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第8話 NYCCAI紀行②

 止めたタクシーは自動運転のものだった。ドアを閉め番地を告げると動き出す。実を言うと、ハニーは未だに無人走行車というものに慣れない。NYCCのタクシーは今や半分が無人車だった。残りの半分は運転手が観光ガイドも兼ねているか、観光目的も兼ねているかだ。イエローキャブに街を知り尽くした運転手の組み合わせは絶滅寸前の観光資源でもある。車とドライバーと一緒に写真を撮っている観光客をよく見る。チョコレートミントくらいの歳ならあたりまえの光景だろうが、ハニーの年代では運転席に人は必ずいるものだ。趣味ではない運転が普通である最後の世代だと言われている。


 空っぽの運転席の後ろで、チョコレートミントはさっそく端末と話していた。ユーザー登録はすんでいるようだ。IQ/hのhはラテン語読みでハーと発音する。キューカンバー社が作りあげた八番目のAIという意味だ。

「なんとお呼びすればよろしいでしょうか」

「ミントでいいよ」

「ではミント様とお呼びします」

「よろしくね。あなたはなにができるの?」

「ビター発見システムを運用して、あなたがたにビターの位置を教えることができます。また捕獲したビターのデータ管理もまかされています」

「なるほどー!」


 ハニーも端末をさわってみる。「IQ?」

 画面がついた。「こんにちは。羽生マサムネ様」

 完璧なアクセント。

「わたしはQグラスからの距離の測定、弾着の確認など、その他さまざまなお手伝いができますので、必要なときはご用命ください」

 ハニーは耳に着けた小さな機械に手で触れた。ピアスと変わらない大きさだが、それがQグラスだ。マイク、カメラ、イヤホン、その他各種センサーの機能を合わせ持ち、得た情報は常にQフォンと同期する。目の前に空中投映して情報を見ることもできるが、めがねをかけていれば、その内側に投映してくれる。

「羽生様。なにかお聞きになりたいことはありますか?」

「いや」ハニーは窓の外に目をやった。「器用だな」

 恐れ入ります、とIQはコメントした。





 グラマシーにはすでに人だかりができている一角があり、ハニーとチョコレートミントは驚いた。警察と消防も来ている。それなのに、なぜこれだけの人数が逃げずにとどまっているのだろう。彼らは一様にあるマンションを見上げていた。その視線の先をたどる。外壁の七階あたりに、ビターが張りついている。ゆがんだ五角形に見えないこともない。「ヒトデ」とチョコレートミントがつぶやく。

 動かない群衆の理由は、建物の屋上にあった。


 フェンスの外に細い足で立っている女性がいる。後ろ手に柵をつかんでいるが、風にゆれるようにふらふらしており、いつ落ちてもおかしくない。ビターがずり、と屋上に近づくと、観衆から「ああ!」と口々に小さく叫ぶ声があがった。

「どうしたんだろう、あの人」とミント。

 IQが答えた。「まだテレビのニュースにはなっていませんが、この周辺から投稿された各種SNSのポストによれば、約二十八分前にあの女性がフェンスを乗り越えています。NYCC警察と消防隊の到着は二十三分前、ビターの出現は十五分前です」


 Qグラスを起動すると、左目の方に動画が映し出された。観衆のひとりが撮ってネットに上げていたらしい。マンションの入り口あたりでひとり飲んだビターは、歩道を叩き壊したあと、壁に張りついて建物を登り始めた。垂直の動きに慣れないのか足並みはゆっくりだ。早送りの映像の中で、自殺未遂女性と、女性の行く末が気になる悪趣味な人々と、警察官が人ごみを作っていく。ビターに襲われるか、落ちて死ぬか、彼女を待ち受ける運命はその二択だ。


「近づけないね」とチョコレートミント。

「近づけたとしても、すごく目立つな」とハニー。

「近づかないように倒すしかない」

「で、目立たないように回収するしかない」

 チョコレートミントはハニーを見上げて小首をかしげた。「できる?」

 メルター・ドラジェノフの入ったバッグを軽くゆする。「そっちは?」

「やれる。と思う」

 緊張の面持ちで、ミントは研究所との通信をオンにした。

「ボス。現場に着いたよ。採集始める。IQ、記録開始」

 Qグラスのカメラがオンになった。

「よし。気をつけて」とメルバの声が返ってきた。





 作戦としてはこうだ。ハニーが遠くからビターを撃ち抜く。それをミントが回収する。ハニーは現場を離れて狙撃ポイントを探し、ミントは群衆に紛れてビターに近寄ることになる。

 ふさわしい場所を探して、ハニーはあたりを見回した。屋上や非常階段のある、セキュリティの弱い、七階以上の建物……。標的がしっかりとらえられる位置で、離れすぎず、障害物のないところ……。時間も下調べも足りない。あまりいい条件の狙撃ではないが、ビター退治は毎回そうかもしれない。怪物はまだ同じところにへばりついているが、時間の問題だ。あの女がいつまでもつか。人を飲み込むたびに、ビターは大きく、凶暴になる。できればその前に仕留めたい。


「羽生!」メルバが指示を飛ばしてくる。「IQを使えよ」

 ハニーは困惑した。「どうやって?」

「IQはNYCC中の不動産のデータを持ってる」メルバはそれだけ言った。

 半信半疑で訊いてみる。「あー、IQ? ビターの狙撃場所を検索してくれ」

 IQはすぐ反応した。「三件の候補があります」

 視界で、三軒のビルが光る線でふちどりされる。

「一番近いのは、グラッセ証券ビル十二階。認証なしでエレベーターが使えます。そこの屋上から射線が通ります」

「わかった。向かう」

「徒歩二分ほどで到着します」


 速足で移動を始める。悪くないアシスタントだと思う。レスポンスが速く、視覚情報と音声案内のバランスがいい。目立った弱点はない。だが、どうしても、かつての相棒とくらべてしまう。





 チョコレートミントは人混みを抜けて、ビルの裏手に回った。野次馬もいない。ここからは飛び降りそうな女性が見えないからだろう。ビルの下の細い路地に入り、ゴミ箱のかげに身をひそめる。においはひどいが、ここからさっと手を伸ばせば、表の連中に見られず液体と化して落ちてきたビターを回収できるはずだとチョコレートミントは考えた。ふうっと息を吐いて、かばんから回収容器を出す。配置についたよ、と小声で報告する。ハニーはまだ移動中らしい。真上を見上げる。じわじわとずり上がるビターは、チョコレートミントには気づいていないようだ。ミントはサングラスをかけてから、Qグラスを使ってみた。視線で操作ができる。フィルターをかけて一部を凝視でズームになるのか。ビターを拡大して見てみると、中にいるのが男性だということもわかった。それどころか、画面の端で体温や脈拍が測定され、それに伴う推定年齢などのデータも出てくる。すっごいな、とミントは感嘆した。ああ、こっちのフィルターはサーモグラフィーだ。スパイ道具みたい!

 右上の方にもぼやけたかたまりがあるのはなんだろう。動いた。屋上の縁に、手がかかっている。画面を戻して、ズームする。ワイシャツの袖だ。落ちそうだった女の人はスーツじゃなかったはず。


「だれかいる」ミントがつぶやいたその声は、しっかり通信に乗って、ほかのふたりに届いた。

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