第12話 疑いの報酬⑦
【2033年10月】
「一号はどうだ」
ウィークエンドが口にしたのは例の、“悪夢の四十六分間”でビターを喰った人間のことであった。ビターは今や「五号」までが現れていた。一か月におよそ二体のペースであるが、これは政府が確認した数であり、実際はもっと多いのではないかとの見立てだった。
メルバはカップを両手で包み込んだ。「常に退屈しています」
「だろうな」ウィークエンドはマドラーを手でもてあそびながら言った。「きみが来ると嬉しいようだ。話し相手がいるからね。やっぱり若い者どうしがいいだろ」
「ぼくよりも年の近い人が、大学にはいっぱいいたでしょう?」
教授は話を渋った。「最初、スタッフの中から適任を選んだんだが……」
「だが?」
「あろうことか、そいつを誘惑して脱走を手引きさせようとした」
教授の苦い顔にメルバは思わず噴き出した。「あっ、すみません。いかにも一号がやりそうなことだと思って」
「あれでなかなか頭が回るから厄介だ。うちの学生たちより教養があるかもな? 本でも差し入れてやれ」
「いいんですか? よかった」いったん喜び、それから切り出す。「あの、一号が研究の進捗を気にしていますが」
「なにも話さなくていい」ウィークエンドはぴしゃりと言った。
正確には、「話せることはなにもない」なのを、メルバは知っていた。怪物がNYCCで五体も確認されたのに、捕らえられたのは最初の一体だけだ。むしろ、なぜ一号だけは捕獲することができたのだろう。
「奴ら――」ウィークエンドは周りを気にしてか、ビター・モンスターをそう称した。「奴らとヒトの関係性がまだはっきりしない。捕食-被食関係かと思ったが、奴らがヒトを飲み込んでも、最終的にヒトは放り出されて、奴らはどこかへ消えてしまう。寄生関係ならやっぱりヒトを手放すのは妙だ」
「呑まれたヒトの衰弱具合もばらばらですね。インタビューから有力な情報も得られませんし」
「ああ。一号の妙な症状も不可解だ」
「ギネス記録を更新中だそうですよ」
「あれは危険だから挑戦が禁止になった記録だ。たとえ一号の状態が公表されてもギネスにはならん」ウィークエンドは目頭を親指で押した。「医学に進んだ知人に連絡をとったよ。なにかわかるといいが」
「そうですね」
メルバはさりげなく時計を確認した。そろそろ研究室に戻るべき時間だが、疲れた様子のウィークエンドをもう少し休憩させてあげたかった。まだ、頼んだケーキが来ていない。彼はしばらく家族に会ってすらいないのだから、カフェでお茶をするくらいの身勝手は許されるはずだ。
「来た!」皿を運んでくる店員を見つけてウィークエンドがはしゃいだ声を上げる。「甘味は脳の唯一の栄養!」
この会話は、ビター六号が捕獲される三日前、そして、糖分がビターの行動を阻害するという発見がされる一か月前に行われた。
◇
メルバと偽ギモーヴ、ゾーイ・ラムレイがゴミ収集車を捨て、別の車に乗り換えるところを監視カメラは捉えていた。
「ここまでわかっていて、なぜまだ坊ちゃんの居場所がわからないの?」ホワイトが部下に聞いた。
「このあと、車は監視カメラのない路地に入ります。そのあともカメラに映ることはありません。映らないルートを事前に調べていたとしか」
「そのようね。ギモーヴ教授になりすましていたことといい、計画的で、執念深い相手だな」ホワイトはつかの間目を閉じた。「……警察に連絡することを考えないと」
ポピーは思わず口を出した。「ホワイトさん」
「事件発生から六時間経っています。もし犯人に身代金を要求する気がないのなら、我々ではあまりお役に立てないかもしれない」
相手が殺し屋なら、警察は積極的に介入しない。互いに民間治安維持業者と契約があるのだから、あくまで個人間の紛争だとみなされる。ここで誘拐保険チームとの契約を切り、警察に身代金誘拐以外の線からも動いてもらった方がメルバの助かる確率が上がるかもしれない、とホワイトは考えているのだ。
ポピーは提案した。「本社に応援を頼むというのはどうかしら? 車を探す人手がいれば……」同時にこうも考えていた――この件でジョージ様に助力を頼んだら、パーシー様は今までのように自由な研究を続けられないかもしれない。
部下が悲鳴じみた声を上げたのはその時だった。「来ました! 身代金要求です!」
「これか?」ハニーは声を上げた。
テイラーとグリーンが近寄ってきた。コンテナの壁面に、ひっかき傷のような細い筆跡で走り書きがある。テイラーが写真を撮って作戦本部へデータを送った。
「M・ウィークエンド」ハニーは読み上げた。
「名前か?」グリーンが首をかしげた。