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第10話 ギャラリーに手を出すな②

 セントラルパークの東側、七十二丁目のサントノーレ・アートギャラリーでは記者会見の準備ができたところだった。庭というのかどうか、となりの建物とのあいだにぽっかりとスペースがあり、芝生の真ん中に展示品のひとつなのだろう白い像が設置されている。なにをかたどっているのかまるでわからない、奇妙にひねくれた形だ。その前に演台が置かれ、記者たちが会見のはじまりを待っていた。

 ここで〈浸食と変容〉のオークションの詳細を発表するらしい。ハニーが動揺して概要しか把握できなかった朝のニュースを、チョコレートミントはネットで細かく確認していた。


 記者たちの後ろから、会場を見やる。

「ええとね」ミントがネットの記事を読み上げる。「作品の元所有者っていうのが、カヌレ・ディーの別れた奥さんなんだけど、彼女も先日亡くなって、〈浸食と変容〉はディー氏の実の娘さんに引き継がれたらしいのね。それがマドレーヌ・ディー。出品者は彼女ね。ここの館長をやってる人。カヌレ・ディーの作品の大部分を管理してる」

「つまり、遺品ってことか? 父親と母親、両方の」それをオークションに出すのか。まあ、どんな事情でもこっちには関係ない。

 記者たちがざわめき、カメラのシャッター音がわっと上がる。マドレーヌ・ディー氏が登壇したのだ。凛としたたたずまいの、白いジャケットを着た五十歳ほどの女性で、マスコミ勢を見渡す様子はきびしい教師を思わせる。が、広報用だろう笑顔を作ると、その厳格そうな雰囲気は多少やわらいだ。


「みなさん、今日はお集まりいただきどうもありがとう。早速ですが、カヌレ・ディー最後の作品、〈浸食と変容〉のオークション出品について、ご説明させていただきます」

 フラッシュがたかれる。

「今回」マドレーヌは落ち着いて続けた。「正式な所有者が亡くなり、〈浸食と変容〉ははじめて競売にかけられることになりました。〈浸食と変容〉は、カヌレ・ディーが闘病中に製作し、縁者に贈ったものです。おそらくは遺産の代わりとして。しかし、贈られた持ち主もすでに今はこの世になく、その相続人はわたくしです。わたくしも美術館をやっている以上、そしてカヌレ・ディーの娘である以上、このまま個人の物としてしまうことも考えましたが」マドレーヌは薄く笑みを浮かべた。「美術とは広く大衆のために、が芸術家カヌレ・ディーのモットーでありました。そのモットーに従い、正式な所有者が亡くなった今、次の持ち主は市場で決めたほうがいいのではないかと思うのです。それがフェアでしょう」


 とうとう〈浸食と変容〉のお披露目だった。マドレーヌのかたわらにあったガラスケースから、かぶされていた布が取り外されると、中におさまった〈浸食と変容〉があらわになった。思っていたより大きい――そしてあの腕。ハニーの鼓動がにわかに高鳴った――ああ、この足と比べてみなくてもわかる、ひじの下から指の先まで純正品だ。もっと近くで見たい……手に入れたい。

 ハニーが〈浸食と変容〉から目が離せないでいるうちに、主催のオークション会社の紹介が終わった。オークションの日取りは来月だ。だれでも参加でき、電話やネットでの入札も受け付ける。だれでも、という言葉にハニーは奮い立った。

落札予想価格エスティメートは?」だれかが質問した。

 マドレーヌのくちびるから数字がこぼれおちるのを、全員がかたずを飲んで待った。

「四万三千ドルから五万四千ドルです」

 ――四万三千ドルから五万四千ドル?

「四万三千ドルから……」自分の声がどこか遠くでつぶやくと、ミントがあとを引き取った。「五万四千ドル」

 これはあくまで参考価格であること、未公開の作品であること、製作者が故人であることをかんがみてこの価格となった、ディー氏最後の作品ということで激動のオークションになるだろうという査定者の説明がなされた。

 記者会見の終わりが告げられた。気がつくとハニーは、アートギャラリーの中に戻ろうとするマドレーヌ・ディーとガラスケースを追っていた。なにも考えていなかった。のどから出るまま、おれに売ってくれと叫びたかった。実際に叫んだとしても、ハニーとマドレーヌのあいだは何人もの記者と学芸員が隔てていたし、シャッター音や取材の声でかき消されてしまうだろう。いずれにせよ、マドレーヌはきりりと背を伸ばしたまま歩き続け、わき目もふらずに建物の中へ消えた。





 三々五々撤収をはじめるマスコミ勢の中で、立ち尽くすハニーにミントがおずおずと声をかける。「……大丈夫?」

 答えないまま、ハニーはQフォンを取り出した。アーモンドファッジにかける。

「アーニー!」

「な、なんだよぉ、文句があるなら言ってみろぉ」とビビった声を出すファッジを怒鳴りつけた。

「仕事、いっぱい持ってこい!」





 エスティメートの二倍は用意しておいたほうがいいだろうな、とはアーモンドファッジの意見だった。「あくまで予想価格だし、オークションが盛り上がれば値もそれ以上につり上がるだろう」

 怒りともどかしさで、ハニーはおかしくなりそうだった。「くそっ! そうすると十万八千ドルか。下手したらマスタード本体よりも高いじゃねえか!」

「ほんとに買うの?」通話にチョコレートミントが口をはさんだ。「腕一本だよ? 割に合わないんじゃない?」

「おれも、あんまりいい買い物じゃないと思う」ファッジの言い方はいつもよりあけすけではなかった。またハニーを怒らせるのは得策ではないと思っているのだろう。


 四万三千ドルから五万四千ドルは――出したって惜しくない。むしろ爆発に巻き込まれた自分の落ち度を思えば、払うことにためらいはない。だが、自分の財産を大部分失うことになる。倍の値段になるなら、全財産を。それで得るのは右腕だけだ。まだほかにもそろえるパーツがあることを考えると、ミントの指摘はしごく的を得ていた。

 だが、やはりできない、指をくわえて見ていることなど。ほかならぬ自分の目の前で、売られてただ飾られるMS-T4400右前腕部パーツを、黙って見逃すことなどどうしてできるだろう。


「放っておけないだろ!」往来で大声を出すハニーにふたりがたじろぐ。「いいか、マスタードはアンドロイドなんだぞ! それも、高度なAIを搭載した戦闘支援アンドロイドだ!」

「うん?」と、ファッジとチョコレートミント。

 きちんと話すために、いったん間をおいて、自分を落ち着かせる。「機械には機能ってものがある。冷蔵庫は食品を冷たくする、テレビは映像を映す。そうだろ? マスタードは戦闘アンドロイド、戦うことが機能だ。ギャラリーで見せ物になるものじゃねえ」

「じゃあ、もし〈浸食と変容〉を競り落としたら、どうするの?」

 意味がわからずきょとんとした。「どうって?」

「こいつは腕を取り外して、それ以外のところは捨てるだろうな」電話の向こうからファッジが代わりに答えた。

 チョコレートミントは不満そうだ。「それって、どうかと思うなあ」

 だれにどう思われようが構いやしない。

「機能を果たせないロボットはゴミだ」ハニーは強い口調で言った。「マスタードがそう言っていた! おれはあいつをゴミのままにさせたくない。絶対に競り落とす! パーツを集める! そのために金が必要だ!」

「わかったよ」ファッジがあわてて言った。「とりあえずこの前の賞金があるだろ。貯金はどのくらい?」

 殺し屋バトルロイヤルの賞金が三万ドル、貯金はざっと六万ドルといったところだ。概算でも目標に一万八千ドル足りない。

「あの金は?」ファッジがぼそっと言ったが、ハニーは無視した。「はいはい、オッケー……じゃあ来月までに二万ドルほど稼がなきゃいけないわけね。へえ……なるほどなるほど……大統領暗殺でもする?」

「仕事あるのか? ないのか?」

「あるよ。ワークショップ以降、何件かおまえを指名した殺しの依頼が入ってきてる。いくつかは断ったあとだけれど」


 なるほど、そういう……。ハニーはやっと殺し屋番付の仕組みを理解した。単なる悪趣味かと思っていたが、本当にワークショップのネット中継を見て依頼を考える人もいるのか。となると、謝罪電話の合間にファッジが言っていた「新人育成」だの「業界全体の質の維持」だのという言葉もまんざら冗談ではないのかもしれない。


「ちょっとぉ」チョコレートミントが憤慨した。「あたしの護衛はどうなるの?」

「そうだ、メールが来てるぞ。ボスがあの状態なので、今週は出所しなくていいそうだ。ミントにボスから指示がある。『むやみに出歩くな。ビターの観察データを送るからいつものようにまとめてくれ。ビターが出たら連絡する。よろしく』」

「ええーっ」自分でもQフォンを確認したミントが信じられないという顔をする。「なにそれぇ!」

「在宅ワーク?」とアーモンドファッジ。「よかったじゃん」

「よくないよ! 全然よくない!」

「じゃあいっしょに行けば?」

「殺しに? やだぁ!」

 行くと言い出すかとはらはらしていたハニーは胸をなで下ろし、アーモンドファッジは詳細をあとで送ると言って通話を切り、チョコレートミントは文句を垂れながらもどうにもならず部屋にカンヅメの身となり、ハニーのもとにはようやくまともな殺しの依頼がやってきた。

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