第18話 メルバ研究所のクリスマス・キャロル
この作品は、2021年に活動報告に投稿した小話に6割くらい加筆したものです。書き出しに読み覚えがあってもぜひ最後までご覧ください。
福利厚生。それは保険であり、休暇であり、勤務員に対し付与される働きやすさの権利であるが、それはたまにプレゼントという形で還元される。家族と使える旅行券、名酒を安く買える権利、食材のギフトカタログ。社長の太っ腹を見せる定番といえばそのあたりだが、メルバ宇宙生物研究所では違った。
「クリスマス休暇に入る前に……」メルバはもったいぶって調査員ふたりの顔を見回した。「きみたちにプレゼントがある」
ポピーシードがうやうやしく、ラッピングされた物を運んでくる。
ともすればまだサンタクロースを信じている年齢の子供から、いい歳の自分たちがクリスマスプレゼントをもらう面映ゆさと、いったい何を? という純粋な疑問から、ミントはハニーとチラチラ目線を交わしながら、それぞれ包みを受け取った。
「ありがとう!」
「ありがとうございます」
メルバの顔に「開けないの?」と書いてある。
開けた。
それは生物学者パーシバル・メルバ完全監修、一分の百スケールのアリのぬいぐるみだったが、その大きさゆえにアリと認識するまでややかかった。
「わ、わあ~」ミントはとっさに万能の感嘆詞を口にした。「でか」
「でかいな」
メルバが上目遣いになる。「もっと言うことあるよね?」
「……ヤバい」
「ヤバいな」
「ぼくが悪かったよ」
「顔が怖い」ミントはリアルなアリの頭部をハニーの方へ向けた。
「口のところギザギザしてんだな」ハニーが感想を述べる。
「それはあごだ。そこの再現難しかったんだ」
「けっこうくびれがある」
「腹柄節って言うんだよ!」メルバが力説する。「アリを見分けるポイントになる」
「ミントのアリ赤くないか?」
「ほんとだ」
「ヒアリだからね!」メルバの笑顔が輝いている。
「ヒアリくんかぁ」なぜ有毒の種類を自分にくれたのだろうとミントは考えないように努めた。「うん。赤くてかわいい、かも」
「わたしのは羽アリ」ポピーが満面の笑顔で羽のついたアリを抱えて見せる。「羽がついてるの」
ミントの言語野は「ロマンチックね」という返しを叩き出した。
「ちなみに」メルバはハニーのアリを指さした。「きみのは火星アリがモデルだ」
「それはつまり」ハニーが息をのむ。「火星環境の実験で使われたアリ」
「そうそう」
「一生大事にします」
ご満悦のメルバと、お世辞でもなさそうなハニーとを見て、男の子っていつまでたってもそういうのが好きね、などと思ったミントだったが、後にヒアリぬいぐるみはマニキュアを乾かすときの手の置き場として活躍するのであった。
週末から、メルバ宇宙生物研究所はクリスマス休暇に入る。その前日、つまり仕事納めの日に、射撃大会が行われた。ハニーが企画してミントが出場し、観客はメルバだけという極小の大会だった。いつもの射撃場だったが、ミントは緊張の面持ちで銃を構え、なかなかの好成績を収めた。見守ったメルバは、たったひとりの選手に拍手を送ったが、あとでこっそりハニーに訊いた。
「これっていい方なの?」
「最初に比べればかなり」
初期のスコアカードと今のスコアカードを並べて見せると、メルバは目をまん丸に見開き、小声で「大変だったな」とねぎらいの言葉をかけてきたので、ハニーは深くうなずいた。大会の目的はミントの射撃練習のマンネリ感の打破だったが、数か月前のミントのお粗末な命中率が、自分の働きのアピールになったのは思わぬ成果だ。
研究所に戻るとポピーシードが表彰式の準備をしていた。「あなたは第一回射撃大会において優秀な成績を修めました」という表彰状と景品のお菓子セットがミントに渡された。驚いたことに、ハニーにも「射撃指導に尽力した功労」の表彰状が授与された。メルバはとぼけた顔をしていたが、どうもポピーからマネジメント関係の入れ知恵があったらしい。が、そのポピーにも「最優秀事務員」表彰が行われ、大会はなごやかな空気の中で幕を閉じた。メルバがアリぬいぐるみを配り、一同は解散した。
休暇中は交代でビター対応に当たることになっていた。二十五日まではハニーとキアヌで、二十六日から一月一日までをミントとメルバが受け持つ。ポピーシードは、当番者用のお手製冷凍ミールをしこたま冷凍庫に収納すると、「良い休暇を!」と足取りも軽く帰って行った。子供たちがしばらくぶりに帰省してくるのだと言う。メルバも両親に会いに行くとのことで、大きなボストンバッグとボディーガードを伴って研究所を出たが、間際まで細々とした休暇中の注意事項を言い立てていた。「ビターが出たらすぐ報告して! ぼくの方でもシステムはチェックするけど、電話で入れてほしい。研究体はいつものところに入れといて、ラベルだけはちゃんと書いておいて! ガムシロップは手前の開いてるやつから順番に使って、ボトルがなくなったら在庫は――」
休暇を家族と過ごすチョコレートミントを駅まで送り届ければ、それがハニーの仕事納めだった。
「ハニーはどうするの?」
運転するハニーにチョコレートミントがたずねた。
「日本に電気街を見に行く」
「そっか。なんかあるといいね」
車窓の外を、ホリデーシーズンの風景がゆるやかに流れていく。広場に立つクリスマスツリー、イルミネーションで飾られた街路樹、赤と緑色のショッピングバッグを持って歩く人々。マンハッタンのクリスマスはにぎやかだった。
駅前で車を停めた。降りる準備をするミントに少し待つように言う。
「帰る前に」
「え?」
「これをやる」
後ろの席に置いていた荷物を手で探り、取り出した包みを渡した。
「なに、えっ、うそ」ミントは大げさに口元を覆った。「プレゼント?」
「今開けろ」
「なに?」
包装紙を破り、中に入っていたケースを開けたミントは声を上げた。
「わっ、銃!」
新品のシグザウエルに、さすがのチョコレートミントも驚いたようだ。
「……銃、初めてもらった」
「練習で撃ってる自動拳銃と同じシリーズだ」
拳銃を取り上げ、ためつすがめつするミントの手つきは、半年前とは明らかに違う。危なっかしさがだいぶ消え、銃把を握る手首にも力強さがあった。
「帰省先に持っていけ」
「え、えー」
「殺し屋番付は新年まで休みに入るから、殺し屋どもも積極的には動かないって話だが、念のためだ」銃から目を離さないミントを見ながら、付け足した。「お守りみたいなもんだ。バッグに入れておくだけでいい。アイオワは治安自由化してないし、比較的安全……」
「ううん」ミントは首を振った。「ちゃんと持ってく」
「そうか」
マニュアルセーフティの外し方をいっしょに確認すると、ハニーはしっかりとミントに向き合い、言い含めた。「いいか、身を守るためだけに使え。使うときは迷うな」
「うん」
「今日みたいにやれば、うまくいく」
「なんせ私、大会優勝しちゃったもんね」ミントは顔を上げた。「ね、あたしもとうとう免許皆伝ってこと?」
「まだまだ。せいぜい昇段ってとこだな」
「ふうん?」ミントはニヤリとした。「ありがとう、教官」
「くれぐれも、気をつけて扱うんだぞ」
「わかってるって。どうしよ、セクシーな太もものホルスター買っちゃおうかな」
「本当にわかってるか?」
車からスーツケースを降ろす。
「もし予定に変更があったら連絡しろ。迎えに行く」
「わかった」
スーツケースを引いて歩いていくミントを見送る。彼女は構内に入る前に振り返った。「また新年に! メリークリスマス!」
チョコレートミントが駅中に消えるまで見守り、車に戻る。
一年がまた終わりゆく。
軽く頭を振り、エンジンをかける。雪がちらつき始めた。マンハッタンのクリスマスはにぎやかだ。本当に。
(第18話 おわり)