第19話 ショートケーキ・サーキット①
前回までのあらすじ:火星帰りの狙撃兵ハニーは、宇宙生物研究所の用心棒を務めている。研究所助手チョコレートミントの護衛が主な仕事である。5月、ふたりは若手殺し屋でサイボーグの少女フレジエとその弟カシスの襲撃に遭う。これを辛くも撃退するが、この一戦はハニーの中に様々な課題を残したのであった(第6話)。一方のフレジエは、チョコレートミントを「お姉さま」と呼び、執着を見せる。
いつものように起きた。
義足を着け、軽い運動をし、栄養を摂り、身支度を整えて、装備を確認し、予定をさらい、廊下に出て、チョコレートミントのご登場を待った。
八時を回り、五分経ち、十分経つ。催促の意味でチャイムを鳴らそうとすると、インターホンに貼ってあるメモに気づいた。〈上を見ろ!〉
玄関のドアの上に、同じメモがたたんで貼りつけてある。広げると、〈左を見ろ!〉
ドアの蝶番の近くに、壁と同じ色の紙を見つける。〈下の下を見ろ!〉
下に目を移すと消火器がある。消火器の下にもメモが置いてあった。
ハニー、おはよう! この手紙を読むころ、あたしははるか遠くにいるでしょう……これ、言ってみたかった!
本日は急遽、休暇にします! イエイ!(ウインクの絵文字)あたしはあてどない旅に出るので、あなたもゆっくり休んでね(ハートマーク)。
追伸:研究所には連絡済みです。
ハニーはしばらく天井を仰いだ。壁材の凹凸を見ながら、過酷な訓練を思い出し、禅について考え、一度頭を空っぽにし、広大な宇宙に思いを馳せ、素数を数え、深く息を吸い、吐き、湧き上がる感情のフェーダーを下げていこうとした。
世の中にはできることとできないことがある。
アパートメント十一階の廊下で、ハニーは「あの女!」と悪態をついた。
「あの女」は自由を謳歌していた。
チョコレートミントは今、ハイラインを歩いていた。もうすでに、“海沿いを散歩する”“気になっていたコーヒースタンドで一服する”というふたつのタスクを終えた後だった。
高架下の道を行く人々を見て、お休みのありがたさを噛みしめる。羽を伸ばしたかった頃合いだし、たぶん、ハニーもそうだ。最近険しい顔をしていることが多い。たまに警護対象から離れてゆっくりしたいだろう。チョコレートミントは自分の優しさに感動した。あたしって気が利くなあ!
真冬だというのに、植え込みに花が咲いている。知らない彫刻家のインスタレーション作品がある。花の写真を撮ったり、彫刻家の名前をIQに訊いたりする。時間を潰していた。目当てのスイーツ店が、あと二十分くらいで開店するのだ。
ふと、間近に人が立った気配がして、チョコレートミントは振り向いた。
少女と目が合う。赤いマフラーに、白いセーラー服──イチゴのような色合いだ。
「久しぶりね、お姉さま!」満開の笑顔で、殺し屋フレジエがあいさつした。「ごきげんよう! よかった! わたし、ずーっと、お会いしたかったの!」
さすがのチョコレートミントも「終わった」と思った。それでも、相互理解の第一歩として、笑顔で「こんにちは」と言ってみた。
「はい、こんにちは!」元気よく返事があった。「こんなところで会うなんて、奇遇ね!」
ミントの頭は命乞いのとっかかりを探すのにフル回転だった。奇遇、ということは、あたしをわざわざ探して来たわけじゃないってこと?
「今日はお仕事で?」と訊いてみた。
「え? ああ、違うの」フレジエは軽く頭を振った。動きに合わせておさげもぶんぶんと揺れる。「今日はお休みなの。だから、少なくとも今日は、あなたを殺さないよ。確かにルール上は、半年空いたから、もう再挑戦できるけどね。まあ、でも? そもそもわたしの雇い主からまだ何も言われてないし。だから、今日は、プライベート! お姉さまは、今日のご予定は?」
「ええっと、この近くに行きたいパフェのお店があって」
「もしかして、リッキィズ・ハイライン?」言い当てると、フレジエはいたずらっぽく目をぱちぱちさせた。「ご一緒してもかまわない?」
かまわないと言うほかなかった。