第14話 火星のどこかで待ち合わせ(後編)⑧
人がひとりいなくなっても、基地は回っていく。隣の部屋の荷物は片づけられ、箱に詰められて地球に帰るときを待っている。ファッジとシモンズが足早に歩きながら小声で話し合っているところを見かける。酒蔵のビールは気のせいか、減りが遅くなったようだ。自分の端末にメンタルチェックテストの実施を促すメッセージが届く。問題なしのスコアが出る。二部のメンバーの間に時折ピリピリした空気が漂うことがある。基地は問題なく回る。だが、クリスはムードメーカーだった。それは疑うべくもなかった。
当番明けの夜、羽生がガレージに行くと、ロスを見かけた。マスタードの顔に指を突き付けてなにか言っている。ロスは羽生に気づくと、そそくさと立ち去った。
「……なにかあったのか?」
「今後、『安全のために』、ライフルはわたしには使わせないそうです。倉庫2も。今度搬入する物があるので、片付けるよう言われました。ガレージに戻れと」
「ロスが、そんなことを?」
確かに装備品の一部はロスの管理だ。だが、そもそもガレージで満足に充電できないから、マスタードは第二倉庫に流れ着いたのではなかったか。整備環境がなければ、マスタードの能力は半分も生かせない。
「命令は取り消しだ! なんの根拠があってそんなことを」と、ロスの後を追おうとした羽生をマスタードが止めた。
「いいんです。ライフルはともかく、確かに倉庫2は無許可で使っていました。禁止されてはいないという理由に限界がきただけです」
「よくない。明日から充電はどうするんだ」
「別の場所を探します」
「心当たりはないんだな? じゃあ」羽生は思わず言った。「おれの部屋でやればいい」
そうすることになった。
「せまい部屋ですね」羽生の自室を見たマスタードの第一声がそれだった。
「悪かったな」
「一室だけですか? 仕切りもないですね。これではプライバシーが保てないのでは?」
「お気遣いどうも」
「わたしのプライバシーの話です。……冗談です」
ベッドのそばのコンセントから電源を取ったので、マスタードは枕元にほど近い場所で直立し、充電に入った。静かだが、自室に自分以外がいるという違和感が、ベッドに入るとより強くなる。頭を倒さずとも、右の上の方で、マスタードのランプが瞬いているのが見える。かすかにコーティング剤の匂いがした。
「寝る」
「はい」
目を閉じた。
なかなか寝付けなかった。枕もとの違和感のほかに、クリスのことが頭をちらつく。血痕の調査の結果、血を流したときはまだ生きていたことがわかっていた。遺体は見つかっていない。火星人に襲われて、瀕死の体を巣まで持っていかれたのか。怪我して動けなくなったところを、生きたまま食われたのか。火星人は骨まで食うのか? となりの部屋で眠る彼の私物は、地球のどこにいくのだろう。ハワイ――たぶん。あいつに家族はいたんだっけ。知ろうともしなかった。いや、聞いたのに忘れてしまった?
「眠れないんですか?」
何度も寝返りをうつ羽生にマスタードが訊いた。
「眠れない」
「困りましたね」
「まったくだ」羽生は体を起こした。「なにか話をしてくれよ」
「わかりました。では、航空局の調査結果をもとにわたしの観測データを加えてまとめなおした火星東部の地質に関するレポートなど……」
「ほかの話がいいな」
「たとえばどんな?」
「そうだなあ……おまえ自身の話が聞きたい。いつから自我があるんだ?」
「その話は少し長くなりそうですが、よろしいですか」