第14話 火星のどこかで待ち合わせ(前編)③
大型バギーで丘を下り、平原の真ん中まで出る。クリュセ平原と名付けられたその地帯は、建物はないが、“ポスト”と呼ばれるバギーの充電ポイントがいくつかバス停のように突き立っている。そのうちのひとつで降ろされた。腕に着けた端末で担当エリアを確認する。荒野の彼方に目を凝らすと、ぽつんと白い点が見えた。位置からしてあれが第五基地だ。
羽生が狙撃銃を担いで歩き出すと、やや遅れてK10-5がついてくる。
軍人の仕事というよりは、と羽生は地面を調べながら思った。狩りに近い。火星人の足跡は見分けやすいと聞いているが、このあたりには見えない。要するに、害獣から家を守るのが仕事というわけだ。
「これは機密事項だけど」と少佐からオリエンテーションで聞いている。「火星人は人間を食べる」
「初耳だ」
「報道してないからね」
「マサムネ」ファッジが切り出した。「火星第五次調査隊のことは知ってるだろ?」
「ああ。宇宙船の着陸失敗で、七人全員が亡くなった事故……」
「あれは着陸事故ではないの」少佐がさえぎって、タブレットを取り出した。
遺体の写真が表示された。まだ宇宙服を着ていたが、腹部に大きな損傷があった。船の爆発でこんな傷はつかない。二枚目の写真を見る。船の廊下に中身ごとちぎられたグローブが落ちていて、乾いた血だまりが広がっている。黒い血痕に、なにかの足跡がついている。
「第五次調査隊員よ。第六次が撮った」
羽生は画像を眺めた。「全員が同じ目に?」
「いえ、生存者が一名だけいたの」
連絡が絶えてから二か月後、火星に到着した第六次調査隊の最初の任務は、船に籠城する彼を引きずり出して連れ帰ることだった。彼は錯乱状態だったが、彼の発言と記録画像から、第五次調査隊員がどうなったのか判明した。地球人は火星開拓に障害があることを知ったのだ。
あまりにもグロテスクな事件に、当時の火星開発の責任者は報道を止めた。「市民への配慮というより、火星開発中止に世論が流れるのがいやだった、てのが本音かね。何十年も前からテラフォーミングしてきたのに、ここであきらめて帰れなかった。火星の探査や開発がそれまで順調に進んできたのがまた、神様が張った伏線みたいだよな。そこで害獣駆除部隊としてPMCにお声がかかったってわけ」
あまり驚きはなかった。火星行きを決める過程で、現地で戦闘が発生する可能性があるとほのめかされていたからだ。ここへ来た全員がそうだろう。ファッジも同じだが、民間軍事会社への転職が成功した時点で、戦争に関わるなんらかの特技や実績を引っ提げてきている。そんなやつらをなにもない惑星に送ってなんとする、という当然の話だ。
羽生は今聞いたことについて一切の口外をしない宣誓書にサインしたペンを置いた。「なんでテラフォーミングの過程で火星人の存在に気づかなかったんだ?」
「気づいていたよ。ヒトを食べるとは知らなかっただけ。貧弱で知能の低い生物だとされていたの。テラフォーミングの過程で環境に適応できず消えていく生命だと思われていた」
「ヒトを食うっていうか、たんぱく質を摂取するんだよ」とファッジ。
「そうね」とだけ少佐は言った。
火星人は世代交代が早く、最近の個体は以前よりも体が大きい傾向にある。数も増えた。「食べ物が増えたからだろう……いや、遠征軍がだいぶ持ち込んだからな。虫や植物もそうだし。基地の備蓄食料庫が荒らされた例もある。もうあいつらは知ってやがるんだよ、基地には食べるものがあるってな」
彼らが明確に人類の敵である以上、その殲滅は避けて通れない、火星開発の最重要課題だ。
――いた。
丘を登り、台形の岩の上で腹ばいになって、羽生は双眼鏡をのぞいた。六匹の群れだ。K10-5に距離を測ってもらうと、八百メートルほど北の位置を移動している。「グリーン1から第七」
基地にいるファッジが応答した。「第七。どうぞ」
「火星人を確認した。六匹の群れで東から西へ移動中」
「了解。遊撃班が合流する。そのまま待機せよ。どうぞ」
「了解。以上、グリーン1」
群れからはぐれた火星人は狩りやすい絶好の獲物だ。同時に、基地を襲う確率が高い危険な存在である。このあと、反対側に回り込んだバギーで挟み撃ちにして確実に倒していく方針になる。羽生の役割は離れたところからの撹乱と、包囲を抜けたやつの始末だ。狙撃銃を確認し、次の指令を待った。群れは細かい岩の散らばるエリアに差し掛かっていた。細かいといっても、ひとつひとつは二メートル以上ある大きな岩だ。あまり入り込まれると狙いにくい。
「ブルー1からグリーン1」バギーの班から通信が入った。「群れは六匹で間違いないか? どうぞ」
「その通り。どうぞ」
「こちらからは五匹しか確認できない。一匹離れた模様。周囲を警戒されたし」
岩陰にいるだろう、と双眼鏡で荒野を探す。群れは進んでいくが、一匹なかなか姿を現さない。と、視界の端で動いた。集団からだいぶ離れて、気まぐれな様子でこちらの方へ歩いてくる。
「確認した」
「撃てるか?」
「位置が悪い」また岩陰に入った。「チャンスが来次第撃つ」
「気をつけろよ」
次に見えたところで、撃った。地面でパッと砂煙が上がる。二発目は岩を少し削っただけだ。たしかに、すばやい。まだ距離があるとはいえ、着実にこちらに近づいてきている。
「火星人が一体接近してくる」基地に状況を報告する。「間隔は七百五十メートル」
さすがにファッジは落ち着いていた。「遠隔でK10の攻撃モードを起動する。グリーン1、K10の傘下に入って、狙撃に専念しろ」
K10がブーンと音を立て始めた。タオル干しでいう物干しざおの部分を傘のように展開した。傘の下に入る。ひざを立て、銃身を置いて固定した。自分もK10もいつでも撃てる。
腰に装着したハンドガンの存在を意識せざるを得なかった。接近されたら拳銃に切り替える。もちろんK10 の迎撃がうまくいけば必要のないものだが……。
火星人はなかなか岩陰から出てこなかった。バギーの方から状況確認の通信が入る。状況に変化なしと伝える。バギーからもはぐれた火星人は見えないようだ。本来の作戦を進めたいが、はぐれ火星人の位置を確認しないことにはうかつに動けない。
「グリーン1から本部……」と無線を入れたとき、土をこするジャッと言う音がしたかと思うと、背中まで響く轟音が響きわたった。飛びずさると、K10がぐらりと傾ぎ、みるみるうちに横倒しになった。砂ぼこりの中から火星人が姿を現した。硬そうな体毛、退化が進んだ小さな目、ネコ科に近いが妙に足の細長い骨格の怪物が、明らかに羽生に狙いを付けていた。接近中のものとは別の個体が、羽生の視界の外から、K10を攻撃したのだ。もう一匹も姿を現した。岩陰を進んできたようだ。
十年間兵士として生きてきて、これほどまでに不気味な敵がいただろうか。こちらを恐れるでも、吠えるでも、毛を逆立てるでもない。二匹の火星人はただゆっくり歩を進め、品定めするようにそれぞれ頭をもたげた。距離にして五メートルほどだ。一瞬、穴の開いた宇宙服の死体が頭をかすめる。
「──本部! 交戦する!」
羽生が片方の火星人に狙いをつけたその時、岩陰からもう一体、なにかが飛び出してきた。
それは疫病のように疾く、剣のように鋭く、獣のようにしなやかに、火星人に飛びかかるとナイフでのどをかき切った。
火星人が首から血を吹き上げながらどっと地面に倒れ、そいつも二本の足で着地した。人の形のアンドロイドだった。ナイフを振って血を払う。わずかに頭が動き、羽生の方を向いた。
「無事のようですね」
聞こえた言葉がそのアンドロイドのものだと認識した時には、また動きだしていた。もう一匹の火星人が地面を蹴ってジャンプしたのを、上から叩きつけるように仕留める。そいつは顔を上げるとすぐに走り出した。岩のあいだを駆け抜けていき、あっと言う間にバギーが追う火星人の集団に追いつくと、同じように一匹ずつ殺していった。
羽生はそこにネルガルを見た。