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第9話 グランドキルージョン⑤

 お友達というのはファッジのことだった。


 はしごのついた巨大なタンクによじ登り、スコープ越しに眺めた限りでは、ファッジは生きていた。芝生の真ん中で膝をついている。ひとりだった。

 靴が屋根を踏む音がした。「やあ」

 第二生産棟の屋根の向こう端で、傘を小脇に抱えたニッキー・スペンスがたたずんでいた。はしごに足をかけたまま、ハニーは彼を見下ろした。

「芝生の広場に呼びだせば」申し訳なさそうにニッキーが言った。「きみはここでまず様子を見ようとするだろうって。骨の髄までスナイパーだから」

「アー……アーモンドファッジが?」ハニーははしごから屋根に降りた。「またあいつはおれの敵と通じてやがる」

「きみとは敵じゃないよ。仲間にならないか?」

「あ?」

「リタイア・トラックを無効化する。アーモンドファッジはきみとはぐれたあと、どうやったのか知らないけど、ナイフ使いドリアンと協力関係を結んだ。その後ぼくとも」

「それで?」

 ニッキーは自分の後ろの方を指さした。お迎えトラックが相変わらず工場内道路を周回している。

「あれの中に、おそらく運営側の人間がいる」

「へえ」

「組もう」ニッキー・スペンスは短く言った。「きみを含めて四人いる。ほかのやつにもドリアンが声をかけに行った。アナウンスが正しければ、そいつらももう安全にリタイアしたあとだ。チャンスだ」

「なんの? まさか運営に殴り込みとか言わないよな」

 ニッキーは曖昧にほほえんだ。

「あのなあ……」ハニーは頬をがりがりとかいた。「あんたアーモンドファッジにだまされてんぞ」

「悪く言えばそうだけど。目的が同じなんだ」

「いい具合に惑わされてんじゃねえよ……。そういうのお得意のパターンだからな、身代わりを立てて自分は影から見守る、朝飯前だよ、いい駒だ。あんたはちょうどよかっただけだよ」

「彼と組むのはこの場では最善策だと思うけどね」

「なぜ?」

「彼は運営側の人間だからだ」

 ハニーは目を細めた。

「殺し屋六番の死体が消えている。おそらく彼はスタントができるやつだったんだろう。ぼくが尾行しているときから軽い身のこなしだったし、そもそも妙な話だと思っていたんだ、六番の男は『金になる殺しでビッグになる』ような野心家じゃあない、その死を確認したアーモンドファッジは彼とグルだ。さらに、そのあとのセリフ、あれで参加者に催眠術を印象付けた。たぶん、運営側のスタッフで、このゲームを円滑に進めるという使命があるんだろう」


 ファッジがあやしいやつに見えるのは高校生のころからだし、死体がないのははしごの上からも確認できていたので、ハニーは黙っていた。


「そしてきみは、なぜだかそのあたりをアーモンドファッジから聞いていない、旧知の仲ではあるらしいが。おそらく軍隊で知り合った?」

「どうしてそう思う」

「きみにもアーモンドファッジにも耳の後ろに白い一センチほどの線がある、これは軍で体調管理のために導入された健康チェックデバイスを埋め込んだ痕だ。同じ時期にね。最近は手首にするようだし、少なくとも五年は前のことだろう。それにきみはわかりやすい、歩き方が軍人特有のものだ。完璧なほどに」


 そういうふうに足を動かしたほうがうまく歩けるからだ。マスタードの歩行動作が軍人を参考にしたものなのだろうとウォーターハウスに言われた。


「まあ、だから」肩をすくめた。「アーモンドファッジはきみの前では運営側ということを明かさないんじゃないかな。彼だって死にたくはないだろうし、このままこっちに着く方が得策だと思うはずだ。彼は、なんていうか、コウモリのタイプだよね」

「非道な運営をいっしょにこらしめようって? 正義感が強いんだな」

「ぼくはただ、前から殺し屋番付とやらが気に食わないだけさ」

「用が済んだらおれたちも殺すのか」

「まさか」

 風で舞い上がった砂ぼこりが屋根をなでていく。

「どっちにしても、協力はなしだ」ハニーは言った。「あいつには今むしゃくしゃしてるんだ。これっぽっちも協力したくない。この講習会を終わらせたいならおまえが降参しろ」

 ニッキーが眉根を寄せる。「きみも殺し屋番付には不服があると思っていたんだが」

「探偵さんだっけ」ライフルの銃身を手のひらに乗せると、ニッキーがぴくりと反応した。「何点か言っておくことがあるな……。まず一点目、おまえはアーモンドファッジに乗せられている。完全に。二点目、おれはさっきドリアンとほかのふたりを殺した。三点目、ジャンドゥーヤじいさんはどうしたんだ?」

 ニッキーは頭の後ろをかいた。「えーと……ほんとに?」というのは二点目の感想らしかった。

「頑固そうな人だったもんな。おまえらに付き合ってられないって言われたんじゃないか?」

「いや、彼は紳士だからそんな言い方は……。でも、まあ、うん」ニッキーは傘を持ち替えた。「同じことだな。とりあえず彼には『リタイア』してもらった」

 彼は持ち手に手をかけて、引き出した。仕込み傘だ。すらりと抜かれた刀身が、まっすぐこちらを指していた。

「命までは取らない」とニッキーは宣言した。





 子供のころ、本物の刀が見たいと父親にだだをこねたことがある。ゲームでしか見たことのない刀にあこがれ、実物を見たがる息子に父も困っただろうが、運のいいことに、当時住んでいたカリフォルニアに日本刀の展覧会がやってきた。喜び浮かれて出かけたハニーは、帰り道ではひと言も発しなかった。正直な話、怖くなったのだ。あれはとても遊びで持つものじゃない。厳かで、澄んだ空気をまとい、淡く光を帯びてさえ見えるその武器は、何百年も前のものとはとうてい思えなかった。ガラスケースから出してすぐ人を真っ二つにできそうだった。あれは純粋に人を殺めるためだけに研ぎ澄まされたものだ。


 その妖しくも蠱惑的な武器が今、目の前で抜かれたのだった。

 ハニーはライフルを構えた。「降参しろ!」

 ニッキーは険しく顔をゆがめ、それからにっと笑った。「いやだね」

「勝てないぞ。撃たれて、おしまいだ。なにもできない」

「そうでもないさ。それに」刀を構えた相手がぐっと腰を落とす。「ドリアンくんの仇くらいはとってやらなきゃな」

 思わず舌打ちして、ハニーは引き金を引いた。

 ニッキーは、一発目は弾いた。二発目も刀身ではね返した。三発目はようやく当たった。なおもふみこむ相手に四発目を撃ち込んだ。倒れるニッキーを避けられず、まともに受け止めて、屋根を転がり落ちる。やみくもに伸ばした手を、だれかがつかんだ。

「よう」アーモンドファッジが息を弾ませ、体を乗り出していた。「おつかれ」


 ニッキー・スペンスの体を屋根の上へ引っ張り上げるハニーを、アーモンドファッジは不思議そうに眺めたが、なにも言わなかった。洗濯物のようにてっぺんに引っ掛け、下に落ちる心配がなくなったところで、ハニーは腰を伸ばし工場一帯を見渡した。

 アナウンスが響き渡った。シンプルな終了の合図だった。

「ただいまをもって、ディスカッションを終了いたします。ハニーマスタード、おつかれさまでした。優勝賞金はのちほど口座に振り込まれます」


 風が吹いていた。外階段がなくハニーがさきほど登るのを断念した高い建物があり、そのてっぺんに社旗がはためいているのが見えた。強い風でばらばらになってしまいそうだ。

「おめでとう」となりにファッジが来ていた。「絶対勝ち残ると思ってたよ」

 ハニーは無言だった。銃をしまいながら、なにやら喜んでいるアーモンドファッジの言う事を聞き流したが、「ハイランカーも夢じゃない」という言葉には「それはどうかな」と返した。

「え?」

「いや。もう帰っていいだろ」

「ああ」ファッジは仰々しく一礼した。「お帰りはこちらだ、ハニーマスタード殿」





 殺し屋ソルトは目を開けていた。ほこりっぽさにせきをする。足からずきずきと痛みが訴えかけてきていた。腕を立てて体を起こすと、少し離れたところで、ドリアンがうめきながらごろりと寝返りを打つのが見えた。そろそろ覚醒しそうだ。

 ヴィネガーがとなりにいた。「起きたか、相棒」

「よう」目をしばたいた。「おれたち、天国に来ちまったのか?」

「いや、違う」ヴィネガーはこめかみをもんでいる。「ああ、立つなよ。手当できるものを見つけてきてやる」

 足からの血は止まりつつあった。太い血管が傷つかずに済んだらしい。後頭部もおそるおそる探ってみたが、こぶになっているだけでたいした傷はない。「撃たれたよな、おれたち」

「ああ」ヴィネガーは帽子を頭に乗せた。「野郎、非殺傷弾を使ったんだ」





 殺し屋プラムははっと目を覚ました。寒さに身をふるわせる。尻とももがぬれて、冷え切っている。泥の中に座り込んでいた。動こうとして、引き戻される。消火栓に身体がロープで縛りつけられていた。屈辱。プラムはずきずき痛む頭に歯噛みした。意識ははっきりしているし、五感に異常はない。

 情けをかけられた。

 くやしい、と足をばたばたさせた。





 ニッキー・スペンスは雲が重く垂れこめる空を見上げていた。胸は鼓動し、肺は呼吸し、頭は思考している――死んでいない。生き残ったのか? かたわらに愛用の傘もある。

 額をさすった。撃たれたのは気のせいじゃない。なぜ殺されなかったのか。目の前にぱっと白い粉が散ったような気がする。いったいなんの弾丸だったのだろう。





 風が吹いている。

「もう帰っていいんだろ」

「ああ。お帰りはこちらだ、ハニーマスタード殿」


 第二生産棟の壁面から降り、歩き出したタイミングで、ハニーは口を開いた。

「で、どこまでがあんたの思い通りなんだ?」

「いやいや」とファッジ。「マサムネは勝てると思ってたよ?」

「そうじゃねえよ」

「だからあ、なんでおれも参加者になっちゃったのかわかんねえんだって」

「じゃあそれ以外か」ざ、ざ、とアスファルトの表面の砂を蹴る足音が続いていく。「アーニー、おまえは運営側のスタッフだったんだろ」

「へえ、なんでそう思う?」

「探偵さんにはバレてたぞ。本当に殺し屋六番はスタントマンなのか?」

「あのな、どうしておれが運営を助けるようなことをするんだよ。おれは参加者として野蛮な戦場に放り込まれたんだぞ」

「そこは想像でしかないけど」

「どうぞ」

「おまえは別のゲームをしていたんじゃないか? 殺し屋一年目は死のワークショップで殺し合う、殺し屋斡旋業一年目はワークショップ運営を成功させる、とか……。でも、自分がどこの係になるのかは事前に知らされないんだ。おまえはまさか参加者側にいるとは思わないから、目覚めたときびっくり仰天、そのあとうすうす状況を把握、暗躍開始、というわけだ」

「………」

「殺し屋ドリアンから逃げ延びて、そいつを仲間にまでしたのも、そういう裏事情を話したからじゃないのか? ドリアンは広告費が目当てだった。殺し屋を使う側に媚びを売ろうとしてもおかしくない」

「なるほど。一応すじは通るかもね」

「殺し屋どもをおちょくる能力でも競ってんのか? あるいは『できるだけ盛り上げろ』とか? それか、運営側を探る探偵が邪魔だからどさくさにまぎれて消せ、とか」

「おれに訊くなって」

「それとも、自分の使う殺し屋を一番にするっていう勝負か」

「いや、まあ、ソルトヴィネガーコンビにドリアンを殺させて、ニッキーにジャンドゥーヤをやらせて、ニッキーとマサムネでソルトヴィネガーをやって、最後ニッキーを一対一でおまえが殺す、っていう段取りだったんだけど」

「じゃあだいたいおまえの作戦通りだな。おめでとう。そもそもおれの武器を準備したのはおまえだろ」

「え? なんでさ」

「アーニー」かばんをゆする。「なんでこれに、狙撃銃が入ってると思ったんだ?」

「うん?」

「昨日、スナイパーライフルは出したんだよ。別の銃を入れるために」

「え?」

「このかばんは、ワークショップをやったビルのコインロッカーに預けた。おまえの前でな。おまえがかさばる荷物は置いてけって言うから! おれは狙撃銃じゃなくて、()()()()使()()()()()()を入れてた。汚れが目立ってきたから、うちで手入れして、今日このあと研究所に持っていく予定だったんだ。運営のだれかさんは、中身も確かめずに『武器のかばん』とわかってて持ち出した。そんなやつはおまえしかいないんだよ」


 ファッジはそのままくもり空を眺めていたが、「え、じゃあさっき撃ってたのは」と振り返ってきた。

 振り向いたところを殴った。

 うずくまるファッジを置き去りにして、工場を徒歩で出た。だれも止めなかった。しばらく歩き、大きな道に出たあたりで通信が回復したので、IQに配車を頼んだ。車が来るのに二十分かかった。自動運転にして、なにも考えずにヘルズキッチンの部屋まで帰りつき、義足を外してやっと手入れだけは済ませてから、ベッドに倒れ込んで泥のように眠った。



(第9話 おわり)

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