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第14話 火星のどこかで待ち合わせ(前編)⑪

 第七基地に帰り着き、基地長に帰還報告を済ませたあと、羽生は医務室に叩きこまれて診察を受けた。

「橈骨遠位端骨折ですね」

「とうこつ……」

「ここの骨ね。ヒビが入ってます」医師が前腕の親指側の骨を指した。「転んで手をついたときに折っちゃうところですね。火星の重力とはいえ、痛かったでしょ? 固定するので、しばらく左手は使わないでくださいね。一か月くらいかな。痛み止めを出しますね」

「どうも」羽生は相手の名札を盗み見て言った。「ドクター・ウェン」

 医師は柔和な笑みを浮かべた。「ジェラルドでいいですよ。医療班はぼくともうひとり、遠隔で参加してるクレア・エンフィールド先生のふたりです。今度紹介しますね。お近づきの印に豆乳をあげます。あとこれも」例の企業のマークが入った豆乳のパックと、カルシウムと大きな文字で書かれたウエハースの大袋を渡される。「“アルス”、ギプスの作成を頼むよ」

「了解しました、ドクター」ジェラルドのパソコンから医療AIが返事をして、3Dプリンターの電源が入った。

 ギプスの材料の用意をするジェラルドの後ろ姿に訊ねる。「それやったあと、もう一回活動服着られますか?」

「えっ?」

「外に行きたいので」

「お気づきでないのかもしれませんがあなたは、遭難明けで、左手が折れてるんです」冗談めかして返したドクターは振り向くと、羽生の顔を見て口をぽかんと開けた。「天哪てぃえんな(マジで)?」


 施設内ならいいでしょう、ただし用事が済んだらすぐ戻って休むように、手首は絶対に動かさないこと、という条件で羽生は活動服を着るのを手伝ってもらった。人間がぶっ壊れた時は医者が診てくれる。アンドロイドはメカニックに診てもらっているだろうか?

 左腕を通さなかった袖をはさまないように気を付けて、ドアロックを抜ける。火星の原野と第七基地は、門と電気柵で隔てられていて、それらと基地の屋舎の間には倉庫やガレージがある。


 ガレージを覗きに行くと、整備班長がいた。

「バギー、すみませんでした」

 作業の手を止めて、彼は肩をすくめた。「形あるもの、みな壊れる」

「MSはいますか?」

「さっきまでいたけど」彼は親指でその方向を指した。「倉庫の方に行ったと思う。いつもあっちをぶらついてる」

 教えてもらった方へ行くと、哨戒中のフィデス3に出くわした。頭をゆっくり回してこっちを見たので、訊ねてみた。「MSはいるか?」

「――ここにはいないデス」

 しばらく待っていたがそれ以上の返答はなかった。あいつに負けないくらい慇懃な態度だな、と思いながら横を通り過ぎ、倉庫群の間を歩くうち、それらしい足跡を見つけた。兵士の靴でもフィデスのものでもない足跡は、ひとつの倉庫の中へ続いていた。「2」というプレートがかかっている。

 そこはガレージと同じように、外からも基地の中からも入れる建物だった。廃棄する予定のような、砂まみれの資材や古びた機械が置いてある。が、部屋の一角だけ広く開けられており、そこにMSが陣取っていた。


「なにかご用ですか、軍曹」

「なんだここは」

「第二倉庫、通称『倉庫2』です」

 羽生はMSの手にしている充電ケーブルに目を留めた。「おまえのねぐら?」

「今はそういう見方もできます」

「元々は違うんだな」

「次回の出撃に備えて、効率的に電気を取れる場所で充電をします」

「ガレージに戻らないのか?」

「ガレージでは常にフィデス3の充電が優先されます」

 羽生はその一角を見回した。壁際に立つ棚には整備用の工具や、オイルなどの缶が並んでいる。

「整備士には見てもらったのか?」

「いいえ。わたしは自律メンテナンスができます」

「自分で自分が直せるのか?」

「はい。ネッド班長もわたしの機能をわかっています」

 わざわざ見に来る必要はなかったのか、と羽生は思った。でも、メンテナンスが必要ならするつもりで来たのだ。ねぎらいの意味も込めて。それに、このまま何もせず戻るのは、無理を言って活動服の装着を手伝ってもらったドクターに申し訳ないな、とも。

「おまえかなり汚れてるぞ。かばんにも血がついてる」

「谷での火星人駆除で付着したようです」

「かばん、洗ってやるよ。貸しな」

「結構です。職務に支障ありません。中身は後ほど自分で点検します」

「洗い方はわかるのか?」羽生は指摘した。「正規部品じゃないだろ、これ」

 MS-T4400は二秒おいた。「ご指摘の通りです。背嚢は以前は布製ではありませんでした」

 装備品を奪われてもMSは抵抗しなかったが、背中から外すのに妙に時間がかかった。かばんが一度も洗濯されていないことは明らかだった。押し洗いをして、三回目に水を替えたところで、元の生地が黄色だと判明した。しっかりした帆布製で、汚れてはいたが傷みはない。底にあったタグには、油性ペンで書いたような文字があった。たどたどしい、子供のような筆跡で「マスタードのかばん」と書いてある。


「“マスタード”」羽生はなにげなく声に出した。「……おまえの名前なのか? だれの字だ?」

「かばんの文字ですか?」整備道具を広げながらMSが言った。「背嚢が破損したときの記憶がないので、どうやってかばんを手に入れたのか、それがなぜ書かれたのか、だれが書いたのかはわかりません。それから、わたしに個体としての名前はありません。ですが、カラーは識別子として有効な名称であるとは思います」

「そうか……。なら、そう呼ぼうか?」

「ご自由に。軍曹」

「おまえはほんとに嫌みったらしいな」

「そのようなつもりはありませんでした」

 頭部のライトが明滅する。言い訳? 困惑? そんな感情はないはずだ。嘘をつくこともない。きっと真に、そのまま、言葉の通りなのだろう。言い回しにいちいち言いがかりをつけるのも、やつあたりじみている。

「言い過ぎた。撤回する」

「いえ」驚いたことに、MS-T4400は食い下がってきた。「撤回の必要はありません。わたしの話し方には、相手を少なからず不快にさせる要素があるようです。軍曹さえ差し支えなければ、どう言うべきだったか、教えていただけると助かります。わたしにはコミュニケーション能力があるので、人間を不快にさせることは本意ではないのです。ただ、あまり学習の機会が得られずにいるので――」

 アンドロイドの思考を知るのは新鮮な体験だった。そんなことを考えていたのか、と単純に驚いた。転校先でなじむために苦労していた昔の自分を思い出した。当地の訛りを覚えたり、何が流行っているのか調べたりした、みじめで滑稽な努力。

「そうだな」羽生は出し抜けに言った。「じゃ、まず、『軍曹』をやめろ」

「階級は軍隊内の規律のために必要不可欠です」

「おまえが上官を敬ってるようには見えないけど……」妥協点を考える。「とりあえず、おれに対しては不要だ。おまえはおれの観測手だろう? そんなにかしこまられても、困る」これまでに自分の観測手を務めた人物は全員、自分より上位の階級だった。「どうせ言うこと聞くつもりもないんだろ? 不快だと感じたらその時点で言うよ。これでどうだ? マスタード」

「了解しました。ハニー」

「………」

 もう後の祭りだ。まあ、機械になんと呼ばれても、何を感じるものでもない。

「……ま、無事に帰って来られてよかったよ。ありがとう」

「どういたしまして。わたしもです」


 壁のフックにロープをかけ、ぬれた背嚢を干してやる。アンドロイド・マスタードは羽生の一挙手一投足を見ていた。洗濯の動きを学習しているのかもしれない。生まれたばかりのひな鳥――にしてはあまりに無機質で、感情のない戦闘機――にしてはどこか子供じみていた。





 基地内に戻ると、廊下でファッジと行き会った。なんでまだこんなところをうろうろしてるんだ、と驚かれた。「自室で休んでいいんだぞ?」

「散歩だよ」

「骨折れてんのに?」ファッジは悲鳴を上げた。「おじいちゃん! おうちはあっち!」

 ファッジはシルヴィア谷での報告について二、三点確認した後で、ついでのように切り出した。「MSはどうだった? やっぱりおかしかったか?」

「あー、ええと」

「カルミア・インシデントだけどさ、最近だと木星探査船でそれっぽいことがあったらしくて。今詳しい資料を送ってもらっているんだけど……」

「アーニー、その件は」羽生はさえぎった。「大丈夫だった」

「大丈夫?」

「悪い。あいつは、とにかく大丈夫だ。手間かけた」

「そう?」ファッジは眉を上げた。「じゃ、まあいっか。あとさ」

「なんだよ」

「次長がものすごく怒ってるんだけど、心当たりある? 貴重な水をドバドバ使ったやつがいる、使用計画がおじゃんだって。まさかおまえじゃないよね? ……マサムネ?」


(第14話前編 おわり)

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