第7話 イン・ヒズ・シューズ③
――ハニーは純正主義者ですか?
そう訊かれたことがある。いつだったか、そう、あれは、あの大けがをする何日か前だった。言葉の意味がよくわからなくて聞き返した。
「純正主義?」
「そういう人間がいると聞きました。純正品であることにこだわりのあることだそうです。車や家電製品など、すみずみまでメーカー製品であることに価値があると考えているようです」そこでマスタードは肩をすくめるような仕草をした。会った時には覚えていなかった、火星で習得した仕草だった。「……人間とは限りませんが」
「機械もってことか?」
「ええ、たとえばルリジューズ社のロボットはそういう考えの傾向にあるようです」
「ああ、どうりで、あいつらなんだかえらそうだよな」
「あそこはすべての部品を自社工場でまかなっていますしね。それで、ハニーはどう思いますか?」
ハニーは真剣に考えてみようとしたが、なにが問題点なのかつかみきれずにいた。「あんまり気にならないな……」とうとうハニーは答えた。「代替品でもちゃんと働くなら、特に言うことはないだろ? いや、別の社のパーツを使ったら壊れるとか、権利を侵害してるとかなら問題だけど、そういう話じゃないんだろ?」
「ええ」
「なら、別に」
「そうですか」
ハニーは続きを待ったが、マスタードはそれきり黙り込んだ。消化不良感と、もう少しなにか言うべきだという直感からハニーは口を開いた。
「マスタード、『ヒュー』ってわかるか?」
「色相という意味ですね」
「そう。ヒューは絵の具の名前につくことがある。コバルトブルー・ヒューとか、バーミリオン・ヒューとかな。これは、似せて作った色って意味だ。つまり、コバルトブルー・ヒューは、コバルトブルーに似た色であってコバルトブルーじゃない」
「なんのためにあるんです?」
「本物が、すごく高価だったり、毒性のある材料が使われていたりするからだ。コバルトブルーにはコバルトが入ってる……。だから、安価で安全なヒューがあると助かる人はいっぱいいる」
「ヒューは便利な代替品ということですね」
「でも、ヒューが二流の画材ということじゃない。本物に劣っているかというとそうでもない。改良を重ねて絵の具の性能も向上してるから、本物より高品質と言えるものもある」
ハニーは友人の反応をうかがいつつ、話をきちんとまとめようとしたがうまくいかなかった。「まあ……そういうのもあるんだ」
「興味深いです。どこでそういう知識を得たのですか?」
「なんだったかな。たぶん美術の授業だろうな」とうとうハニーはたずねた。「どうしてそんなことを気にしてるんだ?」
「別に、気にしてはいません」マスタードは淡々と言った。「わたしには、あまり関係のない話ですしね」
そんな会話を交わしたことをうとうとと思い出していると、開いたドアからメルバとチョコレートミントの声が聞こえてきた。キッチンからリビングに出てきたようだ。
「モンゴル民話にそんな話があったな」
「どういうやつ?」とチョコレートミント。
リコとマシューの気配がない。昼食の準備にかかったのかもしれない。
「馬が自分の死後、嘆き悲しむ主人の夢に出て、自分の骨やたてがみを使って楽器を作ってくれって主人に言う。主人はそのとおりにしてその楽器の音でみんなを楽しませる」
「へえー……。あたしはあっちを思い出したな、なんだっけ、『髪飾りと金鎖』?」
メルバの返答には間があった。「ああ、あれか……。あれは人間どうしの話だろ。だいたい、どういうことなんだよ、機械が友人って」
「それは別にいいでしょ。ボスなんか友達いないじゃん」
「いるよ! いないってことはないよ、失礼な」
「ほんとに? じゃあ今度紹介してよ」
そのとき、サンドラの声がふたりを呼び、彼らは庭へと出て行った。3Dプリンターが動く低い音だけが部屋を満たした。ハニーは手を伸ばして左ひざに触れ、次いでロケットの鎖に触れると、また目を閉じた。
昼食ができたとチョコレートミントが呼びに来るまでそのまま静かにしていた。
外に出てみると、大きなテーブルにサンドラが食器を並べていた。庭の端には去年の夏にはなかったピザ窯が鎮座しており、その前でリコがピザピールを振り回している。最近ウォーターハウス家は石窯ピザに夢中なのだそうだ。驚いたのは、メルバのボディガードふたりが場に溶けこんでいることだった。ひとりはでかい背を丸めてグラスに水を注いでおり、もうひとりは赤ん坊をあやしていた。
マシューがぐつぐつとチーズの沸き立つマルゲリータを次々と置いていく。ピザは絶品だった。ビールを開けようとするリコをサンドラが叱りつけ、それを見てメルバが苦笑している。ボディガードはピザ釜の造りに興味があるらしく、マシューと話し込んでいる。マシューの片手はゆりかごの中で赤ん坊の遊び道具になっていて、そのそばでもうひとりのボディガードがとろけるような表情をしている。
チョコレートミントはピザ生地に具を乗せるサンドラを手伝っていたが、黒コショウのミルを置くとおもむろにハニーのほうにやってきた。
「いい人たちだね」
「ああ」
「あのね」胸の前で指をひねり回しながらチョコレートミントが切り出した。
「いいんだ」ハニーはさえぎった。「聞いてた」
「あ……そう」ミントの眉尻が下がる。「今、ボスに全部話す?」
ハニーは首を横に振った。メルバがウォーターハウス一家と打ち解けてくれたのはうれしい。今はそれだけでいい。
「そっか。ねえハニー、ひとつお願いがあるんだけど」
「なんだ」
「えっと、NYCCに帰ったら話すね」
修理が完了した右足を目の前にすると、ハニーは安堵の声が抑えられなかった。「ああ、よかった……」
「どうかな?」
ソケットに足の断面を差し入れる。人工皮膚が吸いつき、空気圧を調整して隙間をなくす。センサーが瞬き、感覚がつながる。生き返ったような心地。立ってみる。つま先で床を叩く。屈伸してみる。部屋を歩き回り、ドアを開けて外に行き家のまわりを駆け足で一周して、戻ってきた。
「ありがとう」ハニーは言った。「最高だ」
手配した車が来たとボディガードが呼びに来るまで、ハニーはウォーターハウス家の人々と存分に旧交を温めた。最近の義肢製作の仕事、生まれた赤ん坊のこと、ピザ釜作りの過程……NYCCでの生活のことを少し。
「じゃあな、グレイス」ハニーはベビーベッドをのぞきこんだ。赤ん坊は起きていて、宇宙みたいな大きな目でじっと見つめ返してきた。
マシューとサンドラに順にハグする。
「NYCCに来ることがあったら連絡をくれ」
「もちろん。前に行ったときはまともな食事にありつけなかったんだ」
「いい店を調べておくよ」
「あまり無茶しないでね」
リコとは前回と同じように握手で別れた。「ひざにミサイルをつけたくなったら言ってくれ」
「発想がボスと同じだ」
「あの坊やは話せるな。羽生、もっとまめに来てもいいんだぞ」老人のたくましい腕がハニーの手を強く引き、周りには聞こえないほど落とした声が続いた。「だいぶ過激にやってるようだしな。ん? 足見りゃわかるぞ」
ハニーの肩を叩いて、リコがにやりとする。
「その調子でガンガン使え。だが、あんまり披露しすぎるなよ。保険調査員の前では特にな。過拡張義体ってのに認定されちまうと保険が下りない。ただでさえうち製なのに」
「ウォーターハウス製の義体は保険下りないのかよ」
「一部だ、一部! あと、左足に短針銃が入ってるからな」
「え?」
「一応使えるようにしておいたぞ。前の持ち主はほぼ使ってなかったみたいだ。すねの外側に……そう、そのへんだ、収納してある。指を引っかけて……」
ミントが呼んでいる。「もう行かないと、電車に間に合わなくなるよ」
「ピザ釜より先に話すことがあっただろうが」
「うっかりしてた。説明書を作って送る」
一家の見送りを受けて、ハニーは二本の足でウォーターハウス家の玄関を出た。
門のところではメルバが、ハニーが追いついて来るのを待っていた。
「ボス」
「なかなかおもしろかったよ」歩き出しながらメルバが言った。「研究者たるもの、たまに別の分野に触れないとな」
「『髪飾りと金鎖』って?」
「聞いていたのか」メルバはばつの悪そうな顔をしたが、教えてくれた。「O.ヘンリーの短編で、本当のタイトルは『賢者の贈り物』という。ミントはタイトルを間違えて覚えてるんだ」
「どんな話なんですか」
「ある夫婦の話だ。クリスマスに、お金がないながらも夫婦はお互いにプレゼントをしようと考える。夫は、妻の美しい髪に似合うくしを、妻は、夫が大事にしている懐中時計の鎖を買って帰るんだ。でも、プレゼントを買うために夫は時計を、妻は髪を切って売ってしまっていた、という話」
「……おれたちがその話みたいだって?」
「ミントが言うには、だよ」メルバは肩をすくめ、先に車まで歩いて行った。
メルバと同じように、ハニーにもよくわからなかった。賢者の贈り物か……。ふたりが得たものと失ったもの。
――あいつは体を失い、おれは足を失った。自分はすでにもらっている。
ハニーは車に乗り込んだ。そして、自分はマスタードになにをあげられたのかを考えた。
(第7話 おわり)