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第10話 ギャラリーに手を出すな① 

 今日の夢は「ナンセンス」のジャンルにチャンネルを合わせているようだった。ハニーは広いネジの倉庫にいて、無尽蔵のネジの中から、マスタードに使われている規格のものをすべて選べという難題に取り組んでいた。棚に並ぶネジはどれも同じに見える。

「わからないんですか?」と棚に腰かけたマスタード本人。「それでもわたしを直す気があるんですか?」

 棚のあいだを右往左往するハニーの頭上から、ネジがどんどん降ってきて、あっと言う間に床を埋めて、埋めて、埋め尽くしていく……。

 飛び起きたハニーは深々とため息をついた。

 こんな夢を見るのは、とハニーは思った。単におれが無能なせいだ。メルバ研究所に入ってもうすぐ三か月、マスタードの体に関してなんの進展もない。そのあせりがこんなアホみたいな夢を見せるのだ。今日も(いや、昨日か)眠る前に調べ物をして、いつものように落胆して床についたところだった。


 とにかく情報が少ない。

 MS-T4400はケートエレクトロニクス製の歩兵アンドロイドだ。AIは戦闘支援に特化したものだが、人とのコミュニケーション能力も高い。「開発者はわたしを」と本人から一度聞いたことがある。「“共に戦場に立つ同志”として作り上げたかったようです」

 ケートエレクトロニクスは中東の小国ウェルダのロボット製作所だった。ウェルダのロボット産業は独自の発展を遂げ、各国からも注目されていたが、内戦が終わると徐々にそのことも忘れられていった。ウェルダ共和国は内戦で自らを食いつぶしたからだ。体制側と反体制側の争いに国連と民間軍事会社と米軍が首を突っ込んで、そのあとはもうお決まりの泥沼だ。ケートエレクトロニクス社も空爆を受けて跡形もなくなったと聞く。事実、最新の地図を見ると、本社のあったところはがれきが少々残る更地があるだけだ。


 マスタードと同じ機種のアンドロイドがそう多く作られなかったことは疑う余地もない。ロボットの中古パーツやジャンク品を扱うネットショップを毎日周回しても、MSシリーズどころかケートエレクトロニクスの文字すら見かけることはまれだ。たまにハニーの目に引っかかるのは、同社が比較的大量生産したE-60という小型の地雷処理機と、MF-200という警備アンドロイドのパーツの取引だけだった。軍事ロボ系の掲示板にウェルダ製アンドロイドをなつかしむスレッドはたまに立つものの、始終エイミス技研かクラーク・インダストリーの思い出話になるのが常で、そうするとアーマーの話をするやつが絶対出てくるので、スレ違いだなんだと荒れて……。うんざりなのだが、前に「ケートのアンドロイドは反体制側で使われていた」「白いアンドロイドは武器の扱いがうまかった」という情報を拾ったことがあるので、目が離せないのだ。

 なにか新しい情報があればいいのに……。

 首元の鎖に手をやる。細い金属の輪をなぞりながら、ベッドサイドを見る。枕の横に立てて置いてあるひとそろいの義足は、当然だがなにも語らない。マスタード、どこに行けばおまえに会える?





 しばらく横になっていたが、眠れないので起きだすしかなかった。義足を取りつけて、いつもの動作チェックとストレッチ、顔を洗って、着替えるとランニングに出かけた。セントラルパークを走っているうちに日が昇り、どことなく憂鬱な気分もいくらか晴れる。余計なことを考えてしまうときは運動に限る。そう、なにも考えずに、今はメルバの仕事をこなせばいいのだ。部屋に戻って、シャワーを浴び、もそもそとカロリーブロックとミルクの朝食をとる。銃の点検をする。自動拳銃と狙撃銃が一丁ずつ。拳銃は腰のホルスターに差して、弾薬をチェックする。ライフルはケースにしまっておく。

 時間だ。

 廊下に出る。チョコレートミントはまだ出てきていなかった。

 いつもいつも、とハニーは刻々と変わる時計の表示とにらめっこしながら思う。自宅から徒歩一秒の集合場所に遅刻するっていうのはどういう神経をしてるんだ。約束の時間から十五分がすぎ、ハニーはとうとうミントの部屋のドアをノックした。いつもなら、「わかってるよ! ちょっと待って! 今行くから!」などという悲鳴が飛んでくるのに、今日はなんの応答もなかった。

 眠らない女が朝寝坊ということはありえない。

 ミントが電話に出ないのを確認すると、ドアの取手に手をかけた。鍵はかかっていなかった。

 拳銃を抜き出し、ドアを静かに開けた。


 銃口を先導に、廊下をぬき足さし足進む。間取りは自分の部屋を左右反転したものだ。チョコレートミントの家は……なんだか非常に物が多い。積まれた靴と帽子の箱、脱衣所から廊下にはみ出した柔軟剤がたくさん入ったかご、壁に貼られたポラロイド写真やポストカード。散らかっているのか荒らされているのか区別がつかない。前方から大きな丸いものがゆっくり転がってきて驚いたが、なんのことはない、紺色のバランスボールだった。ボールを横に押しのけて、それが出てきた部屋に近づいた。ボールはエアコンの風で飛ばされてきたようだ。リビングのドアは開いていて、中でなにかが光っている。

 カーテンを閉め切ったリビングで、テレビだけがこうこうと輝いている。その明かりが、ソファに自分のすべてを預け切ったチョコレートミントの顔を照らしていた。

 ハニーは銃を下ろした。


 ヘッドホンをつけたチョコレートミントはこちらをちらっと見たが、また画面に目を戻した。テレビの中では、今まさに、指輪物語の映画がクライマックスだった。

 ハニーはソファの後ろに行き、いっしょにフロドの旅の終わりを見届けた。

「わかってる、なにも言わないで」エンドロールに入り、息を吸い込んだハニーを、両手を上げてチョコレートミントが制した。「言いたいことはわかるから。時間に遅れるな、ノックに返事しろ、電話に出ろ、玄関の鍵をかけろ、早く支度してこい」

「深夜にロード・オブ・ザ・リング一挙上映会を始めるな、が抜けてる」

「仕方ないでしょ」ミントはそれには反抗した。「あたしの夜は長いの。退屈しないようにするのが大変なんだから。わかる? とにかくヒマとの戦いなの」

「本当に三作全部見たのかよ」

「誘導尋問だ!」ミントはヘッドホンを外し、リビングのカーテンを開けた。「着替えてくるから」ととなりの部屋に引っ込んだと思ったら、顔だけ出して、「今日何着ればいいと思う?」

「置いてくぞ」


 リビングで待機しながら、こんなことで本当に大丈夫なのだろうかと考えてしまう。とはいえ、ほかにどんな方法があるというのだろう。「今日雨降る? 暑くなるかなあ?」ととなりの部屋から大声で聞いてくる彼女に返事をすることも、きっとどこかでメルバの協力を得るために役立つはずだ。テレビのチャンネルをニュース番組に合わせる。天気予報は終わってしまったようだが、左上に小さく「NYCC 晴れのちくもり」と出ている。

「さて、ここで文化的なニュースをひとつ」とアナウンサーが言う。「現代アートの巨匠、カヌレ・ディー氏の最後の作品が競売にかけられることになりました。廃材を使った立体作品〈浸食と変容〉は、ディー氏の二年間の闘病生活中に作られたものです。先日作品の所有者が亡くなったため、NYCC市内のオークションに出品されることになりました。故所有者の代理人にして、ディー氏の娘であるマドレーヌ氏によると……」

 ニュース映像に目が釘付けになる。

「ミント」最初はかすれ声しか出なかった。「ミント!」

「なあにー? 台風とか来るの?」

「ミント!」

「なんなの?」チョコレートミントは再び部屋から顔だけを出した。

「マスタードだ。マスタードの腕がある!」

「ええ?」

 チョコレートミントが事態を理解するまでしばらくかかり、ハニーはそのあいだ同じことを気がふれたように繰り返すばかりだった。


 話題の芸術作品〈浸食と変容〉は廃材を集めて作ったアートだ。流木やガラスびんなどが積み重なる鈍色の山の中で、ひときわ頂上に近いところに、アンドロイドの腕らしきものが明後日を指さすような形で突き出していた。





 フランス系アメリカ人のカヌレ・ディーは主に漂流物を使う立体造形を得意とするアーティストだ。鉄材、古木、船の部品、空き缶など、材料の多くはディー氏が海辺を散歩して手に入れたものである。海洋汚染問題にひときわ高い関心があったようで、作品の多くがそれをテーマにしたものだという。シーグラスと動物の骨で作った〈仄かなる悪夢の予感〉がイギリスの現代アート賞を受賞すると、彼の名声は一気に高まった。02年に発表した〈汚濁〉と、05年の〈見つめざるもの〉でその評価は盤石のものとなる。絶望と希望が同居するような、ほの暗さとかすかな光をまとう彼の作品には老若男女の区別なく魅了されるようで、どの世代にも一定のファンがいる。あまり公の場には出て来なかったが、2027年冬の「カヌレ・ディーと歩くロッカウェイビーチ散策」という限定三十人のイベントでは、おだやかな笑みをたたえてファンとの交流を楽しむディー氏が見られたという。死因は腎臓がん。闘病中に作られた作品は以下の三つ――〈未知〉〈無限の渦の中で〉〈浸食と変容〉。作品の多くは、NYCCアッパーイーストサイドに位置するサントノーレ・アートギャラリーで見ることができる。


 ハニーは通勤のバスの中でカヌレ・ディーのネット記事をもう四回は読み返していた。

「本当にマスタードさんの腕だったの?」

「間違いないと思う。いや、本物は火星で壊れたからないんだが」

「同型機ってことでしょ」ミントも同じ記事を読み終えたようだ。「すごいねえ。海岸に流れ着いたのかな」


 世界のどこかでマスタードと同じ型のアンドロイドの腕がもげ、海に落ち、はるばるアメリカ大陸東海岸まで流れ着く。ハニーは気が遠くなりそうだった。これぞ奇跡、晴天の霹靂、アメリカンドリームだ。だが、単純に喜べる状況ではなかった。


「なんなの?」うかない顔のハニーにミントが促した。「言いなよ」

 口を開いた。「あんな……ゴミといっしょにされてるなんて」

「ちょっと、ゴミじゃないでしょ。アート」

「割れたガラスとか金属クズとか混ざってた」

「そういう手法なんだって」

「じゃ、あれが、あんなのが、アートだっていうのか? 海に浮かぶゴミの寄せ集めだろうが!」

「いい作品だと思ったけど……。環境問題への警鐘を鳴らしつつも、わたしたちが汚した海からこういう芸術が生まれることもある、みたいな、全体的にアイロニカルだけど、ちょっと悲しげな視点を感じたな」

 ハニーは穴が開くほどチョコレートミントの顔を見た。

「なに?」

「現代アートに明るい?」

「見た感じを話しただけだよ。言っとくけど、芸術に理解がないとNYCCで生きていけないからね。ここに来てから美術館に行った? 好きなアーティストは?」

 ハニーは少し考えた。「ジョージ・A・ロメロ」

 ミントはにっこりした。「今度NYCC近代美術館に行こうね」

「おれが言いたいのは」ハニーは話を戻した。「あの浜辺クリーン活動の結果みたいなものが来月には競売にかけられるってことだ」

 チョコレートミントは目を丸くした。「オークションに参加する気なの?」

「あたりまえだろ! あいつの体を取り戻す第一歩だ」

「お金あるの?」

「現代アートだろ? 高くてもせいぜい五千ドルとか、そのくらいじゃないのか」

「どうだろう。わかんないけど」

「そのくらい安いもんだ」今まで収穫ひとつなかったのだ。それを思えば。


 Qフォンが鳴った。ハニーは画面を一瞥すると電話を切った。五秒もしないうちにまた鳴り始める。応対すると、アーモンドファッジのとぼけた声が聞こえた。「まだ怒ってんの?」

 電話を切る。また鳴った。「悪かったって、こないだの――」

 電話を切る。ファッジはしつこかった。「なあ、おまえにとっても損じゃ――」

 電話を切る。

「出なきゃいいのに」とミントがつぶやいた。

「それはおれが困る」ハニーはそっけなく言った。「あとで、たぶん」

「変なの」


 メルバ研究所は緊迫した空気だった。

 デスクで鬼のような形相のメルバがパソコンに向かい、すさまじい勢いでエアキーを叩いていた。ときどき左手がキーから離れ、空中でフリックの仕草をすると、後ろのディスプレイに映るものが切り替わった。メルバが参照している資料らしい、論文やグラフが次々と流れ去っていく。ビター発見システムは画面の右半分ほどに縮められていた。


「どうしたの?」

「黙って」刺すような声でメルバが言った。「気が散る! 歩くな」

「『歩くな』?」ミントは片眉を上げた。

 給湯室からポピーシードが飛び出してきて、機嫌を損ねたミントを絶妙な甘言で持ち上げつつメルバをフォローするようなことを言って一触即発の空気を中和した。

「なんなの?」ソファに腰を落ち着けたミントは息をひそめてたずねた。

「今月しめきりの記事の進行が軒並み遅れてて」ポピーシードはとどめとばかりに焼き菓子と冷たい紅茶のセットを繰り出した。「修羅場なの」


 メルバはなんと自活していた。サイエンス雑誌にコラムを投稿したり、新聞に短い解説記事を書いたりするのは仕事のひとつだ。ほかにも、同業者から意見を求められたり、大学で講義をしたり、論文を書き進めたり、生物学者としてのメルバはそれなりに忙しく、それなりに収入がある。

「実験に夢中になって、記事の方が進まなかったみたい」

「大丈夫なんですか?」

「しめきりには余裕で間にあうと思うけど」ポピーはさらりと言った。「ああやって自分を追い込まないと書けないようだから。今日はビターどころじゃないわね。出ないでくれるといいんだけど」

 メルバはハニーたちに今はじめて気づいたように顔を上げた。「悪いけど、ぼくはしばらく手が離せない。各自業務にはげんでくれ。以上」

「じゃあ……」チョコレートミントはフィナンシェをあるだけ口に押し込むと立ち上がった。「パトロールでもしてこようかな?」ひと言もの申そうとするハニーに目くばせをする。

 もうメルバは聞いておらず、かたわらのアイスロイヤルミルクティーをひとくち飲むと、再び原稿に没頭した。聞いていたらしかめっつらをしたに違いないが。ポピーも軽食の準備や書類整理に忙しそうだ。かたちだけでも、ふたりはメルター・シューアンドホイップをすぐ撃てる状態で装備してから出かけた。

「で」ハニーはエレベーターのボタンを押した。「どこに行くつもりなんだ? 服屋? ネイルサロン?」

 チョコレートミントはにやりとした。「今日はちょっと文化的な気分なんだよね」

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