金魚が来る1
とある事件で幽霊になったいちご。しかしその突き抜けた天然さは、極度の口下手な金魚の言葉を正確に夜幾郎に伝えてくれます。
まず初めに、この金魚という新しいクライアントについての概要をまとめておく——僕は黒い革表紙の大きな本に万年筆を走らせる。
金魚本人は「う……」とか、「え……」しか言わない。
したがって、これから紹介する金魚のプロフィールに関しては、僕こと夜幾郎の観察と、いちごの通訳(通訳と言ってしまうが、それはもう、ほぼ『テレパシー』にも近いいちごの不思議なコミュニケーション能力)によるものだと記しておく。
金魚は——
無口、無表情、無愛想。
鋼鉄のシャイ、ウルトラ恥ずかしがりや。かと思うと大胆。
サドで不器用。
思い込みが異常に強い。
極度の世間知らず。
超まじめ——
ここまで書いた僕は本から顔を上げて、ふぅとため息をついた。
——そんな金魚がやって来たのは昨日の午後だった。
「りーん、りーん」事務所の呼び鈴が二度鳴らされた。
「はい、いま開けます」僕が玄関の扉を開けると、そこに一人の少女が立っていた。
歳の頃は十代後半、黒髪がザンバラな印象のショートカット。
切れ長の目は僕を静かに冷たく見つめて揺るがない。
色白な肌に赤くて薄い唇を一文字に結んでいる。そして服装はちょっと野暮ったい濃い色のセーラー服、つまりどこかの高校の制服で、足元は紺色のソックスにこげ茶色のローファー。スカート丈は極短くて、どこにでもいそうな女子高生という感じだったが——
この娘の服装で一番目立つ、と言うか野暮ったさを強調しているのが、セーラー服の胸元に大きなピンク色の安全ピンでとめられた大判の名札だ。それには太マジックで『3年遠山金魚』と書かれていた。どうやら、それが彼女の名前らしい。——金魚? 読み方は『キンギョ』でいいのだろうか?
それと彼女の学年が三年生なのは分かるが、クラス名はないのか? 普通なら三年B組とかあるだろう?
そしてこの突然の訪問者を語る時、忘れてならないのは肩に掛けた黒いビニールレザーのケースだ。その中には白さやの日本刀がふた振り収められていた。——マジで切れる真剣だ。
「あ……」その少女、金魚が唇を動かす。
「はい?」僕が答える。
「う……」金魚が再び唇を動かす。
「?はい?」僕が今度はクエスチョンマークを二つにして聞き返す。
「しょ……」金魚が言う。
「勝負しろだって」いつのまにか僕のすぐ後ろまで来ていたいちごが口をはさんだ。
「しょ、勝負?」面食らった僕がその言葉を繰り返す。
金魚は両手に一本ずつ刀を持って、それを僕に差し出すと「ん……」と言った。金魚に続けていちごが言う。
「どちらか、刀を選べって言ってるよ」
「そ、そんな、しょ、勝負って、その刀で斬り合うってことですか? そんなことしたら死んでしまうじゃないですか? この場合、おおむね僕のほうが——」僕は動揺を隠せない。
——もうこの場合、動揺を隠そうとも思わない。むしろアピールしたい。
いくら僕の正体が悪魔でも、そしてその悪魔の本質がエネルギー体でも、人として人間界に現れるときにはエネルギー体を物質である実体(人間と同じ構造の肉体)に変換しているのだ。その肉体が事故や病気で損傷すれば、それはすなわちエネルギー体が損なわれることになる。そうなると悪魔でも人間と同じく弱ったり、死んでしまったりするのだ。
「そんな勝負は受けられません!」 断固拒否する僕。
「どこにそんな突然、望みもしないストリートファイトが向こうからやって来て、家の中に上がりこんで繰り広げられなければならない道理があるのですか? しかも真剣で!」——そう思ったが、それでもアルとリサコみたいなのはやって来たりするのだ。僕は呪われているのか? 自分が悪魔なのにそんなことを疑ったりする僕だった。
「んあ……」
「それでは何で勝負を決めるんだ? って言ってるよ」いちごが訳す。
「いや、何で勝負することが前提になっているのですか?」冷たい汗が背中を流れ落ちる僕が悲痛な声を上げる。声が裏返ってしまった。
「あ……」としか言わない金魚にいちごが続ける。
「勝負してあんたが勝ったら、自分も覚悟を決めて悩みを打ち明けるけど、自分が勝ったら悩みは明かさない。だって」
いや、なんでそうなるの? て、言うかいちご、その翻訳力っていったい何なの? この娘、「あ」しか言ってないじゃん? それだけでこの娘の一人称が『自分』なのだとかも分かっちゃうの?
「うう……」金魚の無表情に微妙な変化があったような気がする。
いちごが通訳する。
「人に話すには恥ずかしすぎる悩みだからだって」
「命とられなきゃ話せないようなお悩みなんですか?!」いや、そんなお悩みは聞きたくない! 職務を忘れて心の中で絶叫する僕だった。






