第19話 ショートケーキ・サーキット④
連れてこられたのは、建物の陰に置いてある一台のキャンピングカーのところだった。車の大きさに驚いていると、「どう? すごいでしょ」とフレジエが自慢げに腕を広げた。「どうぞ、いらっしゃいませ!」
ドアの段差が高く、ミントは乗り込むのにややもたついた。
内部も広かった。車の中とは思えないような充実ぶりだ。生活感がありつつも、きちんと整えられている。ピンク色のソファとカーテンが部屋を囲んでいる。白い家具や、クッションのフリルからはフレジエの嗜好を感じた。
――古式ゆかしい少女趣味ってところ?
真ん中に据えられたテーブルの、天板の下からブランケットが長く出ている。「見て、これ、コタツ! さ、お姉さま、入って入って。冬は最高よ。このあったかさ、やみつきになっちゃう」
言われたとおりに、ブランケットの裾をめくって足を差し込んでみる。外を歩いて冷えた体を、暖気が優しく出迎える。むむ、と唸らざるを得ない。たしかにこれは抗えないかも。ひと息つくと、壁際に置かれたギターと、ソファに鎮座したキーボードが目に入る。よく見回すと、録音機材やなにかもあるようだ。
「音楽をやってるの?」
大雑把な言い方になったが、「ええ!」とフレジエの顔はぱあっと明るくなった。「一応、仕事としてやっているのよ」
「そうなの?」
「ええ」いそいそと茶をいれながらフレジエが言った。「コマーシャルソングとか作ってるの。もしかしたら、聞いたことあるかも」
壁に貼られたコード進行のメモ紙を見やり、本当のことなんだろうと思う。
「なんで殺し屋なんかやってんだろう、って思ってる?」
ミントは正直に、うん、と答えた。
「成り行きってところね」
「やめられないの?」
「なんで?」ふたり分のカップをテーブルに置いて、フレジエが笑う。「わたし、才能あるし。同期では一番、いいえ、この街で一番強いんだから。ついでに、義体を維持するのに、ある程度要るしね」
一日行動を共にしてみたが、サイボーグ・フレジエの見た目は普通の人と何ら変わらない。雪のような肌、絹のような髪、物語に出てくるプリンセスのような表現がよく似合う。メイクを拒否していたところをみると、さわれば気づくものなのだろう。
「えっと……聞いていいのかな」
「どうぞ?」
「どこまでが義体なの?」
フレジエが流し目を寄越す。「確かめてみる?」
スルーして、「いつからそうなの?」
「んー」残念そうな顔のあと、気を取り直したように言った。「お姉さまなら話してもいいかな。あれはわたしが十七歳のことでした……」
家族で旅行に行った先で、火事に遭ったのだという。
「そのときにママと妹は死んじゃったんだよね。家族の中で生き残ったのは、パパと、弟と、大火傷したわたし。パパはいろんなコネを使って、娘に最新式の義体をプレゼントしたってわけ」
ミントが二の句を継げずにいると、「こうして最強最高フレジエちゃんは誕生したのでした」とフレジエは自伝を締めくくった。「おしまい」
「弟くんって……」
「あ、そうよ」フレジエは運転席の方を示した。「カシス。前に会ってたかしら? そこにいるけど、まったく気にしなくていいわ」
その言を裏付けるように、運転手からは特になんのコメントもなかった。
チョコレートミントはフレジエの身の上に少なからず胸を痛めた。身内が亡くなった話は悲しい。訊いてしまったのはあたしだけど、とミントは思った。これ以上こんな話を聞いてしまったらよくない。相手の境遇に同情するなんて――メルバ研究所の面々があきれ顔でこっちを見てくるところがありありと想像できる。「どうしてそんなことに?」と一応という体で訊いてくるボスとか、「あのな……」とどう言い含めようか考えるハニーとか。
帰りたくなってきた。メッセージは出したけど、今日はあたし、何事もなく帰れるのかな。そもそも彼女はどういうつもりで家、もとい車に連れてきたのだろう。
そう考え始めた時、フレジエが話題を切り替えた。「ねえ、わたしを雇わない?」
ハニーは港に出ていた。あたりの人影はまばらで、上空を回る海鳥の方が多いくらいだ。冷たい風に揉まれてひらひら飛んでいる。
地図で言うとあのあたりだが、とハニーは目を凝らした。カーブした道の先は、ちょっとしたイベントならできそうな広場になっている。そこで、大きな白い車がゆっくりと動き出したのが目についた。大型トラックサイズの、巨大なキャンピングカーだ。道に出て、南下する道路に入っていく。
考えるより先に走り出している。猛烈に嫌な予感がする。Qグラス上で、位置情報の点がキャンピングカーと同じ方向、同じスピードで動き出す。さすがにちょっと遠い、と腕を振りながらも思う。バイクを取りに戻る? メルバに車を出してもらう? どちらも遅すぎる。タクシーでもいないか、と必死にあたりを見回す。と、それが目に飛び込んできた。
ヘリポートの看板だ。
「ねえ、わたしを雇わない?」フレジエは身を乗り出してきた。「あの男の代わりに。どう? いいでしょ?」
チョコレートミントは、どう答えるか慎重に考えた末、困ったように笑って首を横に振ってみせた。
フレジエの眉がハの字に下がる。「どこがいいの?」
「うーん、強いとこ」
「わたしのほうが強いのに」
「どうかな」
「次に会ったら、今度こそ殺しちゃうから」
チョコレートミントははっきり言った。「そうはならないよ」
「かわいそうなお姉さま」現実が見えてないのね、とでも言いたげな顔だ。「いいわ。いつかわかってくれればいいもの」
彼女がすり寄ってくる。肩が触れる。
「じゃあ、せめて、もう少しいっしょにいてくれる?」
「えっと、悪いけど、あたしそろそろ」
「あのね」フレジエは上目づかいでミントを見た。「今日、帰らなくてもよくない?」
「え?」
「怒らないでね」と胸の前で手を組む。「ごめんなさい。あなたのこと、とっても好きだから。もうちょっと一緒にいたくって」
ミントはぱっと立ち上がり、窓に駆け寄ってカーテンを開けた。外の景色が動いている。細かく張られたケーブルが後ろに流れ去っていく。ブルックリンブリッジだ。
「低振動車だから、走り出したのわかんなかったでしょ?」フレジエはこともなげに言った。「楽器を運ぶ用にね。けっこう高かったのよ」
「もしかしてだけど、あたしを誘拐してる?」
フレジエは小首をかしげた。「見方によってはそうかも」
「殺し屋番付って、そういうのありなんだ」
「違うってば、仕事でやってるんじゃないの。わたしがそうしたいから! 今日はプライベートって、言ったじゃない?」
話が通じてない気がする。さすがのミントもこれはまずいかもと思い始めた。なんでうかうか乗り込んじゃったんだろう、と今更の反省をするも、車は止まらない。今、ブルックリンブリッジの真ん中あたり? どうしよう。BBにあんな悠長なメッセージを残してる場合じゃなかったな。ハニーはわたしが部屋に戻ってこないことに気づいてくれる? ボスは、あたしのGPSがどんどん離れていくのを疑問に思ってくれる? それはいつになる? 橋を渡り切ったら、ドアを開けて飛び出してみようか。
「ね、そんな顔しないで」いつのまにか、フレジエが目の前にいた。彼女の指先がミントの頬に触れる。「もっと楽しいことしましょ! うん、今夜は絶対楽しくなるわ! 夜通し起きていましょうね。好きなアーティストを教えてくれる? 食べたいお菓子はぜーんぶ用意してあげる。ね、笑ってちょうだい。あなたの笑うところ、とってもナチュラルで好きよ」
ミントは──ニコッと笑った。「そう見える?」
ガン、と天井になにかがぶつかる音がした。
フレジエは立ち上がった。「カシス?」と怒鳴る。
運転席から壁を隔てて返事がある。「姉ちゃーん、さすがにちょっかいかけすぎたんじゃね?」
ガン、ガン、と連続でなにかが当たっている。ミントにもわかった。銃弾だ。バタバタという音も聞こえる。次第に近づいてくる。
ブルックリンブリッジのワイヤーロープの向こうに、モーター音を轟かせヘリコプターが現れた。上空から徐々に高度を下げ、キャンピングカーに並ぶ。機体には「マンハッタン遊覧飛行ツアー」と書いてあるようだ。ドアを開け放った真ん中に陣取って、ライフル銃を構えている人物の顔は、逆光で暗くかげっていたが、見えなくてもわかった。
遊覧飛行のヘリパイロットがふたつ返事で乗せてくれたのは、ノリのいい人だったからかもしれないし、メルバの大胆な金額交渉のおかげかもしれない。あるいはハニーが銃を手にしていたからかもしれないが、とにかく彼は目標の車にぴったり並行して飛んでくれた。
キャンピングカーの窓を開けて、チョコレートミントが顔を出す。バタバタとうるさいヘリの音で何も聞こえなかったが、口の形でわかる。「ハニー! ごめん! 助けて!」
彼女にもわかるハンドサインで返す。親指を立てて見せた。
銃を構えなおすと、ミントは物分かりよく室内に引っ込んだ。