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第12話 疑いの報酬②

 ハニーはQフォンに飛びついた。けたたましく鳴るのはチョコレートミントからのコール音だ。銃をつかみつつ電話に出る。「ミント? どうした?」

「あんた、“ハニー”?」

 準備の手が止まりそうになる。ミントの声ではない。「だれだ?」

「“ハニー”だな? すぐ来てほしい」

「おい、質問に答えろ。おまえはだれだ? ミントは無事か?」

「あー……無事とは言い難いかもな」

「てめえ……」

「とにかく今すぐ来い。場所は六十四丁目の……」

 言われた通りと店の名前を覚える。

「どのくらいで来られる?」

 ハニーは歯噛みした。「すぐだよ。あんたが思うよりずっとすぐだ。後悔させてやるからな」


 十五分後、たっぷり武装して向かった先のパブで、後悔しているのは自分の方だった。


 テーブルでは酔いつぶれたチョコレートミントが、燻製の盛り合わせとバーニャカウダの皿のあいだに突っ伏していた。同席しているふたりの女とひとりの男はミントの飲み友達らしい。自己紹介を終えた今、この四人になんの共通点があってつるんでいるのか理解できなかったが、リアナ(看護師。二十八歳)、ジェーン(アクセサリー作家。四十五歳)、ベン(ウェブデザイナー。三十九歳)とミント(研究所助手。二十一歳)はときどき会って飲み交わす友人以外のなんでもなかった。

「電話してきたのはあんたか」

 ハニーがベンに顔を振り向けると、ベンはワインボトルの影に隠れるように肩を縮めた。「ひとりで帰れそうもなかったからさ」

「どこに住んでるのか知らないし」とリアナ。


 できあがるにはまだ早い時間だろうに。店内の黒板にある「ハッピーアワー」の文字で答えは得られたものの、今日はペースが速くって、とは友人たちの共通の見解であった。今日は土曜日だ。好きに飲めばいい、飲めばいいのだが――とハニーはチョコレートミントの醜態を見下ろした。――もっと命を狙われているという自覚を持ってほしい。ひとこと言ってくれれば、飲むあいだくらい、護衛してやるのに。

「あんた、ミントちゃんの彼氏なんでしょ?」とジェーン。

 疲れを押し隠すこともせず否定していると、突然ミントががばっと顔をあげた。「ミントちゃんはね、人に迷惑をかける酔っ払いにはならないんだよ」と力説している。「なんでかって? 眠らないから! 変なところで寝ちゃう心配がない! どう? すごいでしょ!」

「そいつはすごいな」

「迎えに来てくれたの」ミントがへらへら笑った。「ありがと、ルーク」

「おい、大丈夫か? ルークじゃねえよ」

「あれ」ミントがぼんやりとまばたく。「ほんとだ……ハニーだ。あれえ……? なんでえ……?」


 電話での非礼をわび、ミントの飲み代の支払いを済ませてから、ハニーはチョコレートミントの肩を支えて外に引っ張り出した。ぐにゃぐにゃしているが歩くことには歩く。

「ルーク」ミントがしくしく泣き始める。「ルークに会いたい。なんであんたルークじゃないのよう」

「そう言われてもな。いてっ」腕をはたかれる。「ルークってだれだよ」

 チョコレートミントはむにゃむにゃと意味のわからない言葉を口走るばかりだった。タクシーに押し込むと彼女の涙は消え、一転して笑い上戸になった。やれ信号が変わった、やれタワーが光ったと言っては笑うチョコレートミントに辟易しながら、ハニーはルークなる人物について考察した。昔の恋人だろうか? 彼はこういうときどう対処するのかぜひ知りたいと、頬を引っ張られながら思う。

「ねえ、なんでつまんなそうな顔してんの? なーんで? 笑いなよぉ、ほら、こう、あはは! おもしろーい! 楽しいね! もう一軒行こー!」


 ――眠らない酔っ払いってすごくめんどくせえな……。


 もっと遊ぶと駄々をこねるチョコレートミントを部屋まで誘導し、水を飲んでおとなしくしているように言い聞かせ、なだめすかして中に押し込んでから、ハニーはタクシーの料金を払いに戻った。チョコレートミントは座席に携帯を落としていた。その携帯が鳴った。画面を見るとポピーシードからである。

「もしもし、ミントちゃん?」

「あ……羽生です」

「あら?」

「あの、ミントはすごく酔ってて……いや、あの、もう家に帰したんですけど、携帯が、タクシーに、あの、忘れて」

「そうなの。じゃあ伝えてほしいのだけど、明日は研究所をお休みにします。突然ごめんなさいね。あなたも出勤しなくて大丈夫だから」

 用件はそれだけのようだったが、ポピーシードは切るのをためらっているようだった。

「なにかあったんですか?」ハニーは促した。

 めずらしく歯切れ悪く、ポピーシードの沈黙が続いた。

「羽生さん」

「はい」

「今から来られる? ミントちゃんには内緒で」緊迫感がにじむ声だった。





 夜のエンパイアステートビル周辺は思いのほか騒がしかった。夜景を見に来た観光客が入り口でまごつき、それを冷やかすチンピラどもがやかましい。NYCCははるか上から見るほうが正解だと思われそうだ。彼らを尻目に、オフィスまで専用エレベーターで上がる。

 研究所の玄関を開けると、すぐ目の前にポピーシードがいた。よく来てくれたわね、と言って彼女はハニーの腕に触れた。ほほえんではいたが、いつもの明るさがない。

 ただごとではなさそうな雰囲気を感じ取る。

「どうしたんですか?」

 ポピーシードは目をふせた。「メルバ所長が行方不明になりました」

 ハニーは息を飲んだ。「いつから?」

「最後に姿を確認したのが十六時四十五分」


 ハニーとチョコレートミントは休みだったが、メルバとポピーシードは仕事をしていた。メルバは外で人と会う約束をしていたのだ。ペンシルベニアの大学に籍を置く、ブライアン・ギモーヴ教授だ。

「ギモーヴ教授とは、何度もメールや通話でやり取りをしたので、わたしは安心していたの。三時から二番街に会議室を借りて、最近のビターの出現動向や小惑星探査機の最新データの話なんかをして……。メルバ所長が休憩で席を立って」ポピーシードは気丈にしていた。目に動揺や不安が出ないように努めている。「ギモーヴ教授の携帯が鳴って、彼は電話を取りながら廊下に出た。それが……今日ふたりを見た最後」彼女はしっかりと顔を上げてハニーを見た。「行方不明と言いましたが、ほぼ確実に、メルバ所長は誘拐されたのです」

「ではその、ギモーヴ教授が?」

「ペンシルベニア理科大学に問い合わせてみたところ、ギモーヴ教授は半年前から授業に出ていないそうです」

「え?」

「二週間前からのどの手術のために入院中。声が出ないから休職しているようね。実家のあるフロリダの病院にいるそうよ。本人と映像で話して確認も取れた。わたしたちが会った教授とは別人だった」

「つまり……」

「犯人はギモーヴ教授になりすまして、三か月以上もメルバ教授と連絡を取ってきたってこと。おそらく、今日このときのために」

「警察は?」

「呼んでいません。ですが、メルバ所長は誘拐保険に加入していました。対策チームが来ています」

 ――誘拐保険……。「どこの会社ですか?」

 ポピーシードはややほほえんだ。「どこ、と訊くところが元民間軍事会社(PMC)社員らしいわね。グレイヴィーズ保険よ。メルベイユ警備保障の傘下」 


 保険のほうは知らなかったが、後者はわかる。なぜ大手警備会社の名が今ここで出てくるのかとハニーはいぶかしんだ。

「あら、知らなかった? メルバ所長のお父様は、メルベイユ警備保障――メルベイユグループの代表取締役なの」そこまで話すと、ポピーシードは研究所のドアを開けた。「羽生さん、とにかく、グレイヴィーズ保険の方々に会ってちょうだい。彼らに協力してほしいの」

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