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第12話 疑いの報酬④

【2032年12月】

 ウィークエンドはキャンパスのすみでしゃがみこんでいた。腐りかけの落ち葉をそっとめくると、ふかふかの土の上で何十匹ものテントウムシが身を寄せ合っていた。「カメラ」と教授は口にして、アイウェアのカメラ機能をオンにした。「撮影」とつぶやくたびに乾いたシャッター音がして、テントウムシの群れの画像がウィークエンドのアルバムへ送られた。

 ぱらぱらと雨粒が葉を叩く音がした。このくらいか、とひとりごちてウィークエンドが立ち上がると、頭になにかがぼんっとぶつかった。

 ウィークエンドは地面に落ちた傘と、背後に立っていて今は数歩あとずさったメルバと、雨が五分ほど前から降っていたのに気づかなかったことと、メルバがテントウムシ観察中の自分に傘を差し掛けていたことを相次いで把握した。

「なにをしているんだ?」

「ぬれますよ」

「こちらのセリフだ」しめった髪からしずくがぽたぽた落ちている。「余計なことをせんでいい」

「いや、あの、散歩の途中で偶然」メルバはおずおずとテントウムシの群れを指さした。「越冬中の群れですね」

「もう充分見た。ここで講義を始める気はない。写真が欲しければ後で送る」ウィークエンドはずんずん歩き出した。傘を拾ってメルバが追いかける。「来たまえ、おせっかいくん! タオルくらいは貸してやる」


 メルバはウィークエンドの研究室に足を踏み入れた。

「そこに座れ」座れるところがほかになく、おそるおそるデスクトップパソコンの前のいすに座ると、ごわごわしたタオルが飛んでくる。「暖房をつけろ!」というのは、足元のヒーターに言ったらしい。ランプがついて暖かい風が流れ出す。「コーヒーを入れる」これは宣言だったらしく、ウィークエンドは自分でケトルに水を入れ始めた。

 まわりにメルバは目を走らせた。ドア側の棚には古びた紙の本が、窓の反対側の棚には標本が並んでいる。開いた壁に液晶画面がかかっており、見ていると勝手に電源が入って南米のチョウの研究家を扱ったドキュメンタリーが無音で流れ出した。映像に気を取られているうちにせかせかとウィークエンドが戻ってきて、壁に腰から寄り掛かり腕組をした。彼はお世辞にも見目麗しい外見とは言えない。日焼けして荒れた肌に、О脚、背はメルバよりちょっと高い程度だ。しわが目立ってきた目元から見える瞳はいつもどこか別のものをにらんでいるような、尋常ではない光をたたえていて、近寄りがたい印象を受ける。お湯が沸くのを待つ静寂に気づいて、メルバは今ならいくつか質問ができるのではないかと思った。講義に出て来ないところで気になっていたことがあったはず。だがウィークエンドに先を越された。「きみを知っているぞ、二六年にアリの新種を発見した虫取り少年、十一歳で大学への門戸が開かれた生物学者のたまごくんだな」

 面接官として自分と会ったことを忘れているのか。「ええ、まあ」

「昆虫の新種など毎年二千種類は見つかる、よもや自分だけだとうぬぼれないことだ」

「わかっています」

「どうだかね」


 ケトルのランプが緑色に変わった。ウィークエンドはふたつの缶からカップにひとさじずつ粉を入れてお湯を注ぎ、無造作にメルバのほうへ押しやった。メルバはコーヒーが苦手なことを言いそびれてしまったが、お礼を言って手に取った。

「イースト計画に参加してどうだった?」唐突にウィークエンドが言った。

「あ……ご存じでしたか?」

「教え子が関わってた。で、どうだった?」

 メルバはカップの中身に目を落とした。「どうというのは……あまり覚えていません。ぼくが二歳のときの話ですから」

「ふん。物心ついたときにはすでに『天才』だったというわけか」

 頭の中の質問リストがどこかへ消えた。

「教授!」メルバはきっと顔を上げた。「ぼくは……ぼくは、自分が天才だと思ったことはないです!」

「だろうな」

「『だろうな』?」メルバは大声を出した。「あなたは、あなたは本物だからわからないんだ! ぼくは――」

「そもそもイースト計画がそういうものだからな」教授は淡々と続けた。「あれはヒトの記憶力や判断処理能力を上げるプロジェクトだ。天才を作るものではない。最終的にはそれを目指してはいるがな」

「………」

「きみは二歳で条件に適合したのかね?」

「生まれつき心臓が悪かったんです。手術しなければ一年で死ぬと言われたそうです。ドナーが見つかるまで冷凍睡眠に入りました」

「眠っているあいだに被験したのか」

「ええ、たまたま、時期が合っただけの話です。だから」メルバはややぶっきらぼうに言った。「処置前と後での意識の違いはありません」

「そうか。立ち入ったことを訊いた」

 今、謝ったのか? メルバは首をぼりぼりとかくウィークエンドを見やった。礼儀のつもりで口をつけたカップの中身が意外にも飲みやすくて驚く。ほんのり甘くて香ばしい。教授はコーヒーの粉とココアの粉を混ぜて入れたのだ。

「ともかくだ。()()をするのはもうやめたまえ。それはよくない。きみはまじめにやったほうが、その、あれだ」

「『あれ』?」

「あー、あれだよ。伸びる」


 ウィークエンドの手振りにパソコンが誤反応した。スリープが解除され、スクリーンに幼い少女が満面の笑顔で写っている画像が現れたのでメルバは硬直した。

「それはわたしの娘だ」ウィークエンドはメルバをパソコンの前からどかせた。「本当だ! 髪はもう拭けたか? 飲み終えたなら、もう行きたまえ」


  ◇


 男は黒髪を肩のあたりまで伸ばしていた。細身で、しなやかな体つきをしている。Vネックのカットソーとタイトなブラックジーンズ、それに手袋を身に着けていた。

「待たせたね」と男は言った。メルバは最初の一言を吟味したが、男がつと指を上げてそれを制した。「自己紹介は結構だよ。きみのことはわかっているから。ぼくはゾーイ。よろしくね」

 メルバは口をつぐんだ。が、また開いた。「()()は? それに、ギモーヴ教授はどこ?」

 彼は薄い唇の両端をつり上げた。「きみの知ってる彼は、もうギモーヴ教授じゃないと思うよ。……ちょっとお話ししようか」


 男は地べたにあぐらをかいて座り、下からメルバの目を見上げてきた。「ええと、パーシバル、きみには特技ってあるかな? やっぱりお勉強とかそういうことかな」メルバが黙ったままでいると、彼はちょっと首をかしげ、続けた。「ぼくにはあるんだ。高校生のときだったかな、女友達から相談を受けてね。彼氏が浮気しているみたいというんだ。確信はあっても、証拠がないらしい。友達を泣かすやつなんて許せないだろ? 仲のいい友達何人かで協力して、決定的な証拠をつかもうとした。なかなか狡猾なやつで、難しくて……最後の手段として、ぼくと彼とでふたりきりで話すことにしたんだ。――最終的に、自白させた。そのときだよ、自分に()()があるとわかったのは」


 反応を見ている。メルバは努めてぶっきらぼうに言った。「なにが目的?」

「せっかちだねえ。もっと駆け引きを楽しもうよ、パーシバル」

 肩をすくめた。彼がなにを目的としているのか計りかねる。身代金? 父の弱み? ビター関係? メルベイユがらみ? 心当たりが多すぎる。ともあれ、自分の身の上を知った上での誘拐なら、そのリスクを負うだけの理由があるはずだ。交渉の余地だってある。

「聞きたいことなら教える」メルバは訴えた。「だから、彼女を解放してあげてくれ」

 男の目が爬虫類のようにぬらりと光った。

「きみに聞くんじゃないよ」そういうと、彼は立ち上がった。部屋の奥へ行って見えなくなったかと思うと、キャスター付きのいすを引っぱって戻ってきた。

 いすには目隠しをされた少女が縛り付けられていた。

「聞くのはこの子だ」男は震える少女のあごをひとなですると、メルバに向かってほほ笑みかけた。「さあ、きみは女の子がいじめられるのを見て楽しめるタイプかい?」

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