両親が上京
二月の後半は期末試験で忙殺された。
目いっぱい単位をとっていたから、留年する心配は無かったが、出来るだけ早いうちに、出来るだけ多くの必須科目の履修を済ませたかった。
(後で楽ができますよう)そう思っていた。
未だ、教養課程であることもあり、かなり真面目に授業を聞いていたので、どうやら予定通りに単位をとれそうだった。
春休みには両親が車で上京してきた。
もちろん、遥に会うために・・・
いいえ、それは表向きのことで、本当は、母はそれを口実にして父との長距離ドライブを楽しみたかったようだ。
二人が遥の下宿に泊まるのは物理的に不可能だからだが、母は改築されて間もない都市センターホテルに泊まりたかったようだ。
三ヵ月ぶりで見る母は華やいでいて、少し若返ったようだ。
チェックインした部屋は二十一階の東側にあった。
西側であれば富士山の姿が見えるらしいが、東側からは皇居とその向こうに林立する大手町のオフィスビル群を見渡すことができた。
「まあ、良い景色!」独り言のように母が言う。
「ほんと。でも、やっぱり私は日和山から見る景色の方が良いな」遥が返す。
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日和山は現在、両親が住んでいるところだ。
遥が中学三年の時、父は北九州本社へ転勤になった。
最初は北九州の社宅に住んでいたのだが、移転して、一月ほど経った頃、週末に関門海峡の対岸の下関を訪れた。
母も遥も初めての下関だったから、二人ともすっかり観光客気分で、長府の武家屋敷を見たり、史跡巡りなどをした。
そのあとで、父の母校を訪ねることになった。
下関から山陰方面へ少し上った吉見というところにあるという。
三人は191号線を走った。
市街地をしばらく走ると海水浴場を示すサインが現れ、リゾートが近いことが感じられる。
やがて、人家がまばらになると、突然左手に海が開けた。
それは正にコバルトブルーで染め抜かれていた。
小さなソフトクリームのような島が三つお行儀よく並んでいる。
前方左手には海抜五十メートルほどの丘が半島のように突き出している。
一面を緑で覆われたその丘のちょうど中央部分にはドールハウスのような白い建物が見える。
それが、父の母校だった。
「まるで、別荘ね。 こんなところに四年間もいたの? 羨ましい!」殆ど溜息まじりに母はつぶやいていた。
実際の校舎はもちろん三階建てか四階建ての鉄筋コンクリート造の校舎らしい物だったが、底抜けに明るいキャンパスのモザイク模様の歩道には南国を思わせる太陽が燦々と降り注いでいた。
校門の正面は湾に面している。
そこから部活で練習にでたばかりらしいヨットが点在しているのが見えた。
確かに、遥が東京で見たいくつかの大学の雰囲気とはまるで異質のものだった。
その帰り道、下関の旧市街にある日和山へ寄った。
高杉晋作の備前焼の陶像があるので有名だということだったが、二人を何よりも驚嘆させたのは、その素晴らしい眺望だった。
左手、東の方角には白いつり橋型の関門橋が見え、正面には海峡を隔てて門司港の建物群や停泊中の船舶がみえる。
正面やや右手には巌流島と呼ばれる船島があり、その右手には海峡ゆめタワーが聳え立っている。
白い航跡をひいて海峡を往来する様々な船の姿さえもオブジェにして、正に壮大な箱庭としか形容する言葉を見つけることはできなかった。
「わぁ、 きれい! いいなぁ! こんなところへ住んでみた~い」
遥がそういうと、
「本当よね。この景色を見ていると嫌なことなんかみんな忘れてしまいそうね。
と母が続ける。
父も黙って頷きながらそのランドスケープに圧倒されているようだった。
それから数か月がたち、一家は日和山へ移転した。
父はそこから、北九州の会社へ通勤を始めた。
遥は日和山からの景色をとても気に入っていた。
刻々と変わる海の色も、海峡を渡る船も、朝日も、夕焼けも、優しい雲も、入道雲も、海峡を埋め尽くし北九州を神隠しのように消滅させてしまう濃い霧も、そして一切のものが。
そう、大学入学のため、再度上京するまで、遥は日和山からの風景を飽かず眺めていたものだった。)
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「もちろん、日和山からの景色もいいわよ。
だけど、あまりにも箱庭的でまとまりすぎているし。
こちらの方がダイナミックじゃない?
さすがに大都会らしい威厳のようなものがあるわよ。
うん。良い、良い。ビュッフェっぽいと思わない?」
母は一人で悦に入っている。
「そういえば、おかあさん、ビュッフェ、好きですものね。
私はビュッフェも好きだけど、カシニヨールの方が良いな。もっと好きだな」
遥は去年のクリスマスパーティの時に見たカシニヨールの絵を思い出していた。
「遥は甘いのが好きだから」
「ところで、明日からはどうするの?」
遥が聞いた。
「最初は軽井沢へ行こうかな? なんて考えてたんだけど、軽井沢は未だ寒いらしいの。
五月になるとやっと落葉松が小鳥の足跡のような芽をちゅんちゅんて出すんだから、まだ早すぎるっていうのよ。お父さんが」
「そうなんだ。 五月になってからなんだ。 落葉松が芽を出すの。
落葉松。見に行きたいな。
『からまつの林を過ぎてからまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。
からまつの林を出でてからまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りてまた細道はつづけり』か」
「お、遥もなかなか言いますね」
「混雑しないうちに東名を走りたいから明日は早くスタートしますよ」という父の言葉に促されて三人は夕食に出かける。
父も母も東京生まれの東京育ちだった。
下関の大学へ入学のため初めて東京を離れた父は卒業後、関門海峡を隔てただけの北九州の会社に就職。
東京支社勤務となって東京へ戻ってきた。
そして、母と結婚したのだった。
東京にいたころには、週末になると、私達一家は良くドライブに出かけた。
伊豆方面へも何度となく行っている。
その時によって、いろいろなルートをとるのだが、今日は東名厚木から大磯を通って西湘バイパス経由で行くことにした。
大磯は父のお気に入りの場所の一つだ。
東名厚木からは129号線~平塚経由のルートも考えられるが、今回は厚木―小田原道路で大磯インターまで行き、1号線をわざわざ平塚方面へ戻った。
滄浪閣前の旧街道の松並木の道を通る。
ここを通らないと大磯へ来たような気がしないのだと父は言う。
結局大磯駅まで戻り、そこから西湘バイパスへ入る。
西湘バイパスから真鶴道路へ。
その日はいくらか風も強かったためか、波が高く白く砕けては豪快に浜辺に打ち付けていた。
「あれ、いつだったかしら。 夜の海にお月様が映ってとても綺麗だったの・・・」と母が言う。
「いつだったかな? 満月に近い月が海に映ってその近くの波がさざ波のように揺れて光っていたよね」父が答える。
「そうよ。あれは本当に静かで、正に幽玄の世界だったわよね。 もう一度見たいわ」
荒々しい海のどこかにその幽玄の世界を見つけ出そうとしているかのように母は窓外を見続けている。
遥もその風景を思い出していた。 ドライブは殆どいつも家族三人一緒だったから。
所々で休憩をとりながら三人は今日の目的地である伊浜へ向かった。
夕方、伊浜に近づくと沿道にも伊浜名物のマーガレットの花が咲いているのが見られる。
その日の宿は伊浜の漁港にある民宿であった。
国道から伊浜へ向かう急な坂道の途中に山桜が群生している場所がある。
その近くで車を止めた。
山桜はすでに青々とした葉を勢いよく伸ばし始めていた。
「この前は何時だったのかしら、山桜が満開でそれは見事だったわよね。」
残念そうに母がいう。
「そうだね。二月ころだったのかもしれない」と父が答える。
もちろん、遥もその時、この場所にいた。
そして確かに素晴らしい山桜にうっとりとした記憶が鮮やかに思いだされる。
浩司の先輩が詠んだという
「山桜炭酸色の少年の息」の句が遥の脳裏によみがえった。
(そう、いつか見たあの風景はその句そのものだった。)
そして、お誕生日会以降,浩司にも郁美にも会っていないことが遥にはなんとなく気がかりだった。
あれから二人はどうしているのだろう。
すっかり葉桜となった山桜をしばらく眺めた後で、数分で到着するはずの今夜の宿を目指して三人を乗せた車は急峻な坂道を下って行った。
漁港には高い波が打ち寄せては白く砕けているのが遠くから認められた。