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第14話 火星のどこかで待ち合わせ(後編)⑩

「ハニー」と呼ばれて目を覚ました。「そろそろ朝食の時間です」

 その通りだった。非番でも、朝食の時間は決まっている。

 自分を見下ろすアンドロイドに、羽生は目をしばたいた。誰かに起こされるのはずいぶんと久しぶりだ。「ああ……。起こしてくれてありがとう」

「どういたしまして」

「おまえはどうする?」

「外出します」


 散歩に行くと言うマスタードと部屋の前で別れた。食堂で無事温かい食事にありついた後、トレーニングルームの方へ向かう。

 足音が聞こえたと思ったら、後ろからロスが小走りに追いついてきた。

「おはようございます、軍曹」

 羽生はロスを一瞥した。「おはよう」

「筋トレですか?」

「ああ」

「やることもないですからね」

「そうだな」

 羽生が倉庫2の件で口火を切る前に、ロスが隣に並び、言った。「ゆうべはよく眠れました?」

「は?」

 ロスはぐっと距離を詰めてきて、羽生を見上げ、ささやくように言った。「あんな人形、部屋に連れ込んで、楽しいんスか? そういう機能もついてるんです?」

 羽生は足を止めて、ロスを見た。

 彼はにやにやして肩をすくめた。「冗談っスよ」

 次の瞬間、ロスの胸倉をつかんで壁に押し付けていた。

「おまえこそ、『あんな人形』に嫌がらせして楽しいのか?」ぐうっ、という肺の空気を伴う声がロスの口から漏れる。「いいか、二度と、二度とおれの観測手に文句をつけるな。今度なにかしてみろ、ぶっ殺してやるからな。火星人の巣の前に放り出してやる。モノに敬意も払えねえクズが、どうなろうが、こっちは知ったことじゃねえんだよ」

 廊下の向こうからフィギーが走ってきて、羽生とロスを引き離した。「ちょっとちょっと、なにしてるんだよ!」

「冗談だよ」羽生は言った。「なあ? ロス」


 二十分後にファッジのデスクに呼び出された。ファッジは上司の顔で厳しくここ火星基地という閉鎖空間での協調の大切さを説き、六時間以内にストレスコントロールプログラムをやるように勧め、今回は注意に留めるが今後同様のことがあったら同じようにはならないとくぎを刺し、ロスについては怪我もないしこちらも謝りたいと言っていると伝えてきた。羽生は和解の端緒に乗り、暴力行為を謝罪して反省の意を見せた。

 椅子をくるりと回すと、ファッジは上司モードを解除した。

「このボケナス。なんだってまたロスとトラブルなんか起こしたんだよ?」

「おれの観測手を侮辱した。あいつを宇宙のチリにしてやりたい」

「こらこら」口調が少し優しくなった。「この広い宇宙にデブリがちょっぴり増えるだけだぜ」

 羽生は部屋にあった椅子にどさりと座った。「……悪かったよ。手間とらせた」

「おれじゃなくてフィギーに言え。やっこさん、ちょっと参ってる」

「なんで」

「いろいろがんばってくれてるんだよ。あいつの代わりにさ」


 基地内でいざこざが起こると、たいていはクリスがうまく仲裁していたのだった。フィギーの必死な様子を思い出すにつけ、「あとで謝っとけよ」というファッジの申し向けにも、素直にわかったと返す。

「ロスのやつも、ひと言余計なところがあるからな。そこは指導した」

「あいつ昨日、マスタードを倉庫から追い出した」

「気持ちはわかるよ。でも、備品を整理しただけだ。奴に言わせればね」

 ぐうの音も出ない。マスタード本人だって“自分は物です”という主張を変えたことはないのだから、そこを違うとは言えなかった。

「そういう地味な嫌がらせされる心当たりはあるの? 奴とは前からの知り合いなんだろ?」

「は?」

「前にどこかで会ってるような口ぶりだったけど」

「いや、ここに来て初めて会った奴だ」

「……あ、へえ、そうなの。ふうん」

「なんだ?」

 ファッジはホホホ、と変な笑い方をした。「罪な男ですなあ」

「ほんとに知らねえよ。それにおれの知り合いなら、だいたいはおまえの知り合いでもあるだろ」

「それもそうか」背後の棚を開けて羊羹を出し、パッケージをバリバリとはがしながらファッジは諭した。「注意して見ておくけどさ。とにかく、うまくやれよ。おれがいなくなっても」

 羽生は一瞬言葉に詰まった。「もう任期だっけ?」

「三か月後にな」そう言うとファッジは羊羹にかぶりついた。「半年後ふぁんほしほにはおまえもだぞ」





 ファッジが火星を発つと、羽生も自分の帰還をいやでも意識せざるを得なかった。新しい兵士が補充され、火星人駆除の日々が過ぎていき、残りの滞在時間があと二か月を切っても、後任の狙撃手が決まった連絡はなかった。


 ネッド班長はファッジやシモンズと時を同じくして任期を開始していたが、期限が延長され、羽生と同じ船で帰るものと思われた。「地球で待つ家族もいないもんでね」とこの老兵は口唇の端をひねり上げたが、次長からたびたび連絡があったことを鑑みるに、慰留されたのだろう。施設のどこかの具合が悪いのを直し終えてから、帰ることにしたようだ。

 同様に地球への帰還を先延ばしにした者にドクター・ジェラルドがいた。こちらはやはり後任問題があるようだったが、帰るのに気乗りがしないのも事実だと、健康面談の時間に羽生に打ち明けた。

「戻ったら、引っ越そうかと思って。お金がたまったし、アメリカを出るのもいいかも」

「どうして?」

 ジェラルドは微笑んだ。「ぼくの顔に見覚えない?」

 相手の顔をまじまじと見てしばらく考えたが、特に思い当たるところはなかった。

「そういう人ばかりだといいんだけどなあ。ちょっと想像してみてほしいんだけど、もし自分と同じ顔の猟奇殺人犯がこの世にいても、表を歩ける?」医者は相手がその意味をつかみかけたのを見てから、告白した。「……一卵性双生児の弟なんだよ。で、ぼくは外科医ときた。人間の体を切り刻む兄弟。最悪でしょ?」

「先生が最悪だったら、おれの手首は今頃、裏表反対についてる」

「ああ、橈骨遠位端骨折!」ジェラルドは心底懐かしそうな顔をしたあと、深々とため息をついた。「もうちょっといてもいいんだけどなあ。天哪てぃえんなー」





「そもそもよ」とネッドは言った。「軍曹殿、アンドロイドに任期なんかねえよ」

「だったらいつ地球に戻ったっていいはずだ」

「屁理屈言わねえでくれ」ガレージのいつものところに腰を下ろした整備班長は、眉間にしわを寄せた。「なんかMSに似てきたな?」

「なんでダメなんだ? 地球基地だろうが火星基地だろうが、同じNDSで働くんだからいいだろう」

「人間の転属みたいにはいかねえよ。軍曹殿は、職場の冷蔵庫を理由もなく持ち出したりするか? しないだろ? あんたがやろうとしてるのはそういうことだ」

「理由ならある。地球でもおれの観測手をやってほしい。あいつが気に入ったんだ」

「もう遅いのかもしれねえが、言っとくぜ」ネッドはひたと羽生を見た。「あんまり機械に心を残すもんじゃねえ。どんなに気に入ろうが、どんなに人の言葉を話そうが、アンドロイドはペンやはさみと一緒だ。ただの道具。いつかは消耗して取り換える。そんな存在だ。割り切ったほうがいい」

「……ネッドはアンドロイドたちに自我があるのもわかってるんだよな」

「自我があろうが、なかろうが、どっちにしろおれには関係ない。おれは機械を整備するだけ」言い方がきつくなったと思ったのか、ネッドはこう付け足した。「自我は、まあ、あるかもしれねえな。システム上、感情だってちょっぴりある。だが、あれらには心がない。あるように見えるだけ。見せかけなんだよ。心の伴わない自我に、人間こちらが翻弄される道理はない。わかるかい、軍曹殿」

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