第14話 火星のどこかで待ち合わせ(前編)⑤
予定より少し早めに起きた。
窓からすがすがしい朝日がさしているが、これは偽物の光だ。スムーズな目覚めのために地球の日光を再現した照明である。羽生は起き上がった。窓枠にある小さなボタンを押すと偽の陽光が消えて、ただのスクリーンになった。スクリーンを上げて外の様子を見る。くもった空と砂に煙る大地が見える。彼方に控える山の輪郭は、今日はぼやけていた。しばらく眺めてから、あきらめて近くに目を落とす。部屋は二階だ。周りの建物の屋根が見える。貯水タンクらしい丸い建物と、倉庫だと説明された四角い建物が基地に沿って並び、その外側に等間隔で杭が立っている。基地をぐるりと囲む杭にはセンサーと鉄線がついていて、火星人が入らないようにしているそうだ。野生動物を畑から追い払う仕掛けに似ている。その杭の横をなにかが動いたように見え、羽生は目を凝らした。
二足歩行アンドロイドが歩いていた。哨戒かと思ったが、哨戒機は別に十メートルほど遠くに見つかった。紺色の警備アンドロイド――フィデス3の細く角ばった機体がいくつか、基地の周囲を衛兵さながらに巡回している。対して、件の二足歩行アンドロイドには決まった行動がないように見えた。鉄線の向こう側でゆっくりと歩み、何かに気づいてしゃがむ。昨日見たやつだ、と思った。音声認識がおかしいMS-T4400だ。手を伸ばして地面に触れている。なにをしているのだろう。気にはなったものの、羽生はアンドロイドの不思議な行動をそれ以上観察せず、身支度を始めた。出がけにもう一度窓から外をのぞいたときには、もう見つけられなかった。
が、ミーティング後にガレージに行くと、いた。
昨日よりはマシな姿だった。本当は白いドロイドだったようだ。だれかがひどい汚れは落としてくれたらしい。その“だれか”は、MS-T4400の後ろから現れた。髪がほぼ白くなった老年の男が、「ほらよ」とアサルトライフルをMS-T4400に渡した。整備班長のネッド・クランブル元特技兵だ。彼の専門は車の方らしく、羽生にバギーの運転のコツをいくつか伝えたあとで言った。「MSを連れて帰ってきてくれたんだって? ありがとうな。第七は機材が少ねえから、あるものを大事に使っていかないとダメなんだが、みんな地球の感覚で使い捨てようとしやがる」
「気をつける」スムーズな手つきで武器を装着するMS-T4400に目を向けた。「こいつ、どうかな? 観測手として」
「あいにく、MSの観測手運用はあんまりやったことがない。終わったらフィードバックをくれ」
今日は訓練だった。羽生が観測手として動くMSを扱う練習である。訓練用のターゲットを大型バギーに積み込む。荷物をすべて積み終わると、MSが最後に荷台に乗り込み、荷物の隙間に収まった。なるべくコンパクトになろうとしているのか、膝を曲げて座るMSに尋ねる。
「さっきはなにをしていたんだ?」
「待機状態でした」
羽生は言い直した。「二時間前はなにをしていたんだ? 外にいたろ」
MSも答えを変える。「基地内の巡回中でした」
「それっておまえの仕事か?」
「はい。施設内外の警戒警備はわたしの基本行動です」
「そうか」
羽生は運転席に乗り込んだ。
基地から少し走れば、何もない荒野がいくらでもある。適当な間隔を空けてターゲットを置く。倒れないように重石をしたあとで、自陣と決めた位置に戻り、狙撃の準備をした。ライフルを二脚で固定する。岩の後ろでうつぶせの姿勢になり、MSにもそうさせた。訓練開始を宣言すると、MSが言った。「狙撃支援モードに移行します。観測開始」
ターゲットに狙いを合わせる。
「距離七百二十メートル、風は北から北北東、風速五.一メートル」
「……撃つ」
「命中」
「……撃つ」
「命中」
「……撃つ」
「命中」
と、こんなことを繰り返し、気が済むまで的を撃ったところで休憩にした。まあ、悪くない。最低限の働きはしてくれている。
「過去に観測手の経験があるのか?」
「火星では二回あります」
「二回?」
「はい。軍曹」
少し待ったがそれ以上話すそぶりがないので、質問を追加した。「ふたりの狙撃手に付いたという意味か?」
「いいえ、軍曹。わたしはこれまでに二回、観測手をしました。マクファーレン軍曹の時です。二回とも、実践訓練の時です」
前任者には人間の観測手が付いたので、MSは必要とされなかったが、不測の事態に備えて訓練だけはしておいた、ということだろう。新しい人員が来れば自分にも、このやや古ぼけたアンドロイドではなく、常勤の、ちゃんとした観測手があてがわれるかもしれない。
スコアカードを整理していると、MSが突然発言した。
「火星人がいます」
アンドロイドの顔の向きの先で、動く物が見える。羽生はすぐに双眼鏡で確認して、火星人を見て取った。はぐれ個体のようだ。周囲に群れは見受けられない。訓練がてら、ここで駆除してしまおうか。ライフルを抱えなおし、「MS、距離を測って……」と声をかけたそのとき、MSが動いた。
右足の強烈な踏み込みからのスタートダッシュで、跳ねあがった小石が羽生の活動服の裾に当たった。赤い土煙をわずかに残しながら、ぐんぐん速度をあげて走っていく。この前も見たが、まるで飛ぶような走行だ。狩人の存在に気づいて逃げはじめた火星人にやすやすと迫る。
MSが火星人の死骸を引きずって戻ってくる。羽生はアンドロイドを問いただした。
「なぜ勝手に動いたんだ?」
「すみません。質問の意味がわかりません」
舌打ちする。クソ、言わなきゃよかった。あっけにとられて見ていた自分を取り繕う、無駄なやりとりだ。こいつが人の形をしてなければ、会話ができなければ、言わなくて済むはずの言葉だ。
言い換えの言葉を探す。「距離を測れ、というおれの言葉は聞こえたか?」
アイカメラが瞬いた。「いいえ。聞こえませんでした」
聞こえなかったか。なるほど、早いとこ音声認識の不具合を直してもらえ。そんなセリフは口に出す前に消えた。MS-T4400の表情のない顔を真正面から見た時に、あまりにバカげた、しかし直感めいた、ある考えが脳裏によぎったからだ。
――こいつは、聞こえていて、あえて動いたのではないか?
ばからしい、なんのために、と自分でも思う。だが、今朝のこともある。他機と行動範囲が被っている、よくわからない警備。謎の動き。
なにか違和感がある。アンドロイドにしては、まるで……。
訓練からの帰り道、考えるのは監督責任についてだった。アンドロイドを使用する際の注意事項は何点かある。指示は簡潔に行う。機能を逸脱した仕事はさせない。定期的なメンテナンスをする。そして、カルミア・インシデントの兆候があるときは、すみやかに上司へ報告しなければならない。




