第5話 ガール・イン・ブラック③
会場の家は、目に入った瞬間口をついて「ギャツビー邸かよ」という感想が出てくるほどには豪邸だった。
「まさしくそんな感じね」
チョコレートミントは髪に軽くふれてまとめた髪がほつれたりしていないのをたしかめ、ネイルと足元をもう一度見て満足し、その場でくるりと回ってミントグリーンのワンピースのすそをなびかせて、ハニーに意見を求めた。「どう?」
「いいんじゃないか」
「もっと心を込めて」
「緑色が似合ってる」
「もうちょい上げて」
「全米で一番の美女」
「あたりまえでしょ」
次の麗句に頭を悩ませていると、道の少し先からグレイが手を振って向かってくるのが見えた。グレイがミントの恰好をかわいいと言ってほめたので、ハニーはその瞬間お役御免になった。
「本当にボディガードなんだね」グレイはハニーをしげしげと見上げた。「休みの日もいっしょなの?」
「まさか」ふたりは口をそろえた。「今日は特別」
グレイが受付をすませているあいだに、ハニーはミントに耳打ちした。
「ふたりの邪魔はしない」
「それはお心づかいどうも」
「でも、あまり見通しの悪いところに行かないでくれ」
「それって矛盾してない? 今日は勝負なんだけどな。まあいっか、わかった」チョコレートミントは手をひらひらさせた。「ハニーも適当に楽しんでね」
適当に楽しむ? ハニーはさすがに無言を返した。淑女の後ろに付き従う黒服、高級車がとまり、また発進する音、ダイヤやエメラルドのカフスボタンのきらめき――そういうものが周囲にあふれていた。会場に入る前から自分がすでに浮いているのを感じ取っていた。
当然、入るとその感覚は強くなる一方だった。
パーティーが始まった。若葉が萌える庭の木々の下に、テーブルがいくつも出してあって、客を喜ばせるものをたくさん乗せていた。彩りあざやかな料理、冷たくみずみずしい果物、香りと美を供する春の花々。使用人たちが細い足のグラスにきらめく液体をそそいで回る。チーズやカナッペの乗った皿が人々のあいだを縫う。音楽、笑い声、革靴が芝生を踏んで忙しく動く音、布地やアクセサリーのこすれる音が、会話の裏地の役目を果たしている。
警護対象がいるほうへ、ハニーは耳をすませた。パーティーの主役のカップルに、グレイがチョコレートミントを紹介している。
「紹介するよ、エヴァンとケイティ」
「婚約おめでとう」
「会えてうれしいわ、ミーナ」
「レイ、どこでこんなかわいい子と知り合ったんだ?」
「写真を撮りましょうよ」
「BBやってる? 友達申請送ってよ」
「ふたりはどうやって知り合ったの?」
「ロングアイランドのワイン即売会にケイティが来てたんだ」
「そのときフードコーディネーターをしてたのよね」
「へえ! もしかしてお店をやってる?」
「うん、トライベッカで小さなレストランを」
「レイは常連客でね」
初対面の人々に溶け込み、なんなくなじんでいくチョコレートミントは楽しそうだった。生き生きとしていた。こういうところが、彼女の本来の居場所なのかもしれない。エイリアンを追ったり殺し屋に追われたりしない人生が、彼女にもあったはずだ。ちょっと名のあるパーティーガール、もしかしたらソーシャライト、あるいは単にだれかのガールフレンド。反対に、刺客におびえて部屋にこもりきりになったりする可能性だってあったのに。チョコレートミントはよくやっているのかもしれない。ふたつの世界のあいだを取って、自由と危険の天秤と日々にらめっこして、現実とうまく折り合いをつけている。
天秤のかたむくほうへ、かたむくほうへと生きてきた自分とは違う。
ハニーのほうも期せずして、“火星前”の生活の一端にふれていた。もちろんこんなにハイソではなかったが、世間話、他人との食事、休日のパーティー、そういう空気に共通することは同じだ。親しげな腕の動作、あたりさわりのない言葉、表面上の共感。
参加者じゃなくて本当によかったとハニーは思った。そういう最低限のマナーでさえも――楽しいとふるまうことさえも、もはやできる自信がなかった。どこに行ってもひとりになりそうだし、どうしようもなく孤独だった。
ミントなりに気を使ったのか、しばらくすると彼女は一度会話の席から離れ、壁際のハニーの方に寄ってきた。
「つまんないでしょ」かかっている音楽を指すようにミントは手を振った。会場ではダンスが始まっていた。「一曲ぐらい踊ろっか!」
「踊れないんだ」ハニーはうそをついた。
「大丈夫だよ、行こうよ」
「いいから」ハニーは目でグレイを指した。「王子様と踊って来いよ」
「わかった」すなおにミントは引き下がった。「また今度ね」
曲が変わった。
古い映画の曲だ。聞き覚えのある旋律に、胸がぎゅっと締めつけられた。第七基地で観た映画――。ハニーはここから離れたいという衝動的な思いに耐えなければならなかった。音が聞こえないところへ行きたいと思った。
仕事だぞしっかりしろと自分に言い聞かせているときだった。ハニーはその人物に気がついた。客のあいだをすばやく抜けていく人がいる。チョコレートミントの方を見据えている。
すぐとなりにだれか来たと思ったら、その人が泣いているので、チョコレートミントはただびっくりした。なんとも悲しそうな泣き方をする女の子だなあ。まねかれざる客だというのはすぐわかった。彼女がエヴァンの名前を口にしたので、空気が危うい方向へさっと変わった。
「カレン、何度も言ったけど、きみとそういう気持ちで会ったことは一度もない」
エヴァンがきっぱりと言う。固い表情のケイティが彼に寄りそうと、泣き声が大きくなった。
「うそ、結婚するって言ってくれたじゃない……」
「そんなことは言ってない。何度も伝えてるよな。ぼくらは二度と会わないと約束したはずだ。どうやって入ってきたんだ」
女がしゃくりあげた。「エヴァン、ひどいよ……」
「約束を破ったのはそっちのほうだ。すぐに出て行ってくれ」
エヴァンたちはそれきり彼女に背を向け、これ以上応対しないという意思を示した。カレンに対する招待客たちのすわ修羅場かという注目は徐々に薄れ、おかしなやつが入ってきたというひんしゅくの目線に変わりつつあった。当の本人はと言えば、いつまでも棒立ちでしくしく泣いている。ミントはさっとあたりを見回し、近くに女の使用人がいないことを見て取った。エヴァンとケイティもあまり騒ぎにはしたくないようだし、とミントは考えた。この場で一番スマートにできるのはあたしかな?
「ねえ、ここにいるとあなたもつらいんじゃない? 外に行きましょ」
チョコレートミントはカレンの丸まった背中に手を添えた。とたんに、電気にふれたように手をはねさせる。
白いワンピースの背中が、薄墨色にじわじわと変わっていくところだった。