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第19話 ショートケーキ・サーキット⑤

 ヘリコプターは再び上昇して見えなくなった。


 再開した銃撃で、車が徐々に減速し、後方の車からクラクションが上がる。

「姉ちゃん、これ以上は無理だよ」

「なんでよ! もっと走って!」


 フレジエの指示にも関わらず、車はまたいっそうスピードを落とした。タイヤが撃たれたらしい。明らかに振動が伝わって来るようになった。


 追い打ちとばかりにもう一本タイヤがやられ、大きな揺れでミントもフレジエも宙に浮いた。壁に立てかけたギターが倒れ、フレジエが悲鳴を上げる。


 ブルックリンブリッジを渡り終えるころには、車は停止寸前までのろくなっていた。

「バカ弟!」となじると、フレジエはミントの手を引いて外へ飛び出した。


 ひと気のない夕暮れの倉庫群を駆ける。ミントはちらりと後ろを振り返った。だれも見えなかったが、近くで地面がビシリと鳴った。「狙撃」と叫ぶと、フレジエは倉庫の間の通路にミントを引っ張り込んだ。

「あたしは撃たれないんだけど……」


 フレジエは答えなかった。呼吸を整えながら、フレジエは腕のカバーをむしり取った。黒鉄の右腕が現れる。肘のあたりから開けて中の弾数をチェックし、叩いて戻す。


 コンテナに弾が当たった。フレジエは舌打ちして再び走り出した。ミントは引っ張られてついていく形になる。倉庫街をきょろきょろしたが、ヘリコプターはもう見えず、ハニーの影も形も見えない。でも、そんなに遠くないところにいるはずだ。





 ハニーからミントとフレジエの姿は丸見えだった。ミントの位置情報を捕捉しているからだ。コンテナの上を移動しながら、ハニーは考えを巡らせた。フレジエはなぜミントを離さない? 人質のつもりか? フレジエはミントを狙う殺し屋のひとりだ。これまでの時間でいつでも始末できたのに、それもしていない。どういうつもりだ? やむを得ず威嚇で撃つ。位置が悪い――まずは、射線が通るところへあぶりだす。





 銃弾が、フレジエの鼻先のコンクリートをえぐった。進路を変える羽目になったフレジエが毒づく。走り続けて息が上がっていた。

 随行するミントはやがて気づいた。フレジエは確実にへばっている。この子、スタミナが全然ないんだ。


 フレジエはコンテナ群を遮蔽にし、弾の飛んできた方向からハニーの位置を割り出そうとしていたが、うまくいかないようだ。それどころか、思わぬ角度から狙撃されて驚いている。当たってはいないけれど、とミントは考えて、前にもこんなのを見たことあるような、と首を傾げた。だんだんと倉庫群の端に追いやられてるところも既視感がある。


 ふたりはコンテナの切れ目に来てしまった。フレジエは道の反対側に目を付けた。意を決して広い空間を渡り始める。狙われやすいところだが、こちらからも相手を見つけやすい。諸刃の策だ。


 ミントは一計を案じ、タイミングを見てわざと転んだ。手が離れた。あっと叫んで振り返ったフレジエの頬を弾がかすめる。立往生したフレジエは恨めし気な顔でミントを見た。「ひどい、お姉さま」

「あたしだって騙されたもん」地べたからミントは言い返した。「これであいこ!」


 ミントの背後からライフルの銃口が現れる。


 殺し屋フレジエは相手をにらみつけた。





「回りくどい」

「ごめんって」

「全人類がおまえのSNSを見てると思うな」

「そうかも」


 あまり離れるな、とハニーは言った。視線は切らないままだ。ミントの足音がすぐ後ろで聞こえ、安堵する。


「で、どうしたの?」銃口の先で、フレジエが挑発的に笑う。「ノコノコ出てきて。またすっ転がされたい?」


 指に力を込める。「できるもんならな」

 引き金を絞る。

 発射された銃弾を避けて、フレジエが急接近する。

 彼女の手がライフルの銃身をかち上げる。

 繰り出された右の拳を手のひらで受け流す。

 散弾が撃ち出される音を耳元で聞く。

 その腕を取って引き倒す。フレジエが目を丸くする。

使()()ようになったじゃない!」

「いいジム見つけたからな」


 ビーチの一戦――あのときはできなかったが、こうやって、冷静に相手の動きを見れば、かわせる。義体のパワーにまかせた大振り。防御に自信がある故の隙。そういうものも、当時は見えていなかった。反省のしきりだ。

 フレジエの姿を捉えた映像を見る限り、彼女はどの仕事も短期決戦で片付けている。短時間での制圧力に長けている――いや、短時間しか活動できないのではないか。

 その読みは当たっていた。倉庫群を逃げ回った後のフレジエの動きには、明らかにあの時のキレがなかった。


 ハニーを振り払い、フレジエは後方へ飛んだ。着地の瞬間、よろめく。

 見逃さなかった。ライフルをすばやく構えなおし、撃った。

 右の腿に着弾する。パッと飛び散ったのは血液ではなく、なにやら白っぽい泥のようなものだった。





 フレジエの義体には、痛覚や、その代替となるものはないらしい。片膝を付いて、信じられないというような顔でハニーを凝視していた。


「おまえの強みは、皮膚」


 彼女の指の隙間から、ぼたぼたと液状のものが地面に流れ落ちていく。


「防御が強いから前に出られる……それ、〈ダイラスキン〉だな。常に皮膚の下を流動する細かい粒子が、衝撃を受け止める。サイボーグ兵士の腹肉に使おうって話を聞いたことがあるが、実物は初めて見た」


 弱点はほかの防弾衣と同じだ。性能を超える攻撃は防ぎきれない。拳銃の弾は止められても、ライフルの弾はどうか? それは、小銃の攻撃を回避しようとする彼女の動画で確認済みだった。加えて今日は、殺傷力の高い弾丸を持ってきている。ダイラスキン――耐衝撃素材の人工皮膚は、流れる粒子のバランスが崩れた場合、本来の力を発揮できないはずだ。


 フレジエのすさまじい目つきが、ハニーの推測の真偽を物語っていた。

「よくもやってくれたわね!」フレジエが絶叫した。「お姉さまの前で! このわたしに傷を! 許さない! あんたのことズタズタにしてパーツごとにイースト川にばらまいてやるわ!」

「そうか」頭に狙いを付けた。「もういいか?」


 そのときチョコレートミントが、ハニーの後ろからおそるおそる発言した。「あの……ハニー? 今日はこのあたりでどうかなぁ? 今日は双方オフだし……」

 ハニーは眉根を寄せた。「双方?」

 フレジエも異を唱えた。「お姉さま! わたし、まだ負けてない!」

「でもこれが仕事だったら、“防衛成功”だよね。今の状態から、このあと逆転できそう? それ、だいぶヤバそうだけど……」

 足を指さされて、フレジエは押し黙った。


「こいつは殺しておいたほうがいい。今なら殺せる」

「でも今日フレジエちゃんは、あたしを殺そうとはしなかったし。敵意が……一応……ないのもわかったし」

「おまえは誘拐されて、連れまわされた。危害を受けただろう」

「受けてない」ミントは小さい声で言った。「それに、もとはと言えばあたしの単独行動が原因だから」


 ハニーは当惑した。「……なんでこいつの肩を持つ?」

「ごめん。でもね、とにかく今日はちょっと無理」服の裾がつままれた感覚があった。「あたし、今日、彼女といっしょにケーキを食べたし、買い物もしたし、美術館にも行った。家に招かれてお茶も飲んだ。家族の話も聞いちゃった。だから……少なくとも、今日は……やめてほしいの」


 あきれて声を上げかけるが、それにブレーキをかけたのは、「そりゃそうだろ」と俯瞰して理解を示す自分だった。顔見知りが死ぬのを見たくない。いたって普通の感覚だ。まさかそこまで計算しているのでは、とフレジエの表情を見たが、彼女もぽかんとしていた。自分と同じで、チョコレートミントの平和ボケした感性に戸惑っている。

 少し、頭が冷える。

 かつて義足を壊されたことで、自分も過度に私情を入れてはしないだろうか。雇い主が殺すなと言うのなら、従うべきか。向こうの足だってぶち抜いてやった。意趣返しなら充分だが、今フレジエを見逃すメリットは……ミントは満足し、フレジエには貸しを作る、それだけだ。


「……防衛成功と同じ扱いにしろ」

「えっと、つまり?」

「半年ミントに近づくな」

「それでいいよね? フレジエちゃん。今日はここでおしまいにしよ。お互い。どう?」


 突然、フレジエが腕を上げた。


 ミントはとっさに前に出た。ハニーとフレジエの間に割って入った。

 黒鉄の腕はミントの顔の高さでぴたっと止まり、少し震えて、そして下がった。


「……今日は楽しかったわ。ほんとよ」

 ほとんど聞こえないくらいの声でうつむいたまま言うと、フレジエはハンカチで手ばやく腿を縛って立ち上がり、できる限りの速足で離れて行った。





 彼女が見えなくなると、チョコレートミントは体の緊張を解いた。「ふう! 行ったね」と振り返ったそのとき、両手がミントの肩をつかんで、強く引き寄せた。


 顔面蒼白の男がそこにいた。目があちこちに走る。ミントの怪我の有無を確認している。肩をつかむ手の力強さに驚いてなにも言えずにいると、彼は乾いた唇から絞り出すように言った。


「二度とやるな」


 手が離れた。


 息を整えながら、彼はゆっくりと歩き出す。額の汗をぬぐい、口の中でなにかを繰り返しつぶやいている。なにかを下げろ、というようにチョコレートミントには聞こえた。



(第19話 おわり)

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