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第13話 正体どこに④

【現在 03:00 p.m.】

 マンハッタンから北東へ約百三十キロメートル離れたコネチカット州ニューヘブンクラストの警察署に、ハニーはチョコレートミントを迎えに行った。警官に電話でボスと話してもらい、自分は同僚だと説明して彼女の身元を引き受けるのはそう難しいことではなかった。

「ごめんね」助手席で、ミントはまだべそをかいていた。

「泣くなよ。なにもなかったんだからいいだろ」ハニーの言葉には多くの意味が込められているのだがミントはそれには気づかない。


 昨夜なにがあったのか。

 深夜三時過ぎ、酒がないことに気づいたチョコレートミントは、サングリアをもう一杯作ってくると言ってキッチンに向かった――ハニーに「パイナップル切っといて」とお願いをして。かごからパイナップルを取ってナイフを入れたハニーは、実が予想外に固かったことで刃先をすべらせ、うっかり指先を切ってしまった。傷からみるみるうちに血があふれ、ああしまったと思いながら、なにかふくものを探しに立ちあがろうとした。

 そこで、ハニーは唐突に()()()。どっと眠気が襲ってきて、たまらず床に突っ伏すと、そのまま寝こけてしまったのだ。

 驚いたのはチョコレートミントだ。戻ってきてみたらついさっきまで話していた相手が倒れている。動揺で持っていたデキャンタがゆれて、中身がこぼれた。床には血のついたナイフ。わけがわからない。

 チョコレートミントはパニックを起こした。

 まず、うつぶせのハニーをうんうん言いながらひっくり返し、その際に触れた体の冷たさにますますうろたえた――普通、酒を飲むと体温は上がり、その後急激に下がる。息してない、とあわてた――体温の低下に伴って、ハニーが深く寝入ってしまっただけだ。

 こういうときにどうすればいいのか。チョコレートミントの脳裏に天啓がひらめいた。救命措置をしなきゃ! やり方を思い起こしながら、しかし鼓動の確認の手順をすっ飛ばして、おろおろとハニーのシャツを引きちぎり、そこでAED本体がないことに気づいた。たしかビルの廊下にあったはず、とあたふた駆けだそうとしたところで、空きびんに足を取られてすっ転び、床で頭を打って気絶した。

 気がついたときには、窓の外が白み始めていた。

 同じ姿勢で横たわるハニーは、まるで眠っているようだった――実際に眠っているのだから。チョコレートミントは痛む額をなでつつ悲しみに浸り、自分の罪について考えた。手当が必要な人間を放置した。これは立派な殺人だ。

 で、高飛びすることにした。


「おまえ、人殺したら高飛びするやつなの?」

「だってぇ、そのときはそれがベストに思えたのよぉ、すごく怖かったし」


 とは言っても、なかなかふんぎりがつかず、街をうろうろしたあげく、命より大事な携帯電話の電源が切れたので、「シルキー」で充電させてもらい、ついでにバイト仲間の顔を見納めた。電話が来たのはシルキーを出た直後だ。死人から電話がかかってきたチョコレートミントは震えあがり、意を決して通話ボタンをタップすると……。


「どこにいても呪い殺すってハニーの声が」

「絶対言ってないな」

「あたしもそう思う」


 街角で絶叫したチョコレートミントは即座に電源を切り、たまたま来たバスに飛び乗った。動悸がおさまり、だんだんと冷静になってくると、メルバが自分の居場所をいつでも把握できることに思い至った。今頃メルバがハニーの死体を見つけているかもしれないと思うと矢もたてもたまらずバスを降り、信号待ちの車の開いた窓から自分の携帯を放り込み……。


「よくそんなこと思いついたな」

「〈捜査官マークス〉で誘拐犯がそんなことやってたから」

「それがコスチェンコの車だったのか」


 公共ネットから配車サービスで呼びつけた車で沿岸をかっ飛ばして、営業中のサラリーマンが乗った車と接触事故を起こし、ニューヘブンクラスト警察にお縄と相成ったというわけだった。

 チョコレートミントが警官の前で「ハニーを殺しちゃった!」と泣きながら自供したせいで、警察署は一時たいへんな騒ぎになったそうだ。ミントを玄関先まで連れてきた警官の目はしばらく忘れられそうもない。

「おわびに帰ったら一杯おごる……」

「いや、それは」ハニーは間髪入れずに言った。「やめとこう」

「それもそうだね」

 チョコレートミントは小さくなって、気まずそうにリクライニングシートの角度を調節した。車は九十五号線を快走していった。





 ところで、とハニーは最後の疑問を口にする。なぜ自分は限度以上の酒を飲み続ける羽目になったのか。

「あー……それは、あたしのせいだわ。あたしがどんどん飲ませちゃったから」

「いや、飲む方も飲む方だ。そんなにおれはテンション上がってたか」

「それがあたしのせいなんだって。覚えてないかなあ? 昨日はね、なんだっけなあ、とにかく映画観てるとき、マスタードさんの話になって」

「は!?」ハニーは驚きのあまりブレーキを踏みそうになる。

「最初はガード固かったんだけど、二本目を空けたところからちょっとずつしゃべってくれるようになったから、いけそうだな、と思って、要所要所でおつまみ作ったりチェイサー出したりしてたらさあ……」





【本日 00:30 a.m.】

「マスタードさんのどこが好きなの?」とずばり訊くチョコレートミントもだいぶ酔ってはいる。

「うるせえな」まともに視線こそ合わせないが、チョコレートミントがしつこく訊くので、ハニーは答えてしまっている。「話が合うとこだよ」

「ほかには? ほかには?」ミントは口を割らせようともっとワインを注ぐ。





【同 01.30 a.m.】

「信じられないだろ、自分で穴に落ちといて、『よろしければ手を貸してもらえますか?』だって」

「素直じゃないんだね」

「だろ、ふつうに助けてって言えばいいのに。しかも、腕取れてる状態で言うんだぜ。どうしろと」

「あはは。で、どうやって引き上げたの?」

「ロープで、でも引き上げてる時に今度は左腕がおかしくなって、あいつすごく文句言って……」





【同 02.30 a.m.】

「あとは背骨……」

「せ、背骨?」

「背中に、背骨みたいなパーツがあるんだが、そこがすごく、なんというか、こう、ずっと見てられるような」

「へ、へえ」

「アンモナイトの……」

「アンモナイト!?」

「化石とかの……きれいな模様を、見てるときの気持ちに似てる……」

「あー……あー、なるほどね……?」

「あと、歩き方……走ってるともっとかっこいい。速い」

「速いんだ」

「ミント、これ、水みたいな味がする」

「お水だからね。それでそれで?」





【同 03:30 a.m.】

「出会いは? 出会いは?」

「ミント」

「なに?」

「酒がもうない」

「まだ飲める? イケるねえ! じゃあこれもう一杯作ってくる!」

「よろしく」





【現在 03:30 p.m.】

「ハニーったら見た目全然変わらないのに、だいぶ酔ってんだなあと思って、おもしろくなっちゃって」

「………」

「照れ隠しなのか、ついだらついだだけ飲むし。で、飲んだら飲んだだけしゃべるし」

 かわいかったわよ、と強者のセリフを吐くミントにハニーは目を剥く。

「いやあ、いろいろわかってよかったよ。そういうことだったんだねえ。だいぶ納得って感じ。とにかく以後、そういう話であたしに隠し事ができると思わないでね! はあ、なんだかんだあったけど、昨日はけっこう楽しかったよね? まあお酒は多すぎたかも。この反省をふまえて、またやりたいなあ、ボスとかも入れてさ。ね、どうかな?」

「ハハハ」ハニーはろくに聞いていなかった。「なるほど」

 アクセルを踏み、ふらふらと中央分離帯に突っ込んでいくハニーを、チョコレートミントは全力で止めた。



(第13話 終わり)

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