第14話 火星のどこかで待ち合わせ(後編)③
ひとりと話しているだけでは語彙の習得に限界がある。映画でも見せておけばいいのではないか、と羽生は思いついた。倉庫2へ自分の端末を持って行き、充電中のマスタードの前に置いてやって、眺めた。最初のうちは、マスタードは羽生が見せるものをおとなしく見ていた。感想らしい感想は言わないが、あの物品は何か、とか、俳優の今の動きはどういう意味か、ということを質問してきた。
「彼はなぜ今地面を蹴ったんですか?」
「靴を履いてるだけだろ。ええと、つま先を靴に合わせてる」
「今のは、先ほどの方とは明らかに別人ですが」
「スタントマンだ。ボディ・ダブルとも言うけど、危険な演技を俳優本人の代わりにやる職業の人」
「なぜこの人々は、数分ごとに歌うのですか?」
「おれが知りたいよ」
羽生の試みを嗅ぎつけたファッジが、サメ映画ばかりを大量に見せようとしたのを、羽生は無事に阻止した。
「こいつにはまだ早いだろ」
「人生、いやメカ生、いつだってサメ日和だろ! マスタードちゃんだって、背びれが八枚あって陸海空を行くサメの映画が見たいよなあ?」
「そうでもありません」
が、そのあとゾンビを説明する際にB級ホラーに触れてしまったため、結局はサメも見せた。見終わると、マスタードは「自分は本物のサメがどういうものか知るべき」と主張したため、クリスが教えてくれた「かわいいイルカの出る動画」を皮切りに海洋ドキュメンタリーへ進み、そこからしばらくは自然現象や生物を観察した作品をよく見る時期が続いた。このあたりから――羽生の骨折が治ったあたりから――マスタードは、タブレットを操作して自分で作品を選ぶようになっていた。
「新ジャンル開拓? おれのおかげじゃん。じゃあ次はこれだ!」と、ファッジが駄作映画コレクションを大量に見せようとしたので、羽生はファッジに倉庫2への出入り禁止を言い渡した。
「マスタードをクソ映画マニアにしようとするな」
「ていうか、中で見せれば?」
「中?」
基地内で一番小さい会議室を使うようになった。映画を壁に投影すると、ちょっとした映画館気分を味わえる。整備班長ネッドが会議室の窓に遮光カーテンをつけてくれたので、よりいっそう劇場の雰囲気が出た。ネッドがすすめてくる映画はだいたい戦争映画か西部劇だったので、羽生は、やや物騒な単語をインプットしたマスタードが基地長の前でそれらを披露しやしないかとひやひやした。その事故は実際に起きてしまい、「変な遊びもほどほどにね」と羽生とネッドはやんわり注意された。
「おれのせいか?」とネッドはぼやいた。
そのようなこともあったが、結果として、マスタードのコミュニケーション能力は上達した。柔らかい言葉や複数の相槌、会話のクッションを覚えた。いくらかウィットに富む言い回しすらするようになったが、そのせいで辛辣な意見はより切れ味を増した。
副次的な効果もあった。会議室で映画を見ていることを知った兵士たちがわらわらとやってくるようになったのだ。
「サムは映画にも詳しいんだなあ」とクリス。「なんかおすすめある? 動物が出てくると嬉しい!」
「『アポロ13』を観ようぜ!」フィギーは息巻いた。「実際に宇宙船に乗ったあとのアポロ13は、ガチで怖いんじゃないかって思うんだ」
「昔観た映画で、なんだっけな」マクルーダは額を押さえた。「あれをもう一度観たいんだよ。タイトルなんだっけなあ……父親が子供のために敵をやっつけまくる話で」
「頭空っぽにして観られるやつ、やらないっスか? 銃撃戦! 爆発ドーン! みたいなの」ややあってからロスは付け足した。「それか、登山の映画とか、あったりします?」
「でっかい画面で観るのっていいよなァ」とヘンリー。「特にライブ。ところであんた、日本人だろ? ディーバシリーズはわかるよな? アイドルの……えっ、よく知らないってェ? じゃ『ルミステ』の一期をまず見てもらってから劇場版の……」
シモンズまで、「ちょっと! アタシのイチ押しも見てよ」といそいそと端末を持ってやってきた。
「シェイクスピアが好きなんですか?」
「そうよー。論文も書いたし」初耳だった者が感嘆の意を示す。「へえーじゃないわよ、文学部の学生の半分はシェイクスピアで卒論を書いてるの、それゆえにいばらの道なの! 先行研究がもう笑っちゃうくらいあって……まあいいわ。あなたたちはなにが好き?」
「好きっていうか、ひとつしか知らないんですけど。〈夏の夜の夢〉」とマクルーダ。「子供会の劇で、うちの子がパックを演じたんだよ」
「学生の時〈ヴェニスの商人〉の舞台を見た」ヘンリーが腕を組む。「ぼかぁそれくらいかなァ」
フィギーがいすから突如立ち上がる。「『生か、死か、それが疑問だ!』」
「〈ハムレット〉ね!」
「へへ、主演だったんですよ、おれ」
「よく知らないな」指を振られた羽生は正直に言った。となりにいたマスタードもかすかに首を振った。
「んー、じゃあ、今日は習作時代から選ぶのがいいかしらね? 史劇も見てほしいものだけど……」ぶつぶつ言いながらシモンズは端末を繰った。
「あの」とロス。「アクション物ってあります?」
「今日は教養の時間よ!」
シモンズが宣言したところで、クリスがドアを足で開けて入ってきた。ポップコーンを限界まで入れた大きなバスケットを両手にひとつずつ抱えていて、「できたての!」と口ずさんだ。「ポップコーンはいかが?」
始まったのは〈ロミオとジュリエット〉だった。