番外編 摩天楼の三怪人
「“ラジカルゴ”?」
「──っていうアプリね。音声配信ができるの。簡単に言えば、素人のラジオ番組配信プラットフォームって感じかな? オリジナルのコーナーを作って、好きな曲を流して、リスナーとコメントで遊んで。動画でいいじゃんって? これがなかなか、ラジオにはラジオの雰囲気があっていいんだよね。あたしも眠れない夜よく聞くよ。まあ」チョコレートミントは肩をすくめた。「毎晩って意味だけど」
「それがどうしたって?」
「ダウンロードできた?」メルバが確認をはさむ。「そしたら、検索で“DJエッシャー“っていう配信者を探して」
ハニーはボスの言うとおりにした。渦巻く銀河のイラストを背景に、三十路とも四十路ともつかない男が歯を見せて不敵にほほえんでいる。虹色の文字でチャンネル名が書いてある。“DJエッシャーの不思議探訪WAVE”
「こいつが、なに?」
「自分のチャンネルでビターがらみのデマを流しまくってるんだよ! 尻に力を入れればビターに襲われない、とか、3Dグラスをかけるとビターの次の出現場所が見える、とか」
「ひとつひとつは他愛ない噂レベルなんだけどね」
メルバはミントをきっとにらんだ。「害悪な偽情報だよ! 科学の敵!」
「世界の怪事件とか、UMAとかそれ系の話をする配信者なんだよね」ミントが情報を補足した。「ビターの登場でかなりハイになっちゃったみたい」
「その手の輩には格好のネタだろうな」
「悪質なら訴訟も視野に入れてる。だから、こいつがビターのことを話した回をピックアップしていきたいんだ。手伝って」
ハニーは配信アーカイブをざっと見た。最新の回が第526回とあり、思わず嘘だろと声に出しそうになる。
「いっぱいあるけど、ビター出現以前の配信は無視していいから、ざっと三百回くらいだね。一回の配信が十分くらいだから全部で3,000分、三人で手分けすれば三分の一で1,000分、つまり十六時間ちょっとで終わる」そう説明しているあいだにメルバの目がどんどん濁っていった。「今日から少しずつ、こつこつ聴いていこう。一日二時間やれば八日で終わる。ハハッ」
カレンダーを貼ったホワイトボードを引っ張ってくる。
「ミントは四月、羽生は五月、ぼくは六月の配信から聴いていこう。聴き終わったらボードにマークして。ビター関係の発言があった回は、赤いペンで丸つけて、時間もメモしておいてくれ。そうだな、四十分経ったらいったん休憩しよう」
救いは、DJエッシャーがかなりの美声であったことだった。なめらかなテナーから繰り出される雪男、UFO、幽霊、超能力、ビッグフット、ネッシー、地下帝国、秘密結社、並行世界などなどの話が研究所の三人を摩訶不思議な世界へ誘う。
「そういえばこのあいだね」とDJエッシャーが語りだす。「ちょっと変な出来事があったんだよね。仕事でマンハッタンのホテルに泊まった時の話なんですけど。仕事が終わって、ホテルのダーツバーに遊びに行ったんです。フフ、こう言うとホテル特定されちゃうかな? そこにいた金髪のレディとダーツで遊んで、その日は部屋に帰ったんですよ。で、翌日、朝仕事に出るとき、バーの横を通ったんですね。彼女、まだそこにいて、ぼくに手を振ってくれたんです。ここまではまああるかなって感じでしょ? で、昼。ぼくが忘れ物を取りにいったん部屋に帰ってきたとき、彼女がロビーでくつろいでいるのが見えたんです。さらに夕方、ホテルの前を車で通った時も、窓からダーツをする彼女を見たんですね。その晩も飲みに行ったんだけど、金髪の彼女は、ぼくが行く前からいて、ぼくが引き上げた時も、ミントモヒートを注文して、次のゲームに備えていました。あとでこっそりバーのマスターに聞いてみたんですが、その夜は閉店までずっといたらしいんですよ。彼女、なんだと思います? ナポレオンみたいに全然寝ないのか、双子か、ドッペルゲンガーか。さもなければ、体をふたつ持ってるんですかね? ちょっとオチが弱いんですが、今日はこのへんで。また明日……」
タイマーを止めてメルバが声を上げた。「休憩しよう」
三人は各々顔をあげてふうっと息をついた。
「ひとつ報告したいことがある」ハニーはミントの方を向いて言った。「おまえが妖怪になっている」
「え?」
問題の部分を聞かせる。
「マンハッタンのホテルのダーツバーにいつ行ってもいる女って、もうおまえしかいないだろ」
「時期的に羽生が来るちょっと前かな?」メルバがアーカイブを確認する。「ラベンダーコンチネンタルホテルに部屋取ってたもんね」
「ねえ!」ミントが憤慨する。「もっと、ダーツバーの女神とか、言い方があるでしょ! 確かにあそこに入り浸ってた時期あるけどさ! あたしのことだったら絶対訴えるから! それより、ボディガード案件があるんだけど!」
「なんだよ?」
「セントラルパークに変質者が出るらしいの!」
ミントはそう言ってアプリを操作した。DJエッシャーの声が端末から流れ出す。
「……続いては、ラジオネーム『オレンジアスパラ』さんの体験談です。夜中にセントラルパークで犬の散歩をしていたときのこと。わんちゃんと遊んでいると、近くの木の茂みから、ガサガサって音がしたんです。オレンジアスパラさんは最初、野良ネコかな? って思ったそうなんですが、ネコにしては大きい。で、白いんですね。白い大きな影が、藪から藪に移動しているのが見えたと。足がついてて、這うように動いていたということです。四つん這いの人間かもしれない、とお手紙に書いてくれているんですが、あのね、オレンジアスパラさん、深夜に公園で四つん這いしてる人間も、十分怪異だと思いますよ。セントラルパークを散歩する方はね、気を付けていただいて……」
「ね? 怖いでしょ?」チョコレートミントは両腕をかき抱いた。
「近いな」とハニー。「あのへん暗いところも多いし、気をつけないと」
メルバは口元を覆った。「それぼくかなあ」
「えっ?」
「春先でしょ? 夜中にセントラルパークで虫取りしてた。白衣着たままだったかも」
「なんでまた夜に……」
メルバは怪訝そうにした。「夜行性の虫がいるから」それ以上の理由などないという顔だ。
「もう、やめてよね。会社の代表者が公園を這い回って捕まるとか、最悪も最悪だから」
「公園で虫取りのなにが悪いんだよ? ところで、ぼくは羽生に一点確認したいことがある」
「なんですか」
「これを聞いてなにか思うところはある?」
メルバが六月六日の放送回をタップした。
「……さて、ラジオネーム『黒ニンジャ』さんからのおたより。『エッシャーさんこんにちは!』はいこんにちは……『聞いてください。この前、窓から外を眺めていたら、すごい速さで動く人影を見たんです。それは、クライスラービルの手前のあたりで、東から西に向かってぴょんぴょん跳んで移動していました。でもそこってビル街だから、地上三十メートルくらいの高さは普通にあるんですよね。こういう怪人の噂とかありますか?』……うーん、フライングヒューマノイドかな? 見ないとなんとも言えないけどね。ぼくも見てみたいな……」
メルバは「どうかな?」と訊いた。
「変なことがあるものですね」
「そう?」
「ええ」
「心当たりはない?」
「ありません」
「ふーん……?」
「仮にですよ」ハニーはメルバの顔をひたと見据えた。「そいつがフライングなんとかじゃなく、人だったとして、夜中にビルからビルへ飛び移ってるやつなんか、NYCCには掃いて捨てるほどいるでしょう。おれとは限らないのでは?」
「夜中とは誰も言ってないんだが」
「一応パルクールの場所を変えます」
「最初からそう言え」
DJエッシャーが番組を締めくくる。「不思議探訪WAVEでは、あなたの奇妙な体験談を大募集しています。おたよりくださいね。怪奇とは、すぐそこに、あなたのとなりにあるものなのです」
メルバはチョコレートミント、ハニーを順繰りに見た。「……作業に戻ろうか」
三人は聴取に戻っていった。