする洋子を攻撃する時は必ずと言っていい確率で節足で殴りかかってくる。
おそらく反射的な行動だ。近づかれたから手を払って追いはらう。そんな生物めいた行動。
ゾンビは死んでいるから、死を恐れると言う行動は行わない。むしろダメージを喰らってもなお、自らの行動を順守する。首がもげても腕を動かすなんざ、ザラだ。
だけどナナホシは違う。明らかに、自分の身を守ろうとしている。
洋子の足を止めようと、子供が寄生したゾンビを攻撃して体液をぶちまける。
よくよく考えれば、それも自分の身を守ろうとしたに過ぎない。動き回る洋子を止めようと、洋子をバッドステータスにして足止めしたかったのだろう。その戦術性はむしろ――人間めいていた。
まるで生きているかのような存在。ゲームキャラではない、ゾンビではない、生きた存在。
僕はそれに武器を向けて、殺そうとしている――
「バス停の君! なにしてるネ!?」
気が付くと、僕/洋子はバス停を振り上げた状態のまま、動きを止めていた。
時間にすれば、一秒にも満たない時間だったのだろう。だけどその間にナナホシは羽を広げて跳躍する。マズい、今突撃されたら避けられない。バス停で防御しようにもナナホシの巨体はバス停では受け止めきれない。ゾンビウィルスが十分に溜まった状態で大ダメージを受ければ、そのまま気を失ってゾンビ化してしまう。
詰んだ――
<ギシャアアアアアアアアアアアアアアアアアア!>
奇声を上げ、翼を広げたナナホシは夜空に飛び去っていく。
その姿が闇に消えて、ようやく事態を理解できた。
「逃げた……カナ?」
「みたいだね……」
カラン、という音と腰に強い衝撃。どうやら脱力して、腰が抜けたようだ。足の力が抜けて、地面に座り込む洋子。握っていたバス停も手放してしまったのか地面に転がっている。
「ヨーコ先輩!?」
ナナホシがいなくなって、駆け寄ってくる福子ちゃん。なんだよ、そんな泣きそうな顔しなくても。嫌いな蟲がいなくなったんだから、もう少し安心しても――
「あ――れ?」
視界がグルグルまわる。気が付くと空を見上げていた。満天の夜空。吸い込まれそうな闇。揺れる視界。酔っぱらったかのような浮遊感。いや、洋子の体ではアルコールを摂取したことはないんだけど。
これ以上の思考は続かず、意識は闇に落ちていった――