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第2話 火星から来た男②

 どうして話してしまったんだろう。


 チョコレートミントの後ろをついて歩きながら、ハニーは昨夜のことを振り返った。後悔というよりは自身への疑問だった。この女にマスタードのことを打ち明けてしまってよかったものか。昨日は、目的を明かして以降そのことには触れず解散したので、眠らない女がどう受け取ったのか、わからずじまいだった。これまで型落ちのアンドロイドを直したいと言うと、一体全体なんのためにと鼻で笑うようなやつが大半だった。ましてやそれが親友などとは、長いこと口にする気にもなれなかったのだ。なぜ、一方的に尾行しただけの人間に話してしまったのか。まだ力になってくれるかどうかもわからないのに。

 ボスとやらはどんな人だろうか。マンハッタン工科大学(テック)とコネが作れるというアーモンドファッジの言葉が真実なら、ボスとやらはそこの教員か、出身者ということになる――待てよ。


「おい……ミントチョコレート?」

「チョコレートミントね。逆。ミントって呼んでもいいよ」

「おまえも研究者なんだよな?」

「え? あたしは違うよ」チョコレートミントは、驚いた様子で振り返った。「せいぜい助手ってとこかな」

「助手?」

「ビター捕獲と、その他もろもろね。研究者なのはあたしのボスだけ。あっ、こっちか」チョコレートミントは道を引き返し、右へ行く道へ入った。「研究所が引っ越ししてさー。前の研究所爆破されたんだよ。やばくない?」

「例の殺し屋?」

「そう! だれもけがしなかったからよかったけどね。おかげでちょっとしたバカンスになったし。でも今日から新しいオフィスで仕事再開」


 つまり、と頭の中を整理する。この女にはパイプとして役に立ってもらえればそれでいい。ようするに、ボスとやらに会えればいいのだ。そこから先は、自分の働き次第。

 チョコレートミントが「ここだよ」と立ち止まったのは、NYCCで三番目に高い建物の真下だった。ハニーはビルを見上げた。エンパイアステートビル、百年以上NYCC市民の上にそびえ立つ名物摩天楼。その二十世紀の象徴の中へ、チョコレートミントは軽快な足取りで入っていく。


 ほかの乗客といっしょに八十六階の展望台フロアで降りると、エレベーターを乗り換えた。エレベーターはハニーたちふたりだけだった。

「ねー、アンドロイドのことだけど」チョコレートミントが突然言い出した。「ケートエレクトロニクスって言ったっけ? だいぶ前に倒産してるね」

 一度言っただけの社名を彼女がすでに調べていることに驚きながら、またしてもハニーは素直に返事をした。「ああ」

「直せる技術者を探してるってことでオーケー?」

「ああ」

「だとすると、うちのボスじゃちょっと難しいかも……」

「ボスの専門はなんなんだ?」

「そういう問題じゃなくて……」

 続きを聞く前にエレベーターがポンと音を立てて目的階に到着した。そこは九十六階だった。左右に長い廊下に、ぽつんとついたドア。チョコレートミントはインターホンに向かって言った。「こんにちは。ミントだよー、開けて」

 ロックの解ける音がして、ドアが開いた。


 ぱたぱたと廊下の奥から人が出てきた。茶色の髪をビーズのヘアゴムでまとめ、花模様のエプロンを着けた初老の女性だ。笑うと顔のしわが優しそうに深まり、これまでの人生で何人もの心を射抜いてきただろうえくぼができた。かもし出されるやわらかい雰囲気が、モダンな雰囲気の建物におそろしく不つり合いだ。

「あらあら、まあまあ! 初めてのお客様ね。いらっしゃい」

 科学研究所とは思えない歓待の言葉にひるんでいると、「さあさあ、あがって」とせかされた。「あ、昨日はごめんなさいね。あなたの部屋のポットをすりかえたの、わたしなの」と言われなければ、ハンドメイド雑貨屋か、カントリー系喫茶店に間違えて来てしまったと思ったかもしれない。銀色の廊下を進み、エプロンの女性が指紋と虹彩の認証で次のドアを開けるのを見ても、疑いを完全にはぬぐい去れない。「ミントちゃん、どちらの方なの?」「んー、わかんない!」「頼もしそうな人ねえ」という前で交わされるのんびりした会話が、余計にハニーを所在なくさせた。


 部屋に一歩入ると、まぶしい光に包まれた。

 壁の一辺が展望台のような全面ガラス張りで、マンハッタン島の南側を広く見渡せるようになっている。ごつごつしたビルの頭の群れの向こうに海面のきらめきが見える。明るさに目が慣れると、白いソファの応接セットにも気がつく。引っ越したばかりのせいかまだ殺風景だ。右手の奥にはこれぞ研究所というような数台のコンピューターやさまざまな用途のわからない機械が置いてあった。こちらの壁は液晶パネルだ。大小に区切った枠の中でなにやら映像が流れている。と、そのすべてがすっと消えた。

 窓が遮光モードになり、みるみるうちに暗くなっていく。部屋の照明が落ちると、液晶の全面を使って映像が投影される。画面に現れたのは、ひげを蓄えた紳士然とした男だった。

「ようこそ、わがメルバ研究所へ」深みのある声が流れだす。「わたしはパーシー・メルバ。当研究所の所長にして、そこのチョコレートミントの雇い主だ。画面越しにすまない。学会で海外にいるものでね。きみがアーモンドファッジの紹介の人か」


 なんだか妙な音が聞こえると思ったら、隣でチョコレートミントが笑いをこらえる声だった。口を両手で押さえて、小きざみにふるえている。どうしたのかと訊ねたかったが、メルバ氏の話は続いた。「きみの経歴を訊きたいんだが」

「去年までネルガル・ディフェンス・サービスで勤務していました。その前は陸軍で」

「ほう」

 くつくつ笑う声に気を散らしながらも、なんとか自分の職歴を話し終える。相手は興味を持ったようだ。

「ネルガル・ディフェンス・サービスというと、民間軍事会社だったかな?」

「ええ、社員は全員軍隊経験者ですし、実質軍の出先機関です」

「そこではなにを?」

「火星にいました」

「火星?」メルバ氏は突然すっとんきょうな声をあげた。


 ハニーはメルバ氏の顔を見ていた。今、彼は口を縦に大きく動かした後、すっと平常な顔に戻った。不自然なほどに、何事もなかったように。

「火星ではどんな仕事を?」相手は取り繕うように言った。

 液晶の壁に近づいていくと、妙な感覚は強くなった。だれかが隠れてこちらをうかがっている気配、敵から丸見えの原っぱにさまよい出てしまった状態、銃口が草陰からこちらの心臓を狙っている兆候だった。すばやく目を走らせると、白い壁の端にひっそりとドアがあるのを見つけた。なにもためらわずに、そのドアノブをひねった。後ろでチョコレートミントが「あーあ」とつぶやくのが聞こえた。


 ドアの向こうは実験室とでもいうのか、シンクと作業台を兼ね備えた部屋だった。棚には標本瓶や実験器具が並んでいる。さらに奥に行けるドアを見つける。メルバ研究所は九十六階のまるまるひとフロアを借りているようだ。三つめの部屋は、明らかに違う用途を持っていた。この部屋はプライベートだ。

 天蓋のついたベッド、動物や深海魚や怪獣のフィギュアが並んだメタルラック、虫の写真のカレンダー、宇宙船のモビール、大きなテレビとスピーカー、まだ荷解きをしていない複数の段ボール箱――それらの主として君臨している人物がパソコンの前ではじかれたように立ち上がった。

「ノックくらいしろよな! 無礼だぞ」


 ハニーはその少年をながめた。

 きれいにアイロンのきいたえりのシャツの上から白衣を羽織っている。今の背丈に合わせてぴったり仕立てたもののようだ。ふつうの白衣では大きすぎるのだろう。整った顔立ちと言えなくもないが、生意気そうな表情が浮かんでいる限りは近寄りがたいと思わざるを得なかった。

 パソコンをちらりと見た。マイクがつながっている。画面にはさっきの部屋が映っていた。チョコレートミントが画面を通り過ぎたと思うと、ハニーの後ろに本物が姿を現した。

「こっち出てきて話しなよ、ボス」ハニーの沈黙を受けてチョコレートミントはうながした。

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