下関へ
金曜日、
東京駅から夜行寝台列車に乗った。
東京駅には抒情が漂っている。
列車の到着を告げるアナウンスも
旅行バッグやお土産の包みをもって慌ただしく通り過ぎる人々のざわめきも。
そんな渦中にいると自分の家へ帰るだけだというのに
なぜか遥も見知らぬ地へ旅立つような感傷にとらわれる。
大学へ入る前までは一人旅などしたことはなかった。
しかし、この二年ほどの間にすっかり一人旅にも慣れたような気がする。
「あさかぜ」は午後七時きっかりに東京駅のプラットフォームを滑り出す。
東海道線と同じラインを走るのだから、東海道線の電車や湘南電車と同じはずなのに、鉄路のゴトン、ゴトン、という響きがどこか異なっているように思われ、旅情をを掻き立てられる。
直前を走る平塚行の電車があるためか、平塚まではスピードが出なかったが、平塚を過ぎると急にスピードが上がったようだ。
空はブルーから濃いブルーへ、より深いブルーへ、さらに深い灰色がかったブルーへ、そして夕闇が訪れ、夜の帳の中で街の灯が輝きだす。
しかし、平塚を過ぎるあたりからは街の灯も次第にまばらになってゆく。
平塚駅を過ぎるとすぐに海が見えるはずなのに夕やみに溶け込んでしまった海の輪郭も境界線ももはや見出すことはできない。
小田原を過ぎると短いトンネルが現れる。
いつの間にか海岸線よりかなり高い所を走っているようだ。
下の方を見ると真鶴道路が見える。
結構渋滞しているようだ。
テールランプが連なっているのが見える。
(そうか、金曜日の夜だから、今から伊豆方面へ出かける人が多いのかもしれない。)
そう思った次の瞬間に、列車は又トンネルに入っていた。
熱海で停車した。まだ、九時だけれどそろそろ休もう。
明日は早く起きて広島から先の瀬戸内の景色を見るのが楽しみだから。
いざ眠りに就こうとすると、列車の揺れと鉄路の響きはなかなか子守唄というわけにはいかない。
それでもいつの間にか眠りに落ちたらしい。
「お早うございます。
午前六時になりました。
只今、列車は定時で運行中です。
間もなく「西条」に到着いたします。
「西条」を出ますと、次の広島には六時三十四分の到着となります。
お降りの方はお早めにご準備ください。
「西条! 西条! 西条」です。」
アナウンスで目を覚ます。
そうだ。 起きなくては。 広島を過ぎるとそろそろ海が姿を現すから。
あいにくとその日は雨だった。
しかし、遥はあまり失望しなかった。
早朝このあたりが雨に見舞われていても、下関に近づくにつれて天候が回復することがたびたびだったからだ。
多分、今日もそうだろう。
宮島口の付近から、間近かに見える厳島は霧に覆われてはいたけれど、薄絹をまとったようなその姿を見ることができた。
遥の思った通り、岩国を過ぎるころから次第に雨はやみ、朝日が列車の後方からさし始める。
良かった。
今日も由宇から柳井にかけての美しい海岸線と瀬戸内の海を眺められることだろう。
昨夜は熟睡できなかったはずなのに、遥はもうすっきりと目覚めていた。
九時五十分に下関駅に到着。
両親が迎えに来てくれている。
やっぱり良いな。親って。
下関の駅ビル・シーモールのレストランは十一時開店なので、一階の喫茶店で時間をつぶす。
「遥ったら、この間会ったばかりなのに、少し大人っぽくなったみたいね」 母が言う。
「全然変わってないわよ。相変わらずだもの。 ま、悩み多き人生ってとこかな」
「やだわ、この子、人生の苦労を全部自分で背負ったみたいなこと言って」
遥が父に聞く。
「今晩、蛍、大丈夫そう?」
「昨日、会社の人に聞いたら、『多分大丈夫でしょう』と言ってたよ」
「良かった。明日はもう帰るわけだから今晩しかないんですもの
「しかし、遥も面白いわね。蛍を見るためだけにわざわざ帰ってくるなんて」
「やっぱり、もの思うお年頃なのよ」
「いやだわ、そんなこと、自分で言う人なんていないんじゃないの」
「ほんとに、やだ、やだ、お母さんと話していると全部漫才にしちゃうんだから」
その日の夕方、私たちは蛍狩りに出かけた。
父の母校がある吉見湾に流れ込む永田川の下流に蛍が出たというので、訪ねてみたが、時期が遅かったのか、殆ど蛍を見ることはできなかった。
永田川に沿って少し上流へ車を走らせた。
そこは何年か前、かなりたくさんの蛍を見ることができたポイントだったが、徒労に終わった。
「御坂の森へ行ってみようか」
父の発案で御坂の森へ向かった。
下関市民の水がめでもある御坂の森はうっそうとした樹木に覆われ、冷気が感じられた。
しんと静まり返った貯水池へ下りてゆくと蛍狩りに来たらしい車が何台も停まっていた。
幾組かの家族が歩いている。
懐中電灯を持っている人もいる。
湖面へ近づくと蛍が光っては消えるのが見え始めた。
更に湖面へ近づくとおびただしいし数の光の点滅が見えてきた。
クリスマスの豆電球の点滅を蛍の光に例えた人がいたけれど、そこには何と大きな隔たりがあることだろうか。
それは全く異質のものだ。
或る時は激しく、ある時はか弱く、長く、短く、光彩を放つ蛍の光には命が感じられる。
生命の営みが感じられる。
その光は美しく清々しく流麗であり、ファジーであり、カオスでもある。
(浩司君が見たら、何というだろう?)
遥はそんな思いにとらわれた。
「蛍、捕まえたよ」
すぐ近くで子供の声がする。
見るとその子は恐る恐る掌を開き、懐中電灯の光を当てた。
そこには、黒褐色の小さな殆ど無様と言える虫が横たわっていた。
遥はその落差に慄然とした。
こんなに醜いとさえいえる小さな体で、あのように明るく美しい光を放つことに。
遥には、何故か蛍がとても愛おしくけなげなものに思われた。